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あれから約二週間が過ぎた。
それはそれは毎日が忙しかった。
何をするにも、どこを掃除するにも全てが一日がかりなのだ。もちろん、一日で終わらない場所だってあった。
そして毎日、朝一番にこの家の主に挨拶に行くことにしていた。
とは言っても、ドア越しにだけどね。
トントンっ
「・・・」
もちろん今日も無視。
でも、めげません。
慣れましたし、もともと、期待もしてませんし。
「おはようございます。食事を用意しておきました。コーヒーは自分で淹れてください。
今日はリビングを中心に掃除する予定です。もし動かされたくない物がありましたら、早目に移動をお願いします」
「・・・」
そしてもちろん、返事はなし。
「では、失礼します」
やっぱりこの人の家だから、勝手に何かやる訳にはいかないじゃない。
それに術師の家だけあって、なんとなく危険そうな物もゴロゴロ転がってるからね。
だから返事がなくても、今日の自分の一日の行動だけは伝えようと思ってるわけ。
私が勝手にここに住みついて、掃除をしても、ご飯を作っても、彼はあれ以来何も言わなかった。
けど、たまにだけど、ふと気づいたら、私のことを見ている時がある。
視線に気づいて、話しかけようかな、なんて思っている間に彼はいなくなってしまうけど。
別に何も言われないなら、このまま勝手にやってやろうって思うんだけど、
やっぱり、ちょっと、寂しいかも…。
けど、ちょっとだけ、彼に変化があった。
それは、いつの間にか食事がなくなっていること。
彼がいつ食事をしているのかは分からないけど、気づいたら、空のお皿が残っている時がある。
とは言っても、料理がそのまま残っている時の方が多いけど。
初めて彼が料理を食べてくれた時は、思わず「やった!」って声を出してしまったわ。
その日は一日中、なんだか嬉しかった。あえて彼には、何も言わなかったけどね。変にへそ曲げられたら堪らないし。
でもいつかは、一緒に食事が出来たらいいなと、思うようになったのは、私の変化。
今日もお掃除、頑張ろう!
「…コーヒー」
んっ?何か聞こえたような。
掃除をはじめて、だいぶ時間が経過していた。掃除への集中が、ふと途切れた時だった。
気のせい?そう思いながら振り返ってみると、ダイニングテーブルに、彼が座ってこちらを見ていた。
「いっ、いつから?!」
「結構前から」
まったく気づかなかった。もっと気配を出してほしいわ!ちょっとバツの悪い思いで掃除をいったん中止し、キッチンで手を洗ってコーヒーを準備する。
初めてだ。
彼から、こんな風に話しかけられたのは。
それは純粋に嬉しかった。
少しだけ、自分が認められたような気がした。
少し緊張しながら、彼の前にコーヒーを置く。
それからどうしたらいいか分からなくて、挙動不審にキッチンに戻ってしまった。
彼は、そんな私を気にした様子もなく、コーヒーを啜っている。
何か言うわけでもなく、そして当然のように、用意していた食事に手をつけた。
だいぶ冷めてしまっているだろうに。
「作りなおす?」
って、思わず口をはさんでしまった。
内心しまったと思ったが、一度出た言葉はひっこめることは出来ない。
「…これでいい」
彼はこちらを振り向きもせずに、一言だけ言った。
(…これでいい)
心の中で、彼の言葉を、そっと、つぶやいてみる。
ドキンっ
たった一言。
それだけで、心臓が跳ね上がった。
どうしよう
どうしよう
なんだか、
すごく、嬉しい…。
なんで?
たった一言なのに。
別に、おいしいとか、ありがとうとか、そんな褒められたわけでも感謝されたわけでもないのに。
でも、こんなにも心が弾む。
今にも鼻歌を歌いだしてしまいそうなぐらいだ。
思わず顔がほころんでしまうのが自分でも分かる。
セイラはそれを隠すように、慌てて後ろを向き、キッチンに残っていた洗物を始めた。
しばらくすると、彼がダイニングから出て行った気配がした。
残ったのは、空のお皿。そのお皿を見て、身体はじんわり温まり、心臓がギューッと縮こまるような感じなのに、心は羽を持ったように浮かれるのだった。