王都ランデル
「まさか、お前が暗殺者から足を洗うと言うとはな……」
グランデルト王国王都ランデル。
治安が良いと言われているこの都市でも、端の方に位置する裏路地までそこまでの治安を維持できるとは限らない。
そんな裏路地の酒場だからこそ見る事ができる光景だろう。
いや、そんな酒場でもそうそう見る事はない光景に、他の客も僅かに興味を示しているが、誰も目線を合わそうとする者はいなかった。
ダークエルフの男女2人組が店の端の席で、酒を酌み交わしていた。
男の方の名前はキル・ロー。
嘗て、魔族に雇われてアミス達を襲い、タリサに負けたダークエルフの暗殺者だった。
暗殺者という仕事に、僅かなプライドを持っていたキルは、その仕事に拘りを持っていた。
それを知っているからこそ、同席の女のダークエルフは、そんな彼が暗殺者を辞めるという話を聞いて驚きを隠せずにいた。
「一度依頼を失敗した暗殺者に、価値はないからな」
キルはそう言うと、グラスの酒を一気に飲み干した。
女は、小さく笑いながらその空いたグラスに新たな酒を注いでやる。
「しかも失敗しておいて、相手に情けを掛けられて生き延びているなんてな……」
「ま、お前が死なずに済んで、私はホッとしているがな……」
「なんだ? そんなに仲間思いだったか?」
そう言って少し驚きの表情を見せるキルに、彼女は静かな笑みを返していた。
(随分と表情が柔らかくなったな……)
彼女と会うのは約2年ぶりの事だったが、久しぶりに会った彼女が昔は中々見せなかった表情を見せてくることに、僅かな違和感を感じていた。
「ま、兎に角、暗殺者家業は辞めたんでな。冒険者として再出発しようと思ったんだが、ダークエルフを受け入れてくれる冒険者ギルドはこのランデルの冒険者ギルドしか思い浮かばなかったんでな……」
「今はそうでもないぞ。ま、元の職業にもよるがな……」
「それが引っ掛かるんだよ。暗殺者だった俺はな……」
2人して笑いあう。
「しかし、お前を負かすとは、相当な実力者だったようだな……」
「ああ、人間の女に負けるなんて考えた事もなかった……」
「女? 魔法使いか?」
「いや、剣士……だったのか? 戦士だったのか……」
「ほぅ……」
キルの実力をよく知る彼女は、素直に驚きの表情を浮かべていた。
「女戦士でお前に勝てそうな実力者など、1人しか浮かばないがな……」
「1人浮かぶのかよ……」
少しムッとした不満の表情を向けるキル。
「正確には女戦士ではなく、女騎士だがな……」
「騎士? そんな奴いたか?」
「ああ、この国にな……」
キルは、不満げな表情のまま、溜息をつく。
「あのタリサとかいう女以外にもいるのか……」
「!?」
キルから出た名前に、口につまみを運ぼうとしていた彼女の手が止まった。
「今、なんと?」
「 ? 」
「その女の名前だ!」
「タ…タリサ・ハールマンだが……」
「……」
明らかに表情が変わったその姿に、キルは驚きながら訊ねる。
「知っているのか?」
「ああ、それならお前に勝てたとしても不思議ではないな」
「? 何者……」
「悪い。詳しく何があったか教えてくれ」
キルが訊ねるより先に、彼女の方から質問が飛ぶ。
仕方なしに、説明を始めるキル。
依頼を受けた流れとターゲット、そして、どういう決着だったかを……
「どうした? レン。何か気になる事でもあったか?」
レンと呼ばれた女ダークエルフは、すぐに反応を返さなかった。
考え込む仕草で固まってしまっている。
そして…
「なるほど、そう言う事か……」
「 ? 」
「キル……」
「なんだ?」
「お前の冒険者としての最初の仕事の依頼者だが……」
「ん?」
「私がなろう」
「は?」
「いいから、着いてこい」
「……」
キルは唖然とする。
そんなキルの事を気にした様子もなく、レンは動き出していた。
酒場の会計を早々に済ますと、キルがついてきている事すら確認せずに酒場から出ていく。
キルは状況を理解できなかったが、仕方ないとばかりに溜息をつきながら後に続いた。
「何をしにいくんだ? それだけは教えろ!!」
追いかけながらのキルの言葉に、レンは一度立ち止まり、振り返って言った。
「人助けだ」
「は? マジか? お前が人助け?」
「生きる道を変えたのは、お前だけじゃないって事だ」
そう言って、軽く笑みを浮かべると、レンは再び走り出して、小さく一言。
「間に合えばいいがな……」
それはキルにも聞こえないぐらいの、小さな声だった。
まるで、祈るような……
ラスとリンは、互いに不機嫌さを隠さずにじっとしていた。
そこは暗黒騎士団が用意した馬車の中。
捕らえられたという認識なのだが、不思議な事に拘束もされていなければ、見張りもついていない。
武器すらそのまま持たされている状況だった。
そんな無警戒な状況が返って2人を更に苛立たせる。
「逃げてもいいとは言っていたが……」
リンの口から独り言の様に出た言葉。
それはタリサが、ラスとリンに言った言葉だった。
タリサは、自分の目的は、アミスを国に連れて行く事だけだと言い、2人には寧ろ逃げる事を薦めてきたのだ。
その言葉の真意はわからなかったが、自分達がどういう返事をするかわからないタリサとは思わなかった。
長い付き合いではないとは言え、それぐらいは予想がつくやり取りはしてきたはずだ。
「もしかしたら……」
「……」
「本当に逃げて欲しかったのかもしれないな……」
「……」
リンの言葉を聞き、ラスは黙ったまま目を閉じた。
タリサが言った言葉を思い出す。
先程の言葉だけではなく、昨晩や出会ったばかりの時の言葉を……
今考えても、違和感がある言葉が多かった。
それが返って、自分達を騙しているとは思わせなかった。
どう考えても、騙そうとしている者の言葉ではなかった。
「そうかもしれないな……」
「でしょ?」
「だがな……」
ラスの目付きが鋭くなり、その視線を受けてリンも言葉を飲み込む。
「あいつが、アミスの優しさに付け込んだ事には変わりはない……。もし、アミスに何かあれば、絶対に俺が奴を殺す」
「……殺させないよ。アミスは絶対に死なせはしない。あんな良い子が死んじゃいけないんだ」
リンの覚悟であり、願いだった。
その為に一緒に旅する事を決めた。
このまま死なせては、自分が何のために同行を願ったかわからなくなる。
意味がなくなってしまう。
故に、自分達だけが逃げるという選択肢を、リンは絶対に選ぶわけがないのだ。
自分の事を顧みずに、他人を守ろうとするアミスの心に、リンは惚れ込んでいた。
「そうだな……、その為に一緒に捕まる事を選んだんだ。絶対に助けるぞ」
「当たり前!」
リンの反応に、ラスはようやく表情を崩した。
「とりあえず、寝る」
「へ?」
ラスは馬車の中で横になった。
突然の行動に目を丸くするリンに、ラスは眠る態勢を作りながら言う。
「とりあえず、全ては向こうについてからだ。今は身体を休ませとけ。じゃないと、いざという時に何もできないぞ」
「……どんな神経してるのよ、あんたは……」
リンは呆れたが、何もすることがないのも事実なので、素直に従う事にする。
「あんたも変わってるね」
「お互い様だろ……」
その言葉を最後に、ラスからの返答は無くなる。
本当に眠ってしまったのか、リンにはわからなかったが、少なくとも自分は眠りにつけるはずはない事はわかっていた。
アミスを死なせないとは言ったものの、どうすればいいかわからない。
不安だけが心を包む。
その不安を和らげる為にも、話し相手が欲しかったが、唯一の話し相手は眠りについてしまった今、リンは不安を自分で抑えるしかなかった。
「でも、絶対に……」
心を強く持とうとするリンだった。
アミス達が捕まって10日間が経過し、ようやく一団は首都ランデルに到着した。
首都に到着すると出迎えがあり、直接騎士団の屋敷へと向かうように指示が出ていた。
既に陽も落ち切っていたので、報告は明日にと考えていたタリサも、指示が出ているのであれば仕方ないと、捕らえたアミス達をどうするかの指示を部下達に出してから、単身で屋敷へと向かった。
「只今、戻りました」
「ご苦労。よくやってくれた。流石は闇氷河将軍……」
部屋で待っていたのは、騎士団団長のゼオル・ラーガと副団長のモルデリド・ジェル・クリセルの2人。
タリサは部屋に入り一礼をすると、勧められてから席に着きながら言葉を返す。
「いえ、他の者の方が、スムーズに事は進んでいたかと……」
「謙遜とは珍しいな」
ゼオルが笑みを浮かべながらそう言うと、タリサは真剣な表情で更に返した。
「私には、こういった役は合いません。次回は別の者へ命じてください」
「そうか……、貴殿が合わないと言うのもわかるが、今回のターゲットに限って言えば、この役は貴殿以外に考えられなかったのだ」
「私が、女だからですか?」
「それもある……」
「あのアミス・アルリアならば、相手が男でも同様な対応をしてきたと思いますが……」
自分が命じられた事が、納得いっていないタリサは、尚も反論する。
「女であれば、我が部下にも優秀な者がいましたがね」
モルデリドも今回の事には納得いっていなかったのか、そう口を挟む。
「いや、結果的に、将軍でなければ成功していなかっただろ? な? タリサ?」
「……」
「……」
タリサもモルデリドも黙り込む。
本当に結果論だけでいえば、他の者がこの任についていたらアミスを捕らえる前に、その者は命を落としていただろう。
それだけ、タリサがアミスと共に戦ってきた相手は、厄介な相手ばかりだった。
暗黒騎士団内でも上位に位置する実力者のタリサですら、一歩間違えていれば命を落としていたかもしれない。
少なくとも、将軍職ではないモルデリドの部下では相手になっていなかっただろう。
モルデリドもその情報は仕入れていたらしく、それに関しては反論しようもなかった。
「まあ、よい。帰って早々呼び出してすまんな……、詳しい報告は明日聞くつもりだったのだがな、どうしても副団長が話をしたいというのでな」
「そう言う事ですか……、それで、何を?」
タリサは、モルデリドに目を向けて訊ねる。
「貴殿から見て、あの者達はどうなのだ?」
「どうだとは、どういう意味でですか?」
その真意を捉え切れない問に、タリサはぶっきらぼうに答えた。
正直、精神的な疲れを感じている今の状態で、元々得意としていないこの男の相手をするのはきつく感じていた。
「モルデリドよ。例の話は、まだ将軍にはしていないのだから、そんな訊き方をしても答えようはあるまい」
「例の話?」
「本当にすまぬな。将軍が留守にしている間に、色々な話し合いがされていてな、将軍が無事に任務を達成した時に、アミス・アルリア達をどうするかという話が議題にあがったのだ」
「……それで?」
タリサは目を細めて訊ねる。
「まずは、当初の予定通りに、アミスの聖獣を使った研究をさせてもらう。問題はその後なのだが……」
「殺すつもりなのですか?」
その質問を敢えてモルデリドに向けて投げかけるタリサ。
団長にはその考えがない事は判っている。
そういった提案をしそうなのは、目の前にいる老将軍しかいない。
「誤解をしないでもらいたい。わしとてその案が主ではない」
(主ではなくとも、考えはあるという事か……)
「そうなのですか? すみません、私はてっきり……」
「今、主となっている案は、私の下につけるという案だ」
答えをはっきりと言ったのはゼオルだった。
その言葉を聞き、タリサは少し考えたがすぐにその案は浅はかだと思った。
タリサの表情を見て、それを感じ取ったのか、ゼオルがすぐに次の言葉を付け加えた。
「ま、こんな連れてき方をして、我が下につけと言って了承するとは思えんがな……」
「ならば、やはり……」
「今回の仕事を受ける時に出した条件を、お二人共お忘れではないと思っておりますが……」
モルデリドが次なる案を出す前に、タリサが先んじて釘を刺しにかかる。
「忘れてはおらぬぞ。な? 副団長……」
「……そうですな」
そう返事しながらも、次に出す言葉を止めざるをえないモルデリド。
「そうですか……」
タリサが出した条件。
アミスを捕らえる理由が聖獣の研究の為と聞いた上で、騙して捕らえる役を受ける代わりに、捕らえたアミス達を生かすも殺すも、タリサの許可を得なければならないという条件を突き付けて、それが了承されていた。
騙して自分が捕らえた相手が、勝手に殺されるのを認めるたくはなかったのだ。
殺すにしても、自分の責任でやるべき。
騎士として、この国に、そして、この国の王に仕えると決めた時に、自分に課した責任だった。
もしも、アミスが自分達と敵対すると言うなら、自分の手で……
「ま、疲れているというのにすまなかった。戻ってゆっくりと休め。明日は昼からの勤務で良い」
「そうですか……? ではお言葉に甘えさせてもらいます。では……」
タリサは2人に対して頭を下げると、そのまま部屋を出ていった。
そんな後姿を見送りながら、モルデリドは小さく舌打ちをしていた。
扉が閉まった後だった為、本人は気づかれていないと思っていたかもしれないが、タリサには聞こえていた。
部屋を出てから少し進んだ場所で立ち止まると、タリサは深い溜息をついた。
「やはり、私とは合わんな……」
モルデリドの言葉や態度を思い出して、もう一つ溜息。
そして、屋敷を後にしようと右足を一歩出した所で、人影に気付き再び立ち止まるタリサ。
「お疲れ……」
「エリフェラスか……」
廊下でタリサを待っていたかのように立っていた知衛将軍エリフェラスの姿に気付き、タリサは少し気を抜いたような表情を見せた。
それに対して、エリフェラスも笑みを返し、歩みを再開したタリサの横に並ぶ。
タリサは、張り詰めていた気が緩んだ様子で、それに気づいたエリフェラスは
「本当に疲れているな……」
と、呟き、タリサは深い溜息をもう一度して、
「こういった仕事は向かないと実感しているよ」
「お前は、基本的に素直な性格だからな……」
「そうか……?」
自分の性格の事を、未だ自分でもつかみ切れていないタリサ。
子供の頃から、この国の王に仕える事を目標に自分を鍛えてきた。
その為に、自分を作ってきた。
身体能力、技術、知識、そして、考え方。
全てを王の為に作ってきた。
そんなタリサだからこそ、自分自身でも自分の本当の性格がわからなかった。
その鍛えた能力により、成人してすぐに将軍職に就いた。
真権皇騎士団が創設されたばかりの頃であり、敢えて若いメンバーを主に選任されたという事情もあったが、その中でも特に若かったタリサは、その選出に後ろ指を指されない様に努力を続けて、今では、将軍職の筆頭的な位置にいる。
団長のゼオル、知衛将軍エリフェラス、そして、タリサ。
若くして地位も権力を得た彼等に嫉妬し、快く思わない者も多く存在しており、それが判っているからこそ、努力を続けて将軍としての自分を作り出してきたのだ。
仲間達からも嫉妬や畏怖の目を向けられているタリサにとって、本当の意味で信頼できるのは、同様に若くして地位を得ているゼオルやエリフェラスだけだった。
エリフェラスも、同様な感情を持っているのか、他の者がいる時と、タリサやゼオルしかいない時とでは、見せる表情は違っていた。
「それでも、やり遂げてしまうから、何でも任されてしまうんだ。それが嫌なら、失敗する事も必要だぞ。自分には向かない仕事があると判ってもらう為にはな……」
「お前の様にか?」
「ああ、そう言う事だ」
タリサは、エリフェラスが巷の評価の様に知恵だけの男でない事は知っていた。
その評価を敢えて作るように、強さを隠している事も……
「私には、お前の様に器用にはできんよ」
「ああ、そうだな。そういう所が素直だって言ってるんだよ」
「……なるほどな」
「ま、少しゆっくりすればいいさ」
タリサを労り、そう言ったエリフェラスに、タリサは首を横に振った。
「いや、まだゆっくりとはできんよ」
「……」
「彼等を死なす訳にはいかないからな……」
「……彼等……、アミス・アルリア達の事か?」
「ああ……」
エリフェラスが、顎に左手を添えて少し考える。
「副団長は、殺すつもりと思うか?」
「ああ、あの老人はそう考えているはずだ」
「やはりか……」
「やはり? お前をもう思っていたんだな」
エリフェラスは頷き、今度は右手で頭を掻いた。
「私は、彼等を死なすつもりはない。彼等から敵対してきたのなら、容赦をするつもりはないが、こちらの都合で巻き込んでいるのだからな」
「俺も、アミス・アルリア達を殺すことには反対だ」
自分を『俺』と呼び、やや乱暴な口調のエリフェラス。
この姿も、タリサを含めた一部の者にしか見せない、素の姿だった。
「お前は、何でそう思うんだ?」
「アミス・アルリアの家族だ」
「ん?」
「あの家族を敵に回すのは、得策ではないと思ってな……」
タリサは、アーメル・アルリアの実力を思い出して、納得した。
「父親は、あの数倍の実力者らしいぞ」
「想像しただけで、身震いするな……」
タリサも想像して心の中で恐怖を感じていた。
「じゃ、俺も死なせない様に対策しておく……」
「ああ、そうしてくれ」
「ま、その為に駒は増やしておいたからな」
「駒?」
エリフェラスは、一瞬楽しげな笑みを浮かべたが、すぐに真剣な表情に戻り、
「ま、タリサは、下手な動きを見せない方がいい。口だけで行動するのは止めておけよ。行動は俺に任せてな」
「そうは言ってもな……」
「下手な行動すると、団長でも庇いきれなくなるぞ」
「……」
タリサは少し悩んだが、
「わかった。エリフェラスに任すよ。お前も気をつけろよ。私以上に目をつけられているのだからな……」
「だからこそ、逆に動きやすいのさ……」
そう言い残し、エリフェラスはタリサと別れた。
その後姿を見送ってから、タリサも帰路につく。
数少ない、安心できる場所へと……
目を覚ましたアミスは、そこがどこだかわからなければ、何が起こっているのかも解らなかった。
周りを見渡して、恐らく牢屋らしき部屋だと判断し、冷静に思い出そうと考える。
「そうだ、黒鎧の人が出てきて……、警戒していたら急に眠くなって……」
何者かに眠らされて捕らえられた事を理解し、自分一人である事に、少し慌てそうになるが、『冷静に』と自分に言い聞かせて、更に思考を続けた。
服装は変わらないが、杖や魔法道具類は無くなっていた。
杖がないという事は、聖獣は側にいないという事だった。
あと、懐にティスの気配も感じない。
完全に自分一人の状況。
「ラスさんやタリサさんは無事なのか……」
自分の心配より、仲間の事が気になってしまうアミス。
その心配相手であるタリサに捕らえられたなんて、これっぽっちも思っていなかった。
辺りを見渡しながら、部屋の壁や、扉に触れてみる。
「魔力を中和する魔法がかけられてる……」
魔導士である自分を捕えている以上、それなりの処理が施されている部屋なのは当然だった。
故に、それ自体に慌てる事はない。
「とりあえず、事情を知りたい所ですけど……」
周囲の気配を探ってみるが、物音などは聞こえないので、もしラス達も捕らえられているとしても近くにはいないようだった。
とりあえず、今は無事を祈るしかできる事はなかった。
「漸く、目を覚ましたようだな……」
「!?」
一切気配を感じなかった先からの突然の声に、アミスは声も出せずに驚く。
扉の小さな窓から、声の方向へ目を向けたが、灯りの明るさが足りずに、そこに人がいるシルエットすら確認できない。
暫くすると、その人物が近づいてきたのか、黒い影が見えてきた。
その動きはゆっくりであり、アミスは更に近づいてくるのを待つ。
足を引きずるような動きが確認できるようになり、そして、その足が間接の無い木の棒である事が解るようになってくる。
更に見えるようになってきた右手には、食事が乗ったトレイがあり、それを落とさない様に慎重に歩いている為、少しずつしか進めないようだった。
その人は、扉の目の前まで来ると、ゆっくりとしゃがみ込み扉の下にある隙間からそのトレイを室内へと押し込んだ。
そこで確認できた顔は、片目を失っている老人に見えた。
「腹が減っているだろ? まずは食べると良い」
「……あなたは」
「まずは食べろ」
「はい……」
床に座り、その前にトレイを置き、その食事に目を向けると、お腹が空腹を伝える音を出した。
食べ物を目の前にして、漸くお腹が空いている事に気付くアミス。
「魔法で仮死状態になっていたので、その間は身体の機能が動いてなかった為に、空腹感はそれ程ではないかもしれないが、既に10日程何も食べていないと聞いているぞ」
「10日間も?」
アミスは驚きの声をあげたが、その後は老人は何も言わなかった。
まずは食事を取るべきだろうとアミスも、言葉を出さずに食事を始めた。
決しておいしい物ではなかったが、アミスはゆっくりと噛みしめて食べる。
途中、何も警戒せずに出された食事に口をつけた事に、慎重さが足りないかと思いもしたが、状況を考える限り、自分を殺す気があるなら既に命は無かっただろうと結論付けて、余計な考えを止めて食事に集中する。
そして、食事を終えて、
「ご馳走さまでした……」
と、丁寧に口にすると、扉の下から空になった食器類を戻した。
「ご馳走と呼べるものではないがな……」
ぶっきらぼうな老人の言葉に、アミスは静かに笑みを返していた。
老人は、トレイを受け取るとそれを横にずらして、扉の前に座り込む。
「さて……、訊きたい事もあろう?」
「そうですね……、まずはここがどこなのかを……、後、仲間がどうなったか? この二つを訊きたいですね」
自分が不思議と落ち着いている事に、少し驚きながらもアミスは静かに訊ねた。
その質問は予想通りのものだったのだろう。
老人は考える素振りも見せずに、すぐに答える。
「ここはランデルにある、とある地下牢だ。そして、お前の仲間達はこの地下牢の別の階にいる」
「全員無事なんですか?」
「わしの担当ではないので、詳しい事は答えれぬが、2人共命は取られてはおるまい……」
「2人? 仲間は4人いるはずですけど……」
ティス、ラス、タリサ、リンの4人の事が頭に浮かんでいるアミス。
「……あの使い魔もか、ま、無事だろうな……」
それでも3人。
アミスの頭に嫌な予感が過る。
「あの……タリサさんは……?」
「……」
老人の沈黙に嫌な予感が強まり、アミスから落ち着きが無くなっていく。
「タリサさんは……」
「あの御方は、お前の仲間ではない」
「……」
アミスの頭を、あの時のタリサの言葉が過る。
タリサは、必死に教えてくれていた。
自分は味方ではない事を。
アミスを不幸にする存在である事を。
それを自分自身のエゴでしかなかった考え方で、気づけずに無視して、ラスとリンを巻き込んでしまった。
だが、アミスはまだ後悔はしていない。
まだ、ラスとリンとティスが無事なら問題はなかった。
そして、無にしてしまったとはいえ、敵である自分に逃げ道へ誘導しようとしていたタリサの優しさがわかり、自分が信じた人は決して悪人ではないと思えたからだ。
口に出せば、馬鹿にされてしまうだろう甘い考えだとは充分に判っていた。
しかし、それがアミス・アルリアという男なのだ。
「目的は何なんでしょう?」
「…すまぬな。それについては答えれぬ」
「そうですか……」
「勘違いするな。わしは目的を知らぬだけだ。ただの監守だからな……」
「わかりました。ありがとうございました……」
「もう質問はないのか?」
「はい……」
相手が動くまでは、これ以上の情報を得られないだろうことを理解したアミス。
ただ、一つの予想がつく目的はあった。
自分を捕えるのを指示したのが、あの人物なら……
あの時に共にいたゼオル・ラーガという人物なら……
(でも……、譲ってくれたんじゃないんですか? ゼオルさん……)
少し悲しげな目で、アミスは薄汚れた牢の床を見つめていた。
未だに思い出すと辛く悲しい、初めての冒険の事が頭に浮かんできていた。




