これからの道と試練の町
俺と灯里ちゃんは近くのガソリンスタンドまで歩いてきた。
先程から灯里ちゃんは、慣れない地上世界の空気に少し興奮しているようだった。
「す、凄いです!空気が美味しいってホントのことだったんですね!」
深呼吸を繰り返しながら、彼女は嬉しそうに足をぱたぱたさせる。
「俺も3年ぶりだよ、この空気。」
俺も深呼吸をして、肺に溜まった汚れた空気を一気に吐き出す。
さて、これからどうしようか。
俺達は今、なんの情報も持っていないのだ。
地上世界がどんな状況なのかもわからない。
目線を上げると、灯里ちゃんの紅の瞳が俺を見つめていた。
「どうかした?」
聞かなくとも、彼女の聞きたい事など分かってる
「あ、いや。その、これからはどうするんですか?」
俺は苦笑いを浮かべる
「実は何も決まってなかったり。とりあえずこの周りをうろついて足を確保しなくちゃね。」
「足、ですか?」
灯里ちゃんは自分の足を見つめる
「そう、俺達はこれから色んな所に行かなくちゃいけない。でも俺達の足は遠くに行くまで長い時間がかかる。それに疲れるしね。」
「私なら、大丈夫ですよ?」
「あはは、心強い。だけどね、これからはどれだけ体力を残しておけるか、が大切なんだ。怖い怪物にいつ襲われるか分からないからさ」
なるほど、という顔をする灯里ちゃん。
それから窓の外を見回すが、怪物はいない。
「話に聞いた程、怖い怪物はいないですね」
と少し以外そうな顔をする。
「ここはそうみたいだね。奴等は基本集団で移動することが多いんだ。だから近づいてきたらすぐわかるよ。」
分かってからが大変なのだが
俺はソファーから立ち上がって彼女に手を差し出す。すこし躊躇ってから、その小さな手を重ねた。柔らかい、小さな手だ。
「さて、これから車かバイクを探そう。って、灯里ちゃんは見たことないか」
「車、バイクですか……。それが足ですか?」
地下都市はそこまで広くないから、基本人達は歩きが自転車で移動していた。
車やバイクを知らないのも無理はない。
「昔の人達は出来るだけ疲れないで、より遠くまで行けるように、タイヤが着いた大きな箱を作ったんだ。その中で人が座ってハンドルを握る。
箱は特別な液体を入れると勝手に走り出すんだ。」
俺の話を聞いて、彼女は目を丸くする。
「勝手に走るんですか?まるで生き物なんですね!」
「すごいぞー、俺も何回も乗ったことがある。
足でレバーを踏むとグングン進むんだ。」
「へー!それだと、わたし達は全然疲れないんですね!見てみたいなぁ」
本当、この子は教えがいがある。
俺の一言一言に目を輝かせてくれる。
春信が可愛がるわけだ。
「もしかしたらすぐに見つかるかも。今俺達がいるのは、その魔法の液体を売っていた場所だから」
ここはガソリンスタンドだ。
しかも作業場にはシャッターがしまっていて、まだ開いていなかった。
そこには多分車の一台くらいあるだろう。
俺は休憩室を出て、シャッターの前に立つ。
錆び付いて重いシャッターだったが、力を込めて上げるとなんとか開いた。
中には一台のトラックがあった。
荷台には工事用具箱が積まれている。
よしよし。想像通りだ。
中に入っていろいろ試してみるが、問題なさそうだ。
休憩室で待たせていた灯里ちゃんを呼ぶ。
すぐに駆けつけた彼女は目の前のトラックを見て、わぁー、と歓喜の声を上げる
「こ、これが車ですか?」
「そうだよ。これからはこれに乗って移動しよう。楽しいよ〜、外の景色を見ながら移動できるからね」
俺の言葉で、さらに彼女の笑顔が深まる。
こんな可愛い子を、あの首相はずっと外に出さないでいたのか……
「すごいです!私、早く乗ってみたいです!」
最初、俺と初めて会ったときはあんなにガチガチに緊張していたのに。
今の姿は完全に無防備で、年相応の姿だ。
「そうだね。でもあんまり急ぐのは良くない。
まずは何処かで地図か何かを探そう。それから周辺を見て回ってからな。」
灯里ちゃんはすこし残念そうにしたものの、すぐに切り替えて、
「お散歩ですね!わかりました!」
笑顔を返してくれる。
なんと可愛いことか。
だけど、これからの散策は危険だ。
近くに街があったが、確実にそこには怪物がいるだろう。
どんな奴がいるかわからない。
気を引き締めていかなくては。
「お散歩をはじめる前に、灯里ちゃんに話して置かなくちゃいけないことがある。」
俺は緩んだ顔を引き締めて、彼女に目線を合わせる。
「これから俺達は街に入るんだけど、そこには絶対、怖い怪物がいる。出来るだけ戦いたくないけれど、もし戦いになったらとても危険だ。
絶対に俺のそばを離れないで。約束な?」
灯里ちゃんは笑顔を引き締めて、こくりと頷く。
「絶対に離れません」
「よし。それなら俺は絶対に君を守れるよ。
安心して。お兄ちゃんは強いからさ」
彼女の言葉に、絶対の信頼が感じられて少し恥ずかしかったから、ちょっとおどけてみた。
だけど俺の言葉に、彼女は笑顔で、
「知ってます!春信おじさんが教えてくれました!」バカにすることなく言い切る。
俺はついつい灯里ちゃんの頭に手を置いてしまう
素直な子供ほど可愛いものはない。
「よし、それじゃあ街に行こう。楽しい旅はそれからだ」
楽しい旅。
果たしてこれからの旅は楽しいのだろうか?
地上世界で俺は何度死にかけたかわからない。
いい思い出など、あまりない。
なのに、「はいっ!」と笑顔で答える灯里ちゃんの姿は、俺を少しだけ前向きにさせた。
大丈夫。俺は負けない。
この子を守るためにも、強くなくては。
◆◆◆◆◆
ガソリンスタンドを一旦出た後、俺達は近くの街に来ていた。
目的はここら周辺の地図とこれから役に立ちそうな物。
この街は港町として栄えたのであろうが、今は海風の影響で赤茶色に錆び付いている。
まず俺は近くにあったビルの中に入った。
一応刀に手を付けつつ、周りを警戒する。
「大丈夫、かな。灯里ちゃんこっちに来て」
「は、はい……」
それから階段を上り、屋上の扉をゆっくりと押す。しかし、錆び付いてかギィ、と嫌な音がする。
俺はバックから油を取り出し、それを蝶番にさして扉を前後させる。
「なにをしてるんですか?」
灯里ちゃんが不思議そうに俺を見ている。
「こんなふうに錆びちゃった扉を無理に開けようとすると、大きな高い音がでる。そうすると怖い怪物たちが近寄ってきちゃうんだ」
灯里ちゃんは怯えたように辺りを見回す。
「ははは、大丈夫。だからこうやって油を指すとね、ほらこんな風に……」
錆び付いた扉は音もなくスムーズに開いた
「わっ!すごい」
「ありがと、さぁこれからもっと凄いものを見せてあげる。こっからは声を出さないように」
俺は背中のスナイパーライフルを構える。
M14といったか、名前は詳しく覚えていない。
扉を開いて外に出ると辺りの景色を見渡せる屋上だった。
後ろには広い海も見える。
後ろの彼女は、律儀に俺の言うことを聞いて口に両手を当てている。
だがその両眼は興奮と感動で輝いていた。
さて、俺はうつ伏せになってライフルを構え直す。スコープを除きながらはじめるのは辺りの偵察だ。
周りにどんな建物があって、どんな怪物がいるのかを探る。
そして嫌なものが視界に入ってしまった
「うわぁ、まじかぁ」
ここから3キロ程度離れた所、細い身体に足が五本のムカデみたいな奴が群れをなしている
あいつはリリックだ……
単体での攻撃は大したことない。高速ではってきてその鋭い顎で噛み付いてくるだけ。
しかし集団で、となるとこれほど厄介な奴はいない。
ゆっくりとマガジンに弾をこめる。
バレルの先端にサイレンサー(消音器具)をはめる。
「灯里ちゃん。これからちょっとだけ仕事をするからびっくりしないでね」
俺が話しかけると、彼女はそっと俺のそばにかがんで頷く。
引き金にかけた指に力を入れる。
ボスッと枕を叩いたような音がすると、スコープに映るリリックが倒れる。
それから立て続けにコッキング(銃身のバレルにマガジンから弾を送る動作)を繰り返し、引き金を引く。その度にスコープに映るリリックは倒れていく。
五体のリリックが頭から血を流し倒れていることを確認して俺はマガジンを外す。
「よしっ。」
だいたい1.2kmくらいの距離だったが、まだ鈍ってなかった。
隣で灯里ちゃんが目を輝かせてる。
「さあ、景色も見れたし、探検を続けようか」
俺が手を差し出すと、ぱっと起き上がって俺の手を握る。
「はいっ」
◆◆◆◆◆
先程のビルから確認できたのは、リリック五体だけだった。
しかし、あのビルから見えなかった敵がいる可能性が大いにある。
できれば、灯里ちゃんの前で血を見せたく無いのだけれど。
「あの、私に何かできることはありますか?」
灯里ちゃんは上目遣いで俺を気遣ってくれる。
「そうだなぁ、今はまだ無いけれど、これからちょくちょくお願いするかも」
柔らかな彼女の髪を撫でる。
「はい!わかりました!」
ニコニコと嬉しそうに笑う彼女は、俺の緊張を良い感じに解いてくれる。
「さ、これから本屋に行こう。ここら辺の地図を手に入れなきゃね」
これからは大通りにでる。
気を引き締めて行こう。
大通りに出ると、色んな建物が倒れていたり、車がそのまま風化していたり、まさに終わった町だった。
意外とすぐに本屋は見つかる。
「このお店はなんですか?」
大きく「本」と書かれた看板を見上げて灯里ちゃんは首をかしげる。
「ここは本屋さんで、昔はたくさんの人がこんな感じのお店で雑誌とかを買っていたんだ。」
本屋の中にゆっくりと入る。
時間のたった建物の、なんとも言えない埃臭さが漂う。
灯里ちゃんもすこし顔をしかめる。
暗い店内だ。
耳を澄まして見るが、怪物たちの気配は感じない。
「灯里ちゃん、足元とか気を付けてね。」
「は、はい。暗くてすこし怖いですね…」
バックパックからハンドライトを取り出す。腰のホルダーからハンドガンを取り出してスライドを引く。
割と大きな本屋のようで、床には風化した本や雑誌などが落ちている。
この中から地図を探さなくては。
「灯里ちゃん、地図って書いてある本を探してくれない?」
「ひ、一人でですか?」
そうだった、灯里ちゃんはまだ小さい女の子なんだから、ここは確かに怖いだろう。
「ごめん、ごめん。じゃあ二人で一緒に探そうか」
「すいません…ありがとうございます」
◆◆◆◆◆
小一時間ほど探した結果。
3冊ほど、ボロボロの地図は見つかった。
しかし悪いことにそれから雨が降り出した。外はかなり土砂降りで、俺たちは仕方なくこの本屋の中で雨宿りすることになった。
屋根に大量の雨が打ち付けられて、バチバチと激しく音をたてる。
さっきまでは太陽こそ出てはいなかったものの、あたりは明るかった。
今は分厚い雲が空にかかり、あたりはかなり暗くなった。
「すごい雨ですねぇ。」
やることも無くなった俺たちは椅子に腰掛けながら話していた。
「海の近くの天気って変わりやすいのかな?結構いきなり降ってきたし。」
しかし、あらかた話終わると再び沈黙が訪れる。
雨が窓を水浸しにする景色を見ながら、俺はふと、昔のことを思い出していた。
あの時も、確かこんな天気だった。
今は昼だけれど、あの時は夜だったうえにもっと足場の悪い場所だった。
番人とあってしまったあの日。
俺たちは逃げるしか無かった。
「雨の日ってのは、あんまり、良い気分がしないね」
隣に座っている灯里ちゃんが顔をあげる
「どうしてですか?」
「昔、こんな天気の日に嫌なことがあってさ。それからどうも苦手なんだよ」
「あ、す、すいません…」
「あ、いやいや気にしてないから、だいじょぶだいじょぶ」
しまった、暗い空気を作ってしまった。
隣に座る灯里ちゃんはきまづそうに顔を伏せている。
無言になると彼女の綺麗な髪と、小さな顔に意識がいく。
まぁ、あの春信の血を引いてるしなぁ。
なんとなく彼女の頭を撫でると、ちょっとびっくりした顔をしたものの、そのまま撫でられてる。
ふと、懐かしい仲間の顔を思い出した。
真っ赤な血で綺麗な髪をベタつけて、涙でぐちゃくちゃになったあの子の事を。
俺はこの子を、あんな風にしちゃいけない。一度失いかけたこの命は、この子のためにある。
「あ、あのぉ。義人さん…」
いつまでも撫でていると、真っ赤な顔をした灯里ちゃんが声を発した。
「なに?」
「い、いつまでこうしてる、のかなぁと」
「いや?」
「いや、いやでは無いですけど…」
「冗談、ごめんごめん」
灯里ちゃんはすこし俺から距離をとってしまった。残念。
そして、ぶすくれた灯里ちゃんを片目に、雨で濡れた窓から景色をのぞこうと、
突如、ギィ、と不快な音がした。
それから、次々とギィ、ギィ、と音がする。ぱちゃ、ぱちゃと水を踏む音がする。
ゆっくりと、窓から外を伺う。
大量の雨の中で、リリックの群れがゆっくりと、ゆっくりと、この店に近づいてくる。
ざっと20体ほどの群れ。
彼らの足取りは、確かにこの本屋に向いていた。
「灯里ちゃん。」
彼女も、うっすらと感じ取っている。
「はい、」
さて、俺は一人じゃない。
強行突破は無理な上に、この天気だ。
敵は群れによって威力を発揮する。
彼らの目は何も見えないらしいが、彼らは特殊な肌で俺たちの体温を感じ取るらしい。ならば、隠れるのは無理だ。
「これから言うことを良く聞いて。」
「はい。」
「奴らはそこまで早くない。俺たちが全力で走れば、逃げきれる。だけど、やつらは多分この町のあちこちに群がってる。
雨を求めて、物陰から出てきたんだ。」
「私は、どうしたら?」
「俺の手を握り締めてて。きついかもたけど、走り続けて。
俺は目の前に来た奴らだけ、殺す」
「…!でも、いっぱいいるんじゃ?」
「大丈夫、俺は強いから。これは最初の試練だよ。今、神様は俺たちを試してる。」
「、わかりました。何があっても、話しません。」
緊張している彼女の頬を撫でる。
「よし、神様を驚かしてやろうぜ。」
背中に背負った日本刀を抜く。
黒く、鮮やかな輝きが、血を求めるようにぬらぬら揺れる。
なんてことない、目の前に来た奴らだけ、ただ切る。
俺も、緊張している。
でも、繋いだ彼女の柔らかな手を、この子を守るなら、なんだって出来る。
俺たちは、ゆっくりと、扉を開ける。
大量の雨が俺たちに降り注ぎ、俺たちは嵐のようなこの道を走り出した───