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茉莉歌、りじぇねれいと!  作者: めらめら
第3章 学園戦記
8/22

リュウジと理事長、モヤモヤする。

 『あれ』が起きてから、五日目の夜が訪れようとしていた。

 カチャカチャカチャカチャ……

 夕食の片付けも終わり、食糧相としての『職責』も果たしたリュウジは、暗い教室の片隅で、寝るまでのわずかな時間を使って一心不乱にキーボードを叩いていた。


---------------------------------------------------


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 冬の公園の夜気を不快な羽音がブズブズと震わせている

 怒り燃える目で錫杖を振う琉詩葉を、レギオンの黒煙が覆った。


「やれ!」

 琉詩葉一声。


 途端、


 ワアアアアアアンンンン……


 裂花にむかって翔んでいく、人喰い羽虫の大軍団。


 琉詩葉、口元を厳しく結び錫杖を構えて裂花に意を集める。

 朝方の戦いとは違う。この距離ならばレギオンの『制御』も容易だ。

 なに、軽く痛めつけて、裂花(あいつ)に泣きが入ったら許してやる!


 錫杖を構えながら琉詩葉、心中でニヤリ。


 だがなぜだ。


 ワアアン……!


 不気味な羽音が、少女に達するわずかに手前に薄まりかすれ、闇夜に散ってゆく。


「あれ……?」

 驚愕で目を丸くする琉詩葉。

 裂花に集るはずだった虫どもが、琉詩葉の意に反して公園に四散してゆくのだ。


「琉詩葉ちゃん。轟龍寺先生に効かなかった技が、この私に効くはずないでしょう?」

 裂花が、嘲るような笑みを浮かべて、再び琉詩葉に間合いを詰めてきた。


 チラリ、チラリ。


「ん……!」

 琉詩葉は気付いた。裂花の周囲を、はさはさとか弱い音をたててながら、『何か』が舞っていたのだ。


「あ……!」

 目を凝らした琉詩葉は、我知らず驚嘆の声を上げた。


 蝶だ。蝶だ。


 見ろ。いつの間にか裂花がその左手に下げていたのは、幾つもの松葉の虫籠(むしかご)

 その虫籠から何百頭もの黒翅の蝶が溢れでて、闇に紛れて少女の周囲を舞っていたのだ。


無明流蠱術むみょうりゅうこじゅつ夜霞散華(よがすみさんげ)』……業前(わざまえ)は私の方が上みたいね!」

 鈴の音の様な声で裂花が嗤う。


 蠱術(こじゅつ)の使い手!

 愕然とする琉詩葉。

 琉詩葉が用いるのは、食い意地ばかりが取り得の羽虫の軍団だが、この少女は、夕霞裂花(ゆうがすみれっか)は、蝶を使うのだ。


 そして、


「あ……あれ?」

 思わず裂花から後ずさろうとした琉詩葉は、おかしな事に気付いた。

 膝に力が入らない。目がかすむ。体が……痺れる!

 琉詩葉はようやく、自分の手に、足に、全身にさらさらと降りかかってくる微細な粒子に気がついた。

 裂花の蝶の翅から舞った真っ黒な鱗粉だった。


「『夜霞』の効果……そろそろかしら。どう、琉詩葉ちゃん? 気持ちよくなってきたでしょ?」

「ううう……!」


 ガクリ。


 ついに自分の身体を支えきれず、地面に膝をついた琉詩葉の前に立ち、裂花がそう言って冷たく嗤った。


 毒鱗粉!


 気付けば琉詩葉、敵の術中。

 琉詩葉は、彼女の羽虫が裂花から退散した理由を、今自分の身をもって味わっていた。


 片や座し、片や得意に立ち嗤う、二人の少女を覆う影。

 彼女らを包むがように音も無く、黒翅の蝶が舞っているのだ。裂花の徒ヤミアゲハの大群だ。

 蝶たちが撒き散らす濛々の鱗粉が公園を照らす月光を不吉に濁していた。


 そして……


 シルルルル……


 擦れた音を立てながら、琉詩葉の頸に、唐突に『何か』が巻き付いた。


「う……うそ……」

 蝶にあてられ、身動きの取れない琉詩葉が、驚愕に目を見開いた。


 髪の毛だった。


 闇になびいた裂花の豊かな黒髪が、まるでそれ自体が生きているかのように蠢きのたくり絡まって、琉詩葉の首を絞めあげているのだ。


「あ……ああ!」

 苦悶の声をあげる琉詩葉。

 黒蛇のような髪がずるずるとうねると、彼女の顔を無理矢理に裂花の口元に引き寄せたのだ。


「それにしても……」

 美貌の少女が、琉詩葉の顔をまじまじと眺めながら、呆れたような口調で呟いた。


「大冥条の秘蔵っ子というから技を試せば、まさかこの程度とは……。せつなには叱られるけど、このまま『頂いて』しまおうかしら……」

 裂花が、琉詩葉の耳元でそう囁くや否や……


 ベロリ。


 琉詩葉の頬に垂れる血を、裂花の真っ赤な舌が、いやらしく舐めとった。


「な……!」

 裂花のあまりの怪行に息を飲む琉詩葉。


「なるほど、確かに血は濃い。これは上々……」

 おお見ろ。

 口の端に着いた血の染みをチロチロと舐めまわしながら、端正な顔を淫らに歪ませた裂花の貌を。

 黒珠のような眼を闇間に爛々と光らせて、少女は晶石の短刀を琉詩葉の頸にあてがった。


 シパン!


 短刀が琉詩葉の側頸を浅く、裂いた。


「いぃぅ!」

 恐怖に竦む琉詩葉の肩を抱くと、魔少女は琉詩葉の頸に、ゆっくりと口をつけた。


 ピチャリ、ピチャリ。


 なんという妖しさよ。

 苦痛と恥辱に震える琉詩葉の髪をウズウズと弄りながら、彼女の首筋の創を執拗に舐めまわし血を啜ってゆく少女の不気味。


「ふぃぃぃい!!」

 声にならない悲鳴をあげる琉詩葉。

 見開かれた彼女の瞳がおぞましさに散大した。

 だが琉詩葉がその場から動くとはかなわない。

 多くの蜘蛛は、捕食の武器として獲物を麻痺させる毒を用いるが、裂花の黒蝶もまた、彼女の捕食の武器なのである。


 そして聞け。


「う……! んん! ぅうぅううあぁぁぁぁはぁはぁあああああ……」

 なんたることか。

 毒燐粉にさらされ痺れて行く琉詩葉。

 もはや痛みさえ薄れた彼女は、逆に、陶酔の吐息すら漏らし始めたではないか。


 万策尽きたか琉詩葉。


 だが、その時だった。


「ぴきゅ~~!」

 あ、琉詩葉の胸元から飛び出した何かが、裂花の無防備な白い喉に噛みついた!


「なに!」

 咄嗟の事に呆然の裂花。

 慌てて両手を喉にかけ、噛みつく何かを引き剥ぎ投げ打ち、地面に目を遣ると、


「ぴきゅぴきゅ~~!」

 つちのこだ。

 地面から裂花を威嚇するのは、琉詩葉が、朝方呼びだした金色のつちのこだったのだ。


「琉詩葉ちゃん、こんなものを、まだ……」

 つちのこに気をとられた裂花、琉詩葉を絞めあげる黒髪の縛めが一瞬緩んだ、まさにその刹那!


 ズドン!


 裂花の左肩に、何かが突き刺さった。


「あああ!」

 端正な顔を苦痛に歪ませ琉詩葉を向いた裂花は、左肩を貫く異物の正体を知った。


 錫杖だ。


 琉詩葉が最後の力を振り絞って握った錫杖の柄が、裂花の左肩に、深々と突き立てられていたのだ。


「へへ……脇見……厳禁……!」

 唇の片端を苦しげに歪めて、琉詩葉がニヤリと笑った。


 そして琉詩葉が、悲鳴にも似た声で叫んだ。


「冥条流蠱術『ダークレギオン・フルバースト』!」」


 ボチュッ!!


 おお。次の瞬間、電子レンジで加熱された卵の様な異音……!

 不気味な炸裂音をたてて裂花の左肩が、まるでザクロのように無残に爆ぜた。


「うぐぁぁぁぁぁあああああああ!!」

 血飛沫を撒き散らしながら自身の左肩をおさえて、美貌の少女は琉詩葉を振り払った。

 そして見ろ彼女の肩を。血と肉片に混じって裂花の創口から湧きあがるのは、わんわんと羽音を立てて黒煙を成す琉詩葉の使徒ダークレギオンだった。


 『ダークレギオン・フルバースト』!

 敵の体内に、直接羽虫の雲霞を注入して内側から破裂させる禁断の技。

 冥条琉詩葉、最凶最後の、まさに必殺蠱術であった。


「や……殺っちゃった……!」

 地面に投げ出された琉詩葉は、絶叫をあげながら身悶えする裂花を見て、恐怖に震えた。


「ひうう……! れ、裂花ちゃん! あなたが悪いんだから……あんなことするから、つい!」

 苦しみ悶える裂花を眼前に、琉詩葉が地面を這いながら金切声を上げる。

 恐怖から解放された安堵と、取り返しのつかない事をした悔恨が綯い交ぜになり、琉詩葉の目からは止めどなく涙があふれだした。


 だが……


「そ……そんな!」

 泣きぬれた琉詩葉の頬がひくついた。

 安堵が、更なる恐怖に変わった。


「ぐうぅぅぅぅ……ぉぉぉぉおおおお!」

 何故だ。

 裂花は斃れない。

 ざっくりと裂けた左肩からは背後の樹木まで見える。

 左手は皮一枚でつながって、今にも地面に、もげて落ちそうになってるというのに!


「血だ……! 血が足りない!」

 裂花が、凄まじい形相で琉詩葉の方を向いた。


「いっ……いっ……!」

 恐怖に竦んで言葉も出ない琉詩葉に、


 ざわあ!


 裂花の黒髪が再び狂おしくうねると、今度は琉詩葉の全身に絡まり付いた。


 ズルリ。ズルリ。


 ミミズのようにのたくって、琉詩葉の肌をまさぐる黒蛇。


「ひいぅうぁあぁぁあぁあああああ!」

 己の身に起きている事に気付き、今度は、琉詩葉が絶叫した。


 なんたるおぞましさか。

 裂花の髪が、琉詩葉の肌に喰い込むと、その先端に小さな口歯を生じさせて、彼女の生き血を啜り始めたのだ。


 ぐちゅっ! ずじゅっ! じゅちゅるるるるる……


 いやらしい音を立てながら、琉詩葉の手足を啜る魔縄。


「あっ……ああ……!」

 既に琉詩葉は恐怖に自失。

 成す術なく全身を痙攣させながら、琉詩葉は少女にされるがまま。その目は虚ろに中空を見据えていた。


「ふぅぅぅぅうううううぅぅぅぅうううううううぅ……」

 琉詩葉を啜りながら、裂花は自身の朱をさした様な唇を舐めて喜悦の声を上げた。

 おお見ろ。先程爆ぜた裂花の肩を。

 破れたセーラー服からのぞく彼女の肩の穴は、既にふさがり傷は消え、いまや、ただ滑らかな肌が闇にさらされているのみである。


 恐るべきは、裂花の特異生態よ。

 彼女の豊かな黒髪は、常人のそれではなかったのだ。

 それ自体が独立した生命活動を営む漆黒の線虫なのだ。


 自然界には、共生と呼ばれる、異なった種類でありながら密接な関係を構築して相互の利益獲得を図る一連の生物群がいる。

 例えば、アブラムシはその身から泄物する甘い液体を食餌としてアリに与えて、アリはその代償にアブラムシを天敵から守る。

 イソギンチャクはクマノミに隠れ家を提供し、クマノミは見返りに動きに制約のあるイソギンチャクに餌を運び、クリーニングでその体を清浄に保つ。


 裂花と魔虫の関係も、正にそれなのだ。

 裂花は黒髪魔虫に移動と食餌の手段を提供し、魔虫はその見返りに裂花に尋常ならざる生命力、回復力を与える。


 二種にて全きに達した怪物。

 まさに自然界の驚異であった。


「琉詩葉ちゃん。あんな大技を隠していたなんて、ちょっと見なおしたわ!」

 再び冷静さを取り戻した裂花が、痙攣する琉詩葉を見下ろしながら凄絶に嗤う。


「だから、これが『お返し』……さっきよりも痛いけど、我慢してね……」

 裂花が琉詩葉の耳元に口を寄せて、鈴を振るような声でそう囁いた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 その時だった。


 ザザア!


 裂花(れっか)琉詩葉(るしは)

 二人の少女の周囲で、何かが、撒き上がった。


「なんなの!」

 異変に気付いた美貌の少女が不審な貌で辺りを見回す。


 ビュウウ。


 裂花と琉詩葉の周囲を、風が巻き、乾いた落ち葉が舞い上がっていく。

 

 と突如……!


 ゴオオオ!


 ぼうぼうと耳をつく風の音。

 思わず振り向いた裂花の顔を、紅く揺らめく光が照らし、熱気が少女の全身を叩いた。

 愕然の裂花は数瞬佇むと、ようやく状況をのみこんだ。

 風の音ではない、炎立つ音だ。

 二人の少女の周囲の闇に、何の前触れも無く、真っ赤な炎が巻きあがったのだ。


 何が起きた!


 熱気から顔を手で庇いながら、裂花は周囲を窺う。

 ああ! 炎の出所を理解した少女は、怒りに口の端を歪めた。


 蝶だ。燃えているのは裂花の蝶なのだ。

 いかなる理由か判らぬが、宙を舞っていた何百頭もの蝶の黒翅が、一斉に紅蓮の炎を噴き上げたのだ。


「私の蝶、私の蝶……! これは『焔術(えんじゅつ)』!」

 戦慄く裂花に……


 ザシュ!


 落ち葉を蹴る音。

 燃える蝶たちを切り裂いて、紅蓮の円陣に何者かが飛び込んできた。

 (くれない)に、(だいだい)に、揺れ立つ逆光を背負った黒影が振り上げたのは、炎を映して赤々と輝いた鋼の刃。


 シュ。


 白刃の一閃が裂花を見舞った。


「ひ……!」

 予期せぬ斬撃に、少女の身が竦む。

 だが、白刃の切っ先が狙ったのは少女に非ず、彼女の髪だった。


 ハラリ。


 刃が黒髪を両断した。


 ドサッ!


「ううう……」

 裂花の縛めを解かれて地面に投げ出された琉詩葉。

 まだ呆然のまま地に塗れ、ひくひくとその体をひきつらす。

 そして見ろ。ずさりと琉詩葉の前に出て、厳しく裂花を睨みつけたのは、その両手に真剣を構えた、朽葉色の着流しの老人。


 冥条獄閻斎めいじょうごくえんさいであった。


 ザザッ!


 獄閻斎すかさず二の太刀。

 裂花に跳び寄りその体を横薙ぎに斬り払う……と……


 フワリ。


 これはいかなることか。

 今度は紙一重で刃をかわした裂花、大きく飛び退った彼女の体が、まるで、マリオネットのように宙に浮いた。

 なんという妖しい光景だろう。燃え落ちて行く黒蝶たちの、ゆらゆらのオレンジ色に照らされながら、先程羽虫に破られた漆黒の制服から真っ白い肩をはだけさせて、獄閻斎と琉詩葉を闇から見下ろす少女の姿は。


「理事長、お久しぶりね!」

 闇に浮んだ少女が嗤う。


「物の怪どもが騒ぎおるから辿ってみれば、お前であったか、『吸血花』!」

 獄閻斎が、怒りに燃える眼で少女を睨んだ。


「理事長……。琉詩葉ちゃん、本当に冥条の跡取りなの? まったく修練が足りていないんじゃなくて?」

 裂花が嘲るような口調で獄閻斎に言う。


「裂花……お前とは古い誼みだが、よもやわしの孫を手にかけようとは……死ね妖怪!」

 老人はそう言うなり、懐に潜ませていた手裏剣を何の躊躇も無く少女めがけて投げ打った。


 シュシュ!


 裂花の眉間めがけ、寸分の狂いも無く飛んで行く獄閻斎の棒手裏剣。


 だが……


「ふぅぅ……」


 裂花が朱をさしたような自身の唇から、かすれた息吹きを漏らすと、


 ボオオオ!


 見ろ。途端に蒼黒い炎を噴き上げて、空中で爆発四散した老人の手裏剣。


「理事長、勘違いしないで。このままではいずれ、貴方も、琉詩葉ちゃんも死ぬ!」

 玲瓏とした、だが冷たい裂花の声が、公園の闇に響いた。


「私は警告にきたのよ。『逆卍学園』が動き始めた。次の狙いは、このセイントクルセイド学園!」

 少女の顔から笑みが消えている。


闇吹雪(やみふぶき)逆卍学園(ぎゃくまんじがくえん)』!


 獄閻斎の顔がこわばった。

 この世界とは1/2スピンの小さい粒子で構成された『魔影世界(シャテンラント)』の虚空を潜行する、暗在系インターナショナルスクールだ。

 これと定めた学校の門前に浮上しては、恐ろしい魔術に通じた生徒や教師を自校のエージェントとして送り込み、敵校を壊滅状態にさせて吸収合併していく恐るべきバーサーカー学園である。

 既に『式守陰陽学園しきもりおんみょうがくえん』、『星辰流武術学校せいしんりゅうぶじゅつがっこう』、『昴星弩轟塾すばるぼしどごうじゅく』、『メルキオン・グラビティスクール』、『甲賀朧谷忍法学園こうがまんじだににんぽうがくえん』といった日本有数の名校が、その軍門に下っている。


「理事長、この戦、我らは既に参列の構え。貴方たちも備えなさい大冥条、来るべき『大戦』に!」

 裂花が叫ぶ。

 獄閻斎は肩を震わせながら顔を伏せた。

 十年前の戦いで多大な犠牲を払って、必死の思いで退けた『奴ら』が、今またこのセイントクルセイド学園を狙ってくるというのか!


 だが、


「くくく……面白い」

 顔を上げた老人の目は、戦火を燃やして獰猛に煌いていた。


夕霞裂花(ゆうがすみれっか)! ぬしら『無明(むみょう)の者』どもの手を借りるまでも無い。学園は我ら冥条家夜見の衆と、その直参の手で守り通す! 帰って『聖魔(せいま)円卓(えんたく)』にもそう伝えい!」

 獄閻斎がニヤリと笑い、空中の少女に言い放った。


「ふふふ……理事長、あいかわらず血気盛んだこと。五十年前のあの時と変わらない……」

 裂花が婀娜に嗤いながら、すううと闇の奥に消えていく。


「でも、凛くん……あの日の『盟約』はずっと生きている……あなたもまた我らの徒。この戦い、陰から見届けさせてもらう……」

 鈴の音のような少女の声が老人から遠ざかっていった。


「琉詩葉……」

 消えゆく蝶たちの放つ幽かな光芒を背に、獄閻斎は、痛ましげな眼で地面に伏した孫娘を見つめた。

 人外の勢力から、学園ひいてはこの世界を守るのが冥条家の『使命』。

 とはいえ、まだ年端もいかぬ孫を、最も苛烈な異界間学園戦争に放り込むことになろうとは……。


瑠玖珠(るくす)……お前さえ生きておったら、琉詩葉に、こんな苦労をかけずに……」

 老人はしわがれた声で誰ともなしに呟きながら、両手に琉詩葉を抱え上げると、厳しい顔で冥条屋敷にむかって歩きだした。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


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 リュウジの小説。

 ジャンルは学園伝奇SF。

 主人公の『冥条琉詩葉(めいじょうるしは)』は十四歳の中学生で地上最強の『蟲使い』。

 武蔵の名門、燃え立つ紅髪の一族の末裔にして、超財閥『冥条コンツェルン』の跡取りでもある。

 その琉詩葉が、凶暴な眼鏡の風紀委員『氷堂魅火(ひょうどうミカ)』にボコられたり、同じくクラスメートの『比良坂蒼汰(ひらさかソータ)』にどつかれたり、祖父である冥条獄閻斎(ごくえんさい)の特訓を受けながら、異世界からの侵略者『闇吹雪(やみふぶき)逆卍学園(ぎゃくまんじがくえん)』の繰り出すエージェントやモンスターと戦いを繰り広げる、というプロットだった。

 半年前に別れた彼女の(メイ)や、茉莉歌に序盤を読ませた時は「設定が古臭い」「文章が古臭い」「お祖父ちゃんしか戦っていない」「どこがSFなんだ」と、まあ散々な評判だったが、リュウジはこの話に自信があった。

 やがて戦いの中で、琉詩葉の生まれた『冥条家』と『セイントクルセイド学園』誕生の由来と、この宇宙の生まれた理由が明らかになっていくのだ。

 実は琉詩葉は、この宇宙で最も古くに誕生した超知性体集団『十氏族(じゅっしぞく)』に選ばれた、超絶の秘術で銀河全域を統べる最強の『オーバーロード』十人のうちの一人だったのだ。


 リュウジは黙々とキーボードを打ち続ける。


 今書いているのは、前半の山場。

 学園に身を潜めた謎の美少女『夕霞裂花(ゆうがすみれっか)』との立ち合いに臨んだ琉詩葉は、裂花の圧倒的な『蠱術』の実力の前に敗れて、少女の黒髪に潜んだ吸血線虫に血を吸われ、絶命の危機に陥る。

 間一髪のところで勝負に駆けつけて琉詩葉を救った祖父の獄閻斎に、美貌の吸血姫、夕霞裂花は、学園に迫る巨大な真の敵の名を告げるのだ。

 作品の世界観の一端が明らかになる重要なシーンだったが、


「うーん……」

 そこから、リュウジの筆は重かった。

 肝心の『真の敵』、『闇吹雪(やみふぶき)逆卍学園(ぎゃくまんじがくえん)』のエージェントにどんな連中がいて、どれだけ強くて、どんな能力を持っているのか、まるで考えていなかったのだ。


「仕方ない、あとは明日の夜にするか……」

 目がしらを手で揉み揉みしながら、リュウジは教室の窓から外を眺める。


 それにしても……

 リュウジは不思議な気持ちになってくる。

 世界がこんな風になって、リュウジを取り巻く環境は彼の小説などより、余程奇妙で予想のつかない状況に陥っているというのに、なぜ自分はそれでも小説を書き続けているのだろう?


「おじさん、どうして? なぜこんな時にまで、こんなものを書いているの?」

 リュウジの気持ちを見透かしたように、彼の傍からそう声が聞こえて、


「茉莉歌ちゃん……」

 彼が気が付けば、机の傍に立っていたのは、茉莉歌だった。

 トイレに起きた通りすがりに、教室の彼に気づいたらしい。


「ごめん茉莉歌ちゃん、五月蠅かったよな。もうパソコンは叩かないからさ……」

 何かを見咎める(・・・・)ような顔の茉莉歌に謝って、ノートパソコンを閉じようとするリュウジだったが、


「ちがう。そういうことじゃない」

 茉莉歌の語気が強まった。


「ちがうって……?」

 首を傾げるリュウジに、


「どうしてなの? 現実の世界で、こんなに変な事が起きていて、みんなが大変な事になっているのに、どうしてわざわざ、そんな『変』なものを書き続けるの?」

 茉莉歌がリュウジを問い詰める。その顔が今度は、はっきりとリュウジを咎めていた。


「そうだな、茉莉歌ちゃん……」

 しばし考えてから、リュウジは茉莉歌に答えた。


「俺がこんな時にも小説を書くのは、それが俺の生きている証だからだよ。俺は何もない(・・・・)……もう書くことしかできない男だからさ。それに……」

 リュウジは自虐的な口調でそう言いながらも、それでも次の瞬間には、


「現実の世界が、どれだけ変な事になって、どれだけ大変な事になっていたとしたって、それでも絶対に、俺が変な事を考えたり、変な事を書いたりしてはいけない理由にはならないんだ……」

 茉莉歌を見据えて、力強い調子でそう言ったのだ。


「茉莉歌ちゃん。それが俺みたいな男に……いや、俺だけじゃない、生きている全ての人間に最後まで残された、『希望』とか『救い』みたいなものなんだ……」

 何かに突き動かされたように、一気にまくし立てるリュウジに、


「うぐ!」

 茉莉歌は気おされて、一瞬息を飲んだ。


「そういうものなのかなあ?」

「ああ、そういうものなんだ」

「…………」

 茉莉歌もしばし考えてて、口を開いた。


「わかった。ごめんね、おじさん、さっきは言い過ぎたよ。でも……」

 まだ何か不満そうに、リュウジを窺う茉莉歌。


「でも?」

「やっぱり……なんだかおかしいよ。みんな、はっきり口には出さないけれどさ」

 彼女はリュウジを見据えて、訥々と続けた。


「『あれ』が起きてから、みんな……、おじさんの友達の、あの『コータ』さんは問題外にしたって、リュウジおじさんも、鳳さんも、物部さんも、あの、理事長先生でさえ……」

 茉莉歌はリュウジを睨んで、はっきりとこう言ったのだ。


「なんだか、とても楽しそう(・・・・)


「……茉莉歌!」

 リュウジは、思わず机から立ち上がって、語気を荒げた。

 何故だろう。実の姪に、これまで無意識に考えまいとしていた、自分の、いちばんダメな部分を抉られた気がしたのだ。


「ごめん、おじさん、言い過ぎた……」

 茉莉歌は首を振った。


「わかってるよ、みんな、それぞれの立場で精一杯に頑張っているって……」

 無表情で茉莉歌は続けた。


「でもおじさん。もし今、自分の願い事を『使って』いいのなら、あたしはこうお願いするわ。『こんなふうに滅茶苦茶になる前の世界に、この世界を戻してください』って。『全ての願いがかなう世界』なんて、どう考えても、怖くておかしいもの……。ねえ、おじさんだったらその時、どんなことを『お願い』するの?」

 茉莉歌は、リュウジにそう尋ねた。


「ううう……」

 リュウジは、茉莉歌に答えることが出来なかった。


「ごめんなさいおじさん。変な事聞いちゃって」

 叔父に立ち入った事を聞きすぎたと思ったのか、茉莉歌は少しすまなそうにリュウジに言った。

 

「昼間に色々あって、何だかイライラしてた。もう寝る……おやすみなさい」

「ああ。お休み」

 茉莉歌が教室から去った後も、リュウジは彼女の最後の問いが頭から離れず、しばらくの間ぼんやりと宙を見据えていた。


 俺自身の願い、俺自身の『したいこと』。俺が『在って欲しい世界』……!

 「世界をまともに戻す」、「(メイ)に帰って来て欲しい」、「プロ作家としてデビューしたい」……「才能が欲しい」!

 いや、彼が本当に望んでいたのは、そんなもの(・・・・・)では無かった。

 それは、姪の茉莉歌には勿論のこと、自分以外の誰に教えることも憚られるような、身勝手で、傲慢で、幼稚極まる『願い事』だったのだ。


  #


 そして奇しくもリュウジの願いは、今からこれより遥か後、刻の目盛も意味を成さなくなるほどの、遠い未来、遠い世界で叶う事になる。

 リュウジは其処で、彼のもとから去ってしまった元カノの(メイ)とも奇妙な再会を果たす事になるのだが、その話はまたの機会に譲ることにしよう。


  #


 『あれ』が起きてから六日が過ぎようとしていた。


「おかしい……! こんな筈では……!」

 学園の執務室の書斎机に乱暴に腰掛けて、理事長が呟いた。

 理事長は、苛立っていた。

 確かに彼と、彼の募った自警団の「活躍」によって、怪物たちはその数を減じ、近隣の地域は平静を取り戻しつつあった。

 SNSを通じた理事長の呼びかけ(ネットも、これまた絶対にダウンしなかった)や、Podcastでの演説も功を奏した。

 今では日本、いや世界の各地で、聖痕十文字学園のような「自警団」が活動を始めていたのだ。

 滋賀県甲賀市甲南中学校では、忍び装束の謎の五人組『甲賀戦隊ドロロンジャー』が、京都府京都市京都大学アニメ研究会では式神を使役する『陰陽戦隊セーメーマン』が、大阪府大阪市東淀川商店街ではコナモノを武器に戦う『たこ焼き戦隊コロロンジャー』が、和歌山県和歌山市紀之川中学校では蜜柑ごはんが大好きな『オレンジ戦隊アリタミカン』が、北海道函館市はこだて未来大学ではストイックな塩味を追及する『ラーメン戦隊シオメンジャー』が、茨城県常陸太田市常陸納豆博物館では関西人には理解できない『納豆戦隊ネバルンジャー』が、長崎県長崎市思案橋横丁では皿うどんも美味しい『ばってん戦隊メガチャンポン』が、それぞれご当地の平和をかき乱す不逞の輩と戦っていた。


 理事長の目論見は、一見順調のように思えた。


 だがなぜだ? 理事長は眉を寄せる。

 新宿などの都心部の混乱は一向に収まる様子がなく、逆に悪化の一途を辿っているのだ。


 どういうことだ? 理事長は再び考えを巡らせた。

 すでに、経験者へのリサーチや、理事長らの実験によって、『願い事』によって生じる事象の特徴、法則は、かなり正確に分かってきているのだ。


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 1.「一万円ほしい」「iPhone6がほしい」「牛丼が食べたい」といった、具体的で即物的な願いは即座に実現する。


 2.逆に「宇宙の根源的な悪のエネルギーを潰したい」とか「地上に神の国を作りたい」とか「全ての不幸を、生まれる前に消し去りたい。全ての宇宙、過去と未来の全ての不幸を、この手で」いった、言ってる本人もよく意味がわからないような願い事は『ここでは』実現しない。


 3.「○○氏んでください」「○○人根絶」「○○人は日本から出てけ」「椎茸をこの世から消し去りたい」といった、デスノート系の下劣な願いも、相手の同意がない限り成立しない。


 4.「○○は俺の嫁」「きみはペット」「全員攻略してハーレムエンド」といった身勝手な願いも項番3と同様。対象が二次元の場合は、願った本人が二次元に飛ばされる。


 5.2~4のような願い事を無理に願うと、願った本人が消滅する。(理事長の仮説では、別の世界に移動するのだ)


 6.物理法則は容易にねじ曲がる(でないと理事長の能力や、ゴシ"ラも成立しない)


 7.「○○を抹殺する殺人サイボーグが欲しい」とか「渋谷を襲う蝙蝠怪獣を出してほしい」といった、非現実的な『ガジェット』を介した凶悪な願い事、これは実現する。


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「要は、『項番7』が最大の問題なのだ! ここを我々理性ある大人が、地道に潰していけば、正常な世界に戻るはずだ!」

 『項番6』も、かなり問題な気がしたが、理事長は自分のことを棚に上げた。


 だがまてよ?


 理事長はふと、ある疑念に駆られた。


「もしかして……。元々は『同じ事』なのではないか? 新宿で起きていることも、多摩市(ここ)で起きていることも……!」

 そう思い至った彼は、うなじの毛がゾワゾワと逆立つのを感じた。

 理事長たちは、市街に溢れた恐竜や怪人に対する抑止力、怪奇現象に対する対抗勢力(カウンターパワー)として、『くまがや』や『てば九郎』を作り出した。

 それと同じことが新宿では、大きさやベクトルを変えて行われた、ただ、それだけのことだったのではないだろうか?

 折しもTVは、自衛隊が秋葉原に投入した『13式巨大機械龍』が暴走し始めたニュースを報じていた。


「ひょっとして、『荒らし』に反応するのも、『荒らし』と同じだったのでは……いや、そもそも……!」

 理事長は、恐怖した。


「私は、願い事で荒らされたこの世界を元の姿に戻そうと躍起になっていた。だが、もともと『ここ』自体が『特撮・アニメ』枠で隔離された別世界だったのではないか? 私は、英雄気取りで別スレッドに隔離された大馬鹿三太郎だったのか……? いや、いや!」

 理事長は必死で自分に言い聞かせた。


「気をしっかり持て大牙(だいが)! 願い事を果たした『私』と、そうでない『水無月くん』や『如月くん』が同時に存在する……! それこそがこの世界が『オリジナル』であることの証しではないか。それに……」

 理事長は奮い立った。


「私は、学園の生徒とご家族、そして近隣の人々の身の安全を守っている! 世界がどうであろうと、この一点だけは、曇りない真実だ!」

 理事長の瞳に燃えた、揺るがぬ決意の炎。


「大変です理事長!」

 鳳乱流(おおとりらんる)が、血相を変えて理事長室に駆け込んできた。


「『第9地区』で怪物が発生したとの報告です! 今日の相手は桁外れ(・・・)です!」


「よし!!!」

 理事長は立ち上がって叫んだ。


「ギャラクシーフォース、緊急出動(スクランブル)だ!!」


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