仇を前に……
アミス達が脱出計画を決行する少し前の事。
クエルスはエリフェラスの部屋に訪れて早々に口を開いた。
「そろそろですね……」
「そうだな……」
視線をクエルスに移すことなく、座ったまま外を眺めるエリフェラスは静かに呟くように声を返した。
「大丈夫だよね……?」
部屋の隅から聞こえたその女性の声に、クエルスは部屋にもう一人いる事に気付いて少し驚いた表情を見せた。
「らしくないね、クエルス」
親しげな口調のその声の主は、姿を消していたルーメルだった。
彼女がそう思ったのは、彼女が知る普段の彼ならば、入って言葉を発する前に気付いているはずだったからだ。
その言葉を受けて、クエルスは小さく溜息をつくと、
「自分でも思いの外動揺している事に驚いてるよ……」
強がることを諦めて、弱気になっている心内を口に出した。
エリフェラスの参謀として、常に冷静であろうとしていたが、今回の事態に怒りや動揺を隠せない
事に、自分自身の未熟さを感じていた。
「落ち込んでる暇なんてないでしょ? 今はやらなきゃいけない事をやるだけ、その為にわたしはこっちに戻されたんだから……」
呆れ気味に言うルーメルの言葉に、クエルスは頷く。
まだ、気が晴れた表情ではなかったが、やらなければならない事があるという事実が彼を動かす。
ルーメルがタリサに反論し、謹慎を受けたのはわざとだった。
更に先の事を考えた上で、エリフェラス側の戦力を整える為であったが、もう一つの理由として内通者を割り出す為だった。
タリサもエリフェラスも、副団長であるモルデリドとは意見が合わずに、対立する事が多い。
そんな中でも、同じ真権皇騎士団として敵対まで行かない様に、対立を穏便なもので済ます為に、タリサもエリフェラスも、直接的な対立と、裏で秘密裏に行われる対立に分けていた。
知られる訳にはいかない秘密裏な情報は、それぞれ極一部の信頼する者とだけ共有してきた。
タリサにとってそのメンバーがいつも集まる5名の部下であり、エリフェラスにとってはクエルスとルーメルの2人だった。
元々、直接的な任務に就く事が少なかったエリフェラスが、様々な任務で人手がいるタリサの為にルーメルを貸していた状況だった。
それはタリサとエリフェラスの秘密裏なやりとりであり、他の者には、ルーメルの希望により、情報集めや情報操作等の裏の仕事が多いエリフェラスの下から、戦功を稼ぎやすいタリサの下への転属という事になっていた。
そんな中、今回の一件でエリフェラスの裏での仕事が増えるであろうという予想により、エリフェラスの下に戻る為の芝居のようなもので、ルーメルは暫くエリフェラスの下で裏での仕事を行っていくことになるだろうが、もし、それがばれた時にタリサが疑いを否定できるようにする為に、信頼する仲間も含めて騙すような形でタリサの下からは離れたのだった。
そして、最近秘密裏な情報がモルデリド一派に漏れているのではという疑いがあった為、もし内通者がいるなら割り出すきっかけになるようにルーメル逃走という芝居をうったのだ。
わざとモルデリドよりの反論をさせて監禁する事で、もしかしたら内通者が動くのではないかという、成功の可能性は低かったが僅かな期待をもった策だった。
タリサは5人の部下を心から信頼していた。
故に、それは内通者の割り出しではなく、内通者がいないという心の安心を得る為という考えが強かった。が、タリサの願いに反して、それは内通者の存在を証明してしまった。
もし内通者がいるとしても、存在を気取られない為に今回の策には乗る事はないと思っていた。
しかし、内通者はわざわざ自分の存在を知らしめる行動をとった事に、タリサもエリフェラスもクエルス、ルーメルも驚きを隠せなかった。
(そこまでして、アミスを殺さなければならないって事なの?)
ルーメルはクエルスの様子を気にしながらも、頭の中でふと考えていた。
ルーメルには、その内通者が誰なのかも当たりがついていた。
それを秘密裏にタリサに伝えてはあるが、証拠となるものはなく、タリサも警戒材料にする事しかできないだろう。
「ルーメル……」
「は、はい」
エリフェラスに突然名を呼ばれて、少し驚くように返事をするルーメル。
「今回は珍しくお前の方が冷静な様だ。クエルスのかじ取りを頼んだぞ」
「『珍しく』は余計では……?」
不満げな表情で返すルーメルに、エリフェラスは笑みを浮かべる。
そんな2人のやり取りを見て、クエルスの口元にも僅かに笑みが灯る。
「クエルス」
「はい」
「お前が用意したもう一つの駒は大丈夫なのか?」
「問題ないと思います。情報は充分に流してありますので、後は勝手にやってくれるかと……」
「『勝手に』とは、安心させる言葉ではないな……」
呆れ気味のエリフェラスに、クエルスは先程までの弱気さを見せずに
「あれだけの実力者に、細かい指示は必要ありませんよ」
と、自信満々言い切った。
「そんな実力者が何で今回の手助けを……?」
という、ルーメルの素朴な疑問に、クエルスは答える。
「アミスに恩があると言っていました。どこから情報を仕入れたかはわかりませんが、アミスが囚われている可能性があると予想して動いてたようです」
「本当に大丈夫なの? 副団長の罠とかじゃ……」
このタイミングで現れた出来すぎとも感じる存在に、ルーメルが疑いの目を向ける。
「その可能性はありますね。もし罠だったらアミスも私達もおしまいですが……」
「いやいや、何を軽く言ってるのよ。そんな余裕はないのに……」
「余裕がないからです。私も余裕があればそんな不確かな存在を戦力とはしませんよ。しかし、どうしても戦力が足りないんです。ここは偶然見つけたこの2人に頼るしかないんですよ」
「でも……」
納得のいかないルーメルの様子を無視して、クエルスは視線をエリフェラスへと移した。
「頼らないなら、将軍に直接動いてもらう必要がありますが……」
「もしもの為にいつでも動ける準備はしておく。どちらにしろ、今回の最優先はアミスの脱出だからな」
「そうですね。我々も臨機応変に対応できるように準備しておきます」
「……」
ルーメルもその言葉には頷くしかなかった。
「そろそろだな……、行くぞ」
エリフェラスがそう言い立ち上がると、クエルスとルーメルもそれ以上何も言わずに続く。
今は自分達ができることをするだけなのだ。
納得いかない事が残っていたとしても、もう今からどうなる事ではなかった。
それが判っていながらも、言いたいことは言わずにいれないルーメルも、時間が迫っている現状でしつこく文句は言う事はしない。
(上手くいきますように……)
神への信仰心など持ち合わせていないルーメルも、何かに祈ってしまう。
そんな状態での作戦が始まろうとしていた。
牢から脱出したアミス達は、ラディとミスティアルの指示のまま降り立った崖の下で1人の将軍が率いている兵士達に囲まれていた。
雷炎将軍コンスタン・バーム。
その男をじっと睨みつけるアミスに気付き、らしくない表情に驚くラスとリン。
(こいつがティスを……?)
すぐにその理由が思い当たり、ラスも鋭い目つきをコンスタンに向けた。
「残念だったな。簡単に逃がす我々だと思ったか?」
勝ち誇った笑みを浮かべながらコンスタンは言う。
その表情は、憎しみの理由を持つアミスだけでなく、今初めて会ったラスやリン達にも苛立ちの感情を与えるものだった。
表情一つでここまで感情を逆なでにできるものかと、ある意味特異の存在だとラスもリンも思い、すぐにでもこの男を視界から消したいと思った。
「貴様等が逃げだすことはこちらから見ても願っていた事だ」
「なに?」
「これで殺したとしても、王命を無視した事にはならないからな!」
そう言うとコンスタンは左手を高く上げて、合図をする。
その合図に反応して、暗がりのためハッキリと確認する事のできない森の中の殺気が強まった。
(弓兵か……? だが、弓矢が効かない事は先程の攻防で判っているはずだが……)
かといって魔法の為の詠唱も、魔力の動きも感じない。
何を企んでるのか分からずに、ラスは躊躇っていた。
見る限り、腹立つ笑みを浮かべている男以外に階級の高そうな存在はいなさそうだった。
足止めを受けて相手方の増援が来る前に、この男を倒せば良いだけの様に思えもする。
だが、思いの外待ち受けていた兵士が多かった。
毎晩、これだけの兵をこんな場所に潜ませていたのだろうか?
それとも、今日、この時間に逃走計画が実行される事を知られていたのだろうか?
逃走への協力者がいること自体が罠だったのではないか?
様々な憶測がそれぞれの頭を過っていたが、アミスには迷いは無かった。
「≪ 魔女 ≫」
アミスは呼び出しに応じ、≪ 魔女 ≫が姿を現す。
その姿を見て、コンスタンは笑みを強める。
「そんなに楽しいですか?」
「 ? 」
アミスの口から出た言葉に、コンスタンは一瞬笑みを消す。
自分に強い憎しみを持っているはずの者から出たにしては、あまりに静かな口調だったからだ。
「楽しいですか?」
「……ああ、楽しいな」
コンスタンは再び口元に笑みを戻すと、楽しげに答える。
「自分の力を示し、認められ、地位や権力を得る。これを楽しいと思わずにいられるものか」
「そうですか……」
「貴様等は、この俺の栄光の踏み台となるのだ」
「お断りします」
きっぱりと言ったアミスの右手が光りだす。
コンスタンには、アミスが何をしようとしているのか、直ぐには判断がつかないが、アミスが使役する聖獣で何ができるかの情報は得ている。
魔法に関しても、仲間達に関してもそうだ。
情報にない存在であるラディとミスティアルの2人もいるが、まだ成人したてにしか見えない若造を恐れるコンスタンでは無かった。
ただ一つ、アミスの態度だけが気になっていた。
(モルデリド様は、この俺が姿を見せれば、憎しみを顕わに攻撃をしてくるとおっしゃっていた。それなのに、なんだこの冷静な態度は?)
その視線から、憎しみを持っている事は感じる事ができたが、攻撃を仕掛けてくる気配がない。というより、自分に殺気を向けて来ない事が不思議でならないコンスタンは、逆に冷静さを失いつつあった。
状況だけを冷静に見れるなら、相手が自分の予想通りの行動をしてこなくても、絶対的に有利な状況のはずだった。
だが、予想通りに進まない誤算が、彼の心に小さな混乱を生み、そして、さらに予想外の力が彼の有利な状況を壊していった。
「ティス……」
光っていたアミスの右手から、大きな翅が生まれだした。
情報にない力に、コンスタンは慌てて兵士達への攻撃指示を出すと同時に、攻撃魔法の詠唱を始めた。
兵士達に時間を稼がせている間に、自身が使える攻撃魔法の中でも、最も強力な魔法をぶつけて、相手のやろうとしている事ごと吹き飛ばそうと考えたのだ。
コンスタンは、目の前に見えた翅から、アミス達が飛んで逃げようとしているという予想を強く持っていた。
故に、自身の手持ちの上位魔法の内、対空攻撃力が高いものを選択した詠唱を唱えていたが、その判断がアミスに次なる行動への時間を与えるとは思ってもいなかった。
ラディが、アミスやラスが敵と会話している合間に、ひそかに用意していた魔法を発動させる。
突然生まれた竜巻に、コンスタンの指示で近づいてきていた兵士達の武器は、いくつか吹き飛ばされそうになる。
当然、全ての兵士が吹き飛ばされそうになったわけではない。
飛ばされそうになったのは一部の武器だけだったが、中でもある程度の腕力を必要とする大型武器が竜巻に煽られて、それが他の兵士達の邪魔をして、隊列が大きく乱れる。
そこへ、ミスティアルが風の精霊を纏わせた無数の短刀を投げつけた。
風の精霊同士が協力し合い、ミスティアルの担当は竜巻の影響を受けずに狙い通りに数人の兵士達の腕に命中する。
それにより、武器を落とす者もいれば、動きを止める者、誤って味方に当ててしまう者もいた。
そうなったのはたった数名だったが、それがラディの竜巻によって崩された隊列を落ち着かせる事を許さなかった。
そこへアミスは呼び出した翅を宙へと放つ。
竜巻に視界が遮られていても、コンスタンにはハッキリと見えていた。
その翅によって舞い上がった5人の姿を……
「逃がすか!」
コンスタンの右手から、竜巻を突き抜ける威力の稲妻が走った。
風の防壁に守られているだけの相手を撃ち落とすには充分な威力を持ったその稲妻だった。
別の防御手段を持たない限り、即死させるには充分な……
稲妻は確実に狙った5人を捕らえていた。
その5人が溶ける様に消えていく姿に、コンスタンは自分が嵌められた事に気付いた。
「幻術!?」
わざと油断しているような表情を見せながらも、コンスタンは油断なくじっくりと観察はしていた。
黒い羽根の少年が密かに竜巻の魔法の詠唱をしていた事に気付いていた。
盗賊の少女が、短刀に風を纏わせている事も見逃していない。
ラスやリンが次なる魔法の準備をしていた事も、アミスが呼び出した聖獣≪ 魔女 ≫が【魔法強化】の魔法をアミスが作り出した翅にかけていた事も……
強化された【飛翔】の魔法で飛び出した所を、確実に狙い撃ったはずだった。
だが、狙い撃ったはずの5人が幻術だった事に、コンスタンは完全に混乱していた。
視線を元々アミス達がいた場所へと戻したが、そこにも人影はない。
(ど…どこに!?)
「将軍!!」
叫んだ兵士の視線が、自分の目の前に向いていた事に気付くのが遅れたコンスタンは、急に目の前に見えたリンの蹴りをまともに受けて、弾き飛ばされた。
それは姿が見えないティスが作り出した幻覚だった。
それは限定的で1人だけを惑わすもの。
本来であれば集団相手には効果が薄いもの。
それが充分な効果を生んだ原因は、やはりコンスタンの油断だったのだろう。
自分が手柄を立てる事に拘った彼は、副官に騎士クラスの者を連れてきていなかった。
故に、指揮系統はコンスタン1人であり、コンスタン1人を惑わせば充分な効果を得る事ができたのだ。
ティスが作り出した幻覚である翅やそれによって舞い上がった5人の姿も、コンスタンにしか見えておらず、兵士達にはアミスが右手を光らせた後に5人がコンスタンに向かって走り出した姿しか見えていなかった。
「くっ……」
弾き飛ばされながらも、コンスタンはすぐに短詠唱の魔法で後ろからアミス達を攻撃しようと狙うが、ラスとリンが用意していた魔法を発動させてそれ防ぎにかかる。
「【 氷閃槍 】!」
「【 石礫 】! 大!!」
咄嗟に放った短詠唱の魔法では、時間をかけて準備していた二つの魔法を防ぐことはできなかった。
コンスタンの魔法をかき消され、兵士達と共にまともにそれらの魔法を受けて、更に弾き飛ばされたコンスタンは、そのまま暗くなる視界の先へと逃げる5人を、目で追う事しかできなかった。
多くの兵士達がアミス達を追いかけるが、彼直属の兵士の内、数名がコンスタンを心配して駆け寄った。
「……く……ちくしょ…う……」
与えられた手柄を立てるチャンスを逃し、コンスタンは下唇を強く噛んだ。
しかし、すぐに強がるように呟いた。
「将軍! だ、大丈夫……」
「ふふふふ……、どちらにしろ、お前等は逃げる事はできはしない……、お前等ごときではな……」
悔しさを消し去ろうと無理やり笑うコンスタン。
彼を心配して駆け寄た兵士は、その異様とも感じる笑みに言葉を失い立ち尽くす。
そんな兵士の目の前で、コンスタンの笑いは徐々に大きくなっていった。
ラディ、ミスティアル、そして≪ 風の乙女 ≫。
3人の風の精霊魔法により、移動速度を上げて逃げる5人は、追いかけてくる兵士達をどんどん引き離していた。
しかし、逃走防止の罠により、その風の精霊魔法による魔法力の消費が本来より激しい事に3人は当然気づいていた。
そして、逃げる先に待ち受けている伏兵の気配にも、全員気づいている。
「アミス! このままでは次の妨害を突破する為の魔法力が無くなるよ」
ミスティアルの言葉に、アミスは疲れによる汗を流しながらも、笑顔を向けて返した。
「大丈夫です! もうすぐです。もうすぐですから、頑張って逃げてください!」
「……アミス」
ミスティアルは少し心配になった。
やはり、冷静さを失っているのではないか?
らしくなく強引な行動に出ているだけなのでは?
もしもの時に自分が犠牲になろうとしているのではないか?
そう心配しているのは、ミスティアルだけではなくリンもだ。
そして、リンは気づく。
自分達を見下ろすような位置にいる気配に。
それは知っている気配だった。
(タリサ、あんた……、また、私達を嵌めるつもり?)
感じる気配と匂いの中の一つは、間違いなくタリサだった。
獣人の血を引くリンは、気配と同時に匂いでも潜む存在を判別できた。
その中にいる知っている匂いに、疑念が頭を過っていた。
体調不良により、最近あまり執筆できずに短めです。




