タリサの思い
その夢は遠い昔の記憶。
街道から外れた小さな村。
国内の者でも存在を知る者が少ないその村からも、移動に半日以上かかる山奥。
そんな場所で暮らしていた幼少時代のアミスには、友達と呼べる存在がいなかった。
それでも、小さな頃は多くの兄弟から可愛がってもらえたため、遊び相手に困ることはなかったが、次第に兄や姉達が魔法等の修行に精を出すようになると、1人寂しい思いをすることが多くなっていった。
魔力の高さや魔法適性等、分かりやすい魔法の才能を持った兄達とは違い、魔力が低かったアミスは、自分に魔法の才能が無いと思い、積極的に魔法の修行をする事はなかった。
戦いを好まない性格も手伝い、魔法を覚えて強くなろうという気持ちも持てなかった。
それより、話し相手、遊び相手が欲しかったアミスは、1人で村まで行こうと思った事はあったが、子供1人で簡単に行ける距離ではなく断念。
自然の動物達を遊び相手にした時期もあったが、言葉が通じない相手というのが、ふとしたきっかけで余計に寂しさを増す事となり、動物達と遊ぶこともやめてしまった。
そんなアミスが、ふと目にした書物で知った使い魔という存在に目をつけたのが、10歳になったばかりの時だった。
話し相手を欲したアミス。
魔力も高くなく、強力な使い魔を呼ぶことは叶わなかったが、それは大した問題ではなかった。
ただ、言葉を話せない相手では意味がない。
そこでアミスが自分でも呼び出せる使い魔の中で、目をつけたのがピクシーという妖精族だった。
兄達には反対された。
まずは魔力を鍛えて、できるだけ強力な使い魔と契約するべきだと……
そんな反対を押し切って契約したのがティスと言う名の妖精。
召喚し契約した当初は、大した魔力を感じられないアミスを主人と認めずに、何かにつけて馬鹿にした態度を取ることが多かった。
そんな彼女に対しても、アミスは怒ったりせずに友達でいて欲しいと願い続けた。
様々なやり取りや事件を経て、ティスがアミスを認め今の関係を作り出すのに1年以上の時間が使われた。
そして、アミスの聖獣の才能がわかり、ティス自身が自分の存在価値に疑問を思いだした時のやり取りから生まれた言葉……
そんな言葉でアミスは目を覚ます。
静かに目を開けたアミスは、この時間の見張り番であるリンの存在を確認してから、再び目を閉じる。
(そうです……、約束しましたよね……、ティス……)
夢により思い出した約束……
アミスは、決意する。
それがわがままと言われるとわかっていながらも……
約束の時間。
その場に訪れたタリサは嫌な予感に襲われていた。
いや、それは予感ではなく確実なもの……
王の間に続くこの重要な場所に、守る者が誰もいないというだけでも、充分にあり得ない状況。
しかも、昨夜に約束したはずの守備隊長のフレイディアがいないというのは、彼女を良く知るタリサにとっては更にあり得ない事だった。
慎重な面持ちで辺りを見回す。
微かに感じる血の臭い。
魔法は専門ではないが、魔力の乱れも判った。
最悪な事態を想像するタリサ。
そんな心境の中でも、慌てる様子を見せる事はなかった。
如何なる時も冷静にと、鍛えられてきたからだ。
本当は焦っている気持ちを抑えて、タリサはゆっくりと慎重に王の間へと向かった。
扉を開く時も物音や気配を探る事を疎かにはしないで進む。
普通に進めばすぐに辿り着く道を、じっくりと時間をかけて進んだ。
静かすぎる空間に、タリサの緊張感がどんどんと増していく。
その緊張が限界に近づいてきた頃に、王の間に到着する。
玉座へと駆け寄りたい気持ちを抑えて、警戒心を更に強め、周囲を確認してから玉座へと目を向ける。
無数にある魔法灯は一つしか灯っていない為、王の間の空間の殆どが闇に包まれていた。
そんな中、辛うじて玉座に座っている人影の存在は確認できたが、顔や服装までは認識する事はできない。
本来であれば、その玉座に座る事ができるのは1人だけだ。
グランデルト王国の国王ブランキス・フォルド・ライデン。
その人だけだった。
「ブランキス様……?」
期待を込めたタリサの言葉に、その人影は反応して立ち上がった。
そして、玉座から離れ、タリサに向かって歩き出す。
タリサは心の中で願う。
その人影が、自分が望んだ人だという事を……
「すまないな……」
その人影が謝罪の言葉を口に出した。
それはタリサが期待した声より若い声だった。
望んだ声ではなかったが、タリサはその声の主を知っていた。
「どういう事ですか? 団長……」
その顔が見える前にタリサは訊ねた。
それに対して、返答はすぐに返ってこなかった。
そして、その人影、ゼオル・ラーガの顔がはっきりとタリサの目に移った。
タリサは腰に差してある剣の柄に手をかけ、警戒の面持ちで再び訊ねる。
「団長……、なぜここに?」
「……わからないか?」
「……」
タリサの柄を握る手に力が入る。
「……」
「……」
タリサもゼオルも何も言わずに動かない。
極度の緊張感を纏うタリサと、そんな彼女を冷静な表情で観察するゼオル。
暗い空間での静寂の時間を終わらせたのは、ゼオルだった。
「埒が明かないな……」
ゼオルのその言葉に反応して、僅かに後退るタリサ。
ゼオルはタリサのその動きを見て僅かに微笑むと、その場で言葉を続けた。
「タリサ……、俺に仕えろ」
「……」
タリサはその言葉に僅かに驚きの表情を見せたが、すぐに鋭いそれへと戻した。
「団長……」
「……?」
「わかりきった質問をしないでください……」
ゼオルは表情を変えずにタリサの言葉に耳を傾ける。
「貴方が私を評価してくれていた事には感謝しています。団長職が貴方でなければ、私は今の様な立場にはなれていない事も重々承知しています。
まだまだ若輩者だった私を……、いえ、今でもまだまだ経験の足りない私に重要な任務を与えてくれている事に……、恩を感じてはいます。
しかし、私が忠誠を誓っている方は、あくまでもあの御方なんです。
その事は、私をよく見ていてくれていた貴方もご存じのはず。
それなのに……」
タリサは一回言葉を飲み込んだ。
そして、改めて一度飲み込んだ言葉を口に出した。
「何故、王を裏切った貴方が、私にそのような言葉をかけれるのですか?」
そう言い剣をゆっくりと抜くタリサ。
それでもゼオルは態度を崩す事は無く、それがタリサの次の動きを制止する効果を持っていた。
「お前を認めているからだ。あと、確かに普通に考えればブランキス王を裏切る行動だったかもしれないが、彼の者の理想は受け継ぐつもりだ……」
「理想……」
「そうだ。ブランキス王は覇道を唱えたが、それを実行するには考え方が甘すぎる。王のやり方ではそろそろ限界が来る。だから、その理想だけを残して我々が受け継ぐのだ」
「……」
僅かだがゼオルの口調に力が入り始めていた。
それがタリサにもわかり、黙って耳を傾ける。
「その理想の実現の為には、お前の力が必要なのだ。私の片腕としてな」
「……」
「それが、結果的に王が目指した理想への手伝いになる。それはお前も願っていたことのはずだ……」
その言葉にタリサは目を閉じた。
それはゼオルにとって予想外の反応だったのか、その言葉が止まる。
「団長……、いや、裏切り者ゼオル・ラーガ……」
タリサの次の動きの予想がついたゼオルが、すっと後ろへと下がり間合いを空けようとする。
だが、タリサの動きはその上をいった。
素早くゼオルとの間合いを詰めて、剣を振るう。
ゼオルはそれに対して冷静に対応する。
その手にはいつの間にか抜かれている黒い剣があり、それを使いタリサの一振りを軽く流して見せた。
そして、間合いを広げたゼオルに、タリサは追撃をすることはしない。
タリサもその一振りでゼオルに傷を負わせれるなんて、考えてはいなかった。
それ故に、驚く事もせずに冷静に次の言葉を言い放つ。
「ゼオル……、王をどうした?」
冷静さを見せるタリサの問に、ゼオルはそれより上の冷たさを感じさせる答えを返す
「まだ生きている……」
『まだ』という言葉が表す意味を理解できないタリサでは無かった。
冷静を装ってはいるが、そのタリサの表情には動揺の色が確かに滲み出ていた。
ゼオルはそこへ次なる言葉で交渉に出る。
「この後、どうなるかはお前次第だ……」
「!?」
その言葉の意味もタリサにはすぐに判った。
そして、自分には一つしか答えが残されていない事も……
目の前の男が、それを判っていながらも答えを求めている事も……
王を人質にタリサに仕える様に促すゼオル。
だが、その話を受けたとしても王の命はない。
何故なら、王自身がそれを認めないから……
王は絶対にそういうことを許す性格ではない。
それをタリサは勿論、ゼオルも重々承知しているはずだ。
タリサは敵であるゼオルを前に、目を閉じる。
それによりできた隙を、ゼオルがついてくる事はないと確信して……
(ブランキス様……、約束を守れずに先に逝く私をお許しください……)
タリサは覚悟を決めていた。
自分が既に囲まれているであろうことも予想はつく。
間違いなく騎士団の精鋭達が控えているだろう状況の中、助かれると思える程自分の力に自惚れてはいなかった。
(だが……)
タリサはゼオルの動きをじっくりと観察しながら、チャンスを伺っていた。
(お前だけは……)
しかし、刺し違えるつもりだったタリサの覚悟は、簡単に邪魔をされる。
「団長、気を付けてください。彼女には切り札があるとお教えしていたはずですよね……?」
タリサにとっても聞きなれた声。
本来なら聞けて嬉しいはずのその声は、タリサの覚悟の邪魔をしていた。
「そうだったな。刺し違えてでも相手を倒す術が、タリサにはあるんだったな……」
タリサが突然の声の主に気を取られている間に、ゼオルがタリサとの間合いを広げ、タリサが一瞬遅れて気づいた時には、切り札を使うべき範囲外まで距離は開いていた。
タリサは、軽く溜息をついてから声の主へと視線を移す。
「エリフェラス……」
声で判っていたが、改めてその姿を見てタリサはその人物の名を呟いた。
知衛将軍エリフェラス。
いつも何かあった時に、常に自分の味方になってくれていた存在。
アミスの時もそうだった。
自分の立場を悪くする可能性があっても、味方をしてくれた。
だが、静かにゼオル・ラーガの横まで移動してきた姿は、自分の味方になるためここに来たとは思えなかった。
「どういう……」
「私は団長を支える存在ですからね……、団長と敵対しない範囲でなら、あなたの力になってやってもよかったんですけどね……」
「……」
この場にいるのが団長だけであるとは思ってはいなかった。
騎士団の精鋭達が控えている覚悟はしていた。
しかし、目の前にいる彼だけは、いないと思っていた。いや、いないで欲しいと思っていた。
だが、その期待は儚くも裏切られる形となった。
「……」
「タリサ……、もう一度考えてください。どうすれば一番いいのかを……、このままでは犬死するだけですよ……」
エリフェラスの口調は、普段自分に向けているそれではない事が、タリサに彼を敵と認識させて、冷静さを取り戻させた。
切り札が使えなくなった以上、このまま戦っても自己満足だけで、本当に犬死するだけだった。
それよりは確率は低くとも、もう一つの可能性に賭けるべきと考えなおせる。
それすら成功する可能性は限りなく低いのは承知の上で……
「タリサ……、私達の力に……」
「断る!!」
エリフェラスの言葉を遮るようにそう言うと、タリサは剣に魔力を込めた。
その魔力に反応して、埋め込まれている聖契石が輝きだす。
「団長!!」
エリフェラスは咄嗟にゼオルを庇うように前に出ようとしたが、それより早くに2人の前に炎の壁が生み出されて、タリサが呼び出した氷の聖獣の吹雪を防ぐ。
それはゼオルの聖獣が作り出した壁だったが、タリサには自分の攻撃がこのように防がれることは予想済みであり、その聖獣の攻撃には別の目的があった。
タリサの聖獣の事は、騎士団内では有名な存在であり、剣に魔力を溜めた時点でゼオルやエリフェラスには警戒されるのは判り切った事だった。
氷に炎をぶつけて相殺するのは、定番の対抗策であり、ゼオルが炎の壁を使っているのを見た事があるタリサには、そうするであろうと簡単に予想がついたのだ。
だからこそ、タリサは本来切り札にしている聖獣を撒き餌に使った。
ゼオルとエリフェラスが予想した以上の蒸気が生まれだし、辺りを包む。
そのまま吸い込めば目や喉にダメージを負いかねないそれを、ゼオル達は慌てて口や目を塞ぎ対処する。
それは周囲に身を隠して控えていたモルデリド達も一緒だった。
視界も失い、皆が混乱する中、その事態を打破しようと1人の魔術師が短い魔法の詠唱を唱えた。
「!? 止めろ!!」
誰からか、咄嗟に制止する声が飛んだが、それは間に合わずに魔法は発動する。
「【疾風】!」
手柄を立てて自身の実力を認めてもらおうと、独断で風の魔法を使った魔術師。
タリサからすれば、それも予想の範囲内だった。
ある程度の数を揃えてくるだろうと予想はできていた。
そして、数を揃えればその実力や判断力、そして、思惑に差異が出てくる。
それが絶対的に不利な状況のタリサがつけいることができる唯一の場所。
魔術師スリンクスが生み出した風に、吹雪と炎の壁が作り出していた熱量の均衡が崩れた。
視界を遮っていた蒸気を吹き飛ばそうとした風が、返って吹雪による冷凍力を加速させた。
辺りの蒸気が一気に凍りだし、周囲の者達の動きを阻害する。
慌てて別の魔術師が、ゼオルの炎の壁に炎の魔法を重ねて、その熱量で凍りかけた空間を溶かしにかかる。
次第に空気の凍結が解かれていくが、それと共にタリサの気配も消えていった事に、実力者達は気づいていた。
攻撃と見せかけた煙幕。
少数精鋭であれば、こんな事態にはならなかっただろう。
しかし、モルデリドのタリサを逃がすまいと、数に頼った包囲作戦が裏目に出て、逃げるチャンスを与える結果となったのだ。
煙幕代わりの蒸気が消えた後に、タリサの姿は見えなくなっていた。
「くっ……」
モルデリドは僅かに悔しげな表情を見せたが、すぐに静かな表情に戻りゼオルへと視線を向けた。
「追いましょう……」
ゼオルは静かに頷くと、モルデリドの指示によりその場の人員は5つに分けられ、それぞれが逃走可能なルートへ移動開始する。
素早く判断し、バランス良く対タリサ用の部隊を作り出し、的確に指示を出すモルデリド。
彼が副軍団長という役目を与えられている一番の理由となる能力だ。
上に立つ者としての才能だった。
そして、指示を受けた全員がタリサ捕縛任務へと向かい、指示を出し終えたモルデリドとその側近とも言うべき2人、そして、ゼオル、エリフェラスがその場に残る。
「逃走経路には、既に兵士を配置しておりますので、これで取り逃す事はないと思います」
「この場からの逃走は想定内だったのか?」
「え?」
「この場から、逃がさないつもりだったのではないのか?」
「……はぁ、そのつもりではいましたが……」
「それが失敗したのだから、追跡部隊が充分だと思うのは早計ではないのか?」
モルデリドは黙り込み、暫し考え込んでから、鋭くした目つきをゼオルに向ける。
「我々も追いましょう」
モルデリドの提案を否定する者もなく、残っていた者達もその場を後にした。
そして、タリサ一人が残される。
充分な時間を待ち、気配や物音により全員が立ち去ったのを確認してから、姿を消していたタリサが姿を現す。
魔法の指輪に封じられていた【 隠匿 】の魔法だった。
予め一つだけ魔法を封じておくことができる魔法具であり、その封じられた魔法を詠唱も魔力も無しで使用する事ができる物だ。
「さて、ブランキス様はどこに……」
仕える主を救わなければならない。
それが既に無理な事だろうと判っていたとしても……
慎重に次の行動に移ろうとして、タリサはようやく気付く。
そこに残っていたのが自分だけではなかった事に……
「そうか……、この指輪をくれたのはお前だったな……」
タリサは振り向く。
その指輪の元の持ち主であるエリフェラスへ向かって……




