季節の小話:変な人とお雑煮編
わたしには変な人が憑いている。ついでに(ご神体らしい)狐が両肩に一匹ずつ同居中(計二匹)。
奴の見た目は普通の高校生。視えて喋れてある程度霊やら何やらと意思疎通できるこの男と、恋人になったのは何か人として重大なミスを犯した気がする。
「陸君、お掃除手伝ってくれて助かるわ。特に神棚、やり方が本格派なのね」
黒い瞳をぱちんと瞬いて、ふるふると首を振る。見た目には分からないが超が付く程ご機嫌で神棚や仏壇の掃除をしていたのに気が付いたのは我が家でわたしただ一人だろう。
掃除も終わったので冷たい床から逃れるべく、コタツの中に潜り込む。無言でお茶を置いて、三科は少しスペースを空けてくれた。……隣に座れという事か。
「頭に載せている子もとても良い子ね。大人しいしとっても懐いてるわ」
仕方なく場所移動する耳に母親の楽しそうな声。
お礼代わりに振る舞われた緑茶と和菓子を交互に嗜む三科はぼーっとした後、「可愛いです」と頷いた。頭に乗ったウサギの毛の固まりのようなもこっとした物体が必死に頭にしがみつく。
黒っぽい毛の固まりからぴょこんと飛び出た耳がぴくぴく動くところを見ると、褒められているのには気が付いているらしい。
周りからそうじゃそうじゃ。おきつねさまのお子はほんにかわええのぉ、とか聞こえるがわたしは聞こえないふりをして近くにあった羊羹をかじる。
生前はあれほどまでに霊は存在しないと言い続けた祖父から枕元に立たれ、先祖は敬え、霊は大切にしろ、と説教を頂けるのは妙にもの悲しい。
取り敢えずおきつねさま達に御神酒と油揚げを供えて、死なない(消えない)程度に部屋から締め出しをして貰った。
元々霊感無いはずなのに変人を通して移ったらしい。変人が移らなかった事を喜ぶべきか悲しむべきか悩みどころだ。
つけてあるテレビから来年の抱負や年末のTV番組のCMが途切れることなく流れていく。先祖の方々は守護霊っぽいので放っておくけれど、テレビの前に居座られると画面が見えなくて困る。
母親に見えないように腕を動かしてずれるように促すと、近頃の若いモンはと愚痴りながらテレビから剥がれた。
「所で陸君、お正月はどうしているの」
羊羹もそこそこに籠に盛られたミカンに手を伸ばす。
コタツにミカンは日本の心だなぁ。ほっと心で一息つく。にしても、我が母ながら、正月前に大掃除を手伝わせた後の台詞とは思えない言葉だ。
「いつも、通り」
妙な間を開け、ズ。と茶を啜る。
「三科、鍵っ子だから」
前にキャベツが主食の人間だと話しておいたので大体の状況を察したのか、母親が蒼くなる。
「い、いいい何時もなに食べてるの!?」
狼狽した声に三科は不思議そうにもくもくと菓子を飲み込んだ。そして淡々と答える。
「去年レタス。そのまえキュウリ、白菜、人参。と、野菜炒め」
な、泣ける。何その青虫も真っ青ベジタリアン生活。しかも正月に。
「陸君。いつもよ。いつもなのよ。時々とかじゃなくて」
「それと、買い置きしてあるメンマも囓る」
あ、打ちのめされた。文字通り言葉でノックアウトされた母親が地面に膝をついていた。
そうか、買い置きしてあるからメンマにこだわるのか。……何考えて居るんだろう三科の母親。
「陸君、好きなモノは!?」
一縷の望みに縋ろうとの思いで放たれた問い
「あぶらあげ」
更に追撃。見事だ三科。こないだまで包装用紙ごと喰っていたと告げれば致命傷間違いない。
「あと。たまごやき」
「そ、そう。昔から?」
「お弁当貰ってから。あれ、好き」
我が家の土台とも言えるお母様は、この一言で撃沈なされた。
流石だ三科、素で人を沈めるのが上手い。
「んー。でも正月入ったら長期の休みだよね。どーすんの三科」
「毎年と同じ。変わらない。大丈夫」
三科の大丈夫が今まで一度たりとも信用できた事があるだろうか。不安だけが募っていく。
「今年は豪華に、生卵載せお餅を」
『生は止めろ!!』
二人分の突っ込みが飛ぶ。わたしは生まれて初めて母親のお腹から出てきた事を確信した。
「……生でもおもち熱くないし。大丈夫」
「冷たいの囓る気」
「パックのを」
わたしの質問に、当然のような顔をして首を傾ける変人。
がりんぼりんと、かりんとうの如く生卵をかけたパックの餅をかじる三科の姿が容易に脳裏に描き出された。
「余計止めろ!」
「お腹壊すわ。止めなさい陸君ッ」
変人の未来の奇行を親子二人がかりで止める。
止めないとやる。絶対にやる。全財産とお小遣い賭けても良い、コイツはやると言ったら確実にやる男だ。
この間だって、変な霊が頭上に取り憑いている先生を見て。『笠木側にいるから、叩けばいなくなるかも』と呟いた言葉を冗談と受け流したら、一拍も置かずに本気で先生の脳天を叩いた。
霊は取り敢えず退散したが、先生は当然怒り狂い。そして三科が馬鹿正直に本当の事を話すものだから事態がややこしく。イヤ、もう過ぎた事を考えるのは止めよう。疲れるだけだし。
「楓! この子ダメだわッ」
同意はするけれど本人目の前で力説してくれるな母親よ。
「放っておく、のは却下だよねぇ」
「私はアンタをそんな人非人に育てた覚えは無いわよっ」
予想はしていたけどやはり怒られた。まあ、あの状態を見て放っておくのは人の心が揺れる。
しかし、お母様。人非人とは言うけれど。
この変人の彼女になるだけかなり心が広いと思ってしまうのは、うぬぼれだろうか。
「じゃあやっぱりお正月、呼ぶ?」
呼ぶのは別に気にしないが、奴の奇行が発覚しないかが心配だ。
「呼ばないの!? 呼びなさい楓」
「えと、じゃあ三科。正月、ウチ来る?」
「…………」
ぱちくりと瞳を瞬いて、変人さんはうーん、と唸る。
待て三科。彼女の誘いにそこまで悩むか。
「……三科の好きな油揚げ料理もあるよ。いなり寿司とか」
「行く」
即答。絶対今いなり寿司がでた時点で私の家に来る方に秤がトン単位の勢いで傾くのがうっすら見えた気がして落ち込む。
食べ物に、負けた。女としてこれで良いのかと思いつつ、親子二人、未来の奇行を防げた事に安堵した。
重箱に詰められた食物達は、惜しげもなく顔を覗かせる。
醤油で甘く煮た小イワシが光る田作り、忘れてはいけない数の子。艶のある黒豆。甘い栗きんとん。
伊達巻き、カマボコ。等々、色とりどりのおせち。飾り付けの三つ葉が映える白い湯気立ち上るお雑煮。
完璧とまでは言えないけれどなかなか立派なおせちだと我ながら思う。なぜわたしが胸を張るのかと聞かれたら長い話に。
簡潔に言うと、仕込みのほとんどはわたしがした。我が母親は料理は上手いのだけれど、家庭料理以外は全滅だ。
かく言うわたしはどちらかといえばお婆ちゃんが得意な料理が上手い方な訳で。あ、何だか少し涙が出る。
どうせ和物系統が一番上手いのだ。中洋風は現代若者である私よりも母親のが上手いのだ。いいんだ。ヘルシーだから。
ヘルシー万歳。
色鮮やかであり、わたしの心も複雑になるそれらを見て。三科はポツリと一言発した。
「なに、これ」
……駄目出し? 一目で駄目出し? そんなにわたしの料理ダメ!?
箸を持ったまま、変人さんは首を緩く傾けた。子ぎつねさまがちたばた必死で頭にしがみつく。
「たべ、られる?」
そして更に衝撃的な台詞。
いけない、立ち直れなくなりそうだ。三科は、三科は何でも食べてくれると思ってたのに!
「……食べ物?」
なんと言う事を言うのだこの男は。仕舞いには泣くぞ。
見ているだけで泣きたくなるが、奴は箸を付けるのを躊躇っている。
ビニールの袋ごと油揚げを喰らう三科が。これ以上の否定表現はないだろう。
見た目が炭だとか異臭を放っているとかそんな訳もないし、味見して自画自賛をちょっぴりしてしまったくらい、味だって良くできたと思うのに。
箸はぴくりとも動かない。
しばらく経って、三科の様子がおかしい事に気が付く余裕がでた。
「どうしたの三科」
「……これは、ナニ」
だからなんて失礼な。
口元が引きつりそうになって思い直す。待て、わたし。白菜キャベツ丸ごと+弁当野菜オンパレード。そして正月は野菜炒めの三科だ。
万が一。万が一と言う事がある。怖かったが、恐る恐る尋ねた。
「三科、もしかしておせち料理という物は」
「知ってる。けど」
後に続く言葉は考えたくないが耳に入ってきた。
「食べた事、無い」
わたしと、『失敬な奴だ』と感じ始めていたらしいわたしの家族は硬化した。
「あ、これがおせち? 綺麗なんだ」
無邪気に手を合わせる三科に空気が重くなる。このご時世、おせちの現物すら見た事がないと!?
文句か愚痴かを言いかけていた我が家の大黒柱であらせられるお父様は、引きつった表情を緑茶と共に慌てて飲み込んだ。
「…………じゃあこれは?」
子供が尋ねるように首を傾ける。またはい上がる子ぎつねさま。
「お雑煮、だけどもしかして。食べた事」
こわごわを尋ねる母親の表情も気にせずに、ぽんと手を軽く打ち。
「初めて見た。美味しそう」
無邪気に笑う。もう、ダメだ。
「三科ぁぁぁ。ゴメン、今度もっと美味しいご飯作って持っていくからっ」
半泣きになってがばっと三科に抱きついた。確かに変人変人とは思ってたがこれは幾ら何でも酷い。
どんな食生活なんだ本当に。両親の目が痛いが、何も言ってこない。
確かに今の抱きつきは愛情表現と言うより同情と保護欲が強い。
「笠木のは全部美味しい、けど」
キョトンと変人は不思議そうに呟く。
……泣ける。さっきとは違った意味で号泣してしまいそうだ。
過去お弁当を取り上げられて怒ったわたしよ土下座しろ。この分だとケーキも知らない気がして怖い。
「ちょっと遅くなったけど今度クリスマスパーティしよう。クリスマスじゃなくてもいいや。どーんと祝おう三科!!」
「どうして」
「いいの、わたしがしたいのッ」
「うん。笠木がしたいなら。お雑煮食べていい?」
『どうぞ何杯でも!!』
わたしと母親の台詞は期せずして唱和した。
「お餅白い」
そっと口元に箸を持ち上げた三科が発した初の一言は『伸びる』だった。
打ちのめされかけたおせちを美味しいと何度も言ってもらったのは大収穫でもある。
同情に傾いた両親が「また連れてきてあげなさい」と言ったのもある意味良い方面の収穫だ。
変人である事は気が付かれたようだが、家庭状況の切実さにそんな事はどうでも良くなったらしい。
呑気に子ぎつねさまと油揚げを取り合う三科を見て小さく息をつく。
……しばらく奴が彼氏だという事実は伝えられない気がする。
掃除も嫌がってなかった上に、顔立ちが悪くないせいか母親にも気に入られている。
あの調子なら、気が付いたら我が家の一部になっていそうだ。……それも怖い。
しばらくはおきつねさまと守護霊公認の仲か、と溜息混じりに伊達巻きを囓った。
《後日:幼馴染みの会話》
一月も始まったばかり。陸は何となくスーパーと公園の間にある歩道で信号を見つめる。
蟻の大群のように流れる人混みから知った声が聞こえて、マフラーに埋めてあった顔を上げる。
「よ、陸。あけましておめでとさん。彼女の家でごちそーになったって?」
片手をブンブン振って陸の前につき、白い息を吐き出す。
「うん。おめでとう。おせちとお雑煮初めて見た。で、食べた」
端的な答えに三科陸の幼馴染みである南野良二こと、良二は眉をひそめる。
「おせち食べさせた事あるじゃん!? 忘れたか?」
この恩知らずめ、とも言い出しそうな険悪な表情だ。チラチラと赤に変わり始めた信号をぼんやりと見つめ、陸は眼を細めた。
「良二の作ったとても言葉で言い表せない数の子なら食べて。油揚げがマシと言ったらぶたれたのは覚えてる」
沈黙を挟んで呟かれた言葉に良二の顔が引きつった。
「アレはお前が悪いじゃん!? 俺頑張ったんだぞ」
しどろもどろになりながら弁解しつつ、目を泳がせる。あの時は仕方がなかった。
丁度両親もおらず、食べ物も切れ、おせちも食べ終わった後だった。せめて食べさせようと作ったものにケチを付けられたのだ。
思わず手も出る。
「けど、臭いだけで近くの犬と猫が逃げたよ」
淡々とした陸の台詞に嫌な記憶が蘇る。『腐臭が!?』『殺人事件か!?』と騒がれたのが昨日の出来事のようだ。
「そんな事もあったか。じゃあおせちは良いとして、雑煮は喰っただろ!」
おせちは良い物は出せなかったが、きっちり雑煮は出した。初めてではないはずだ。
「良二が言ってるのは、市販のおみそ汁の元に焼いたお餅を置いてお湯入れたの」
「そう。それ」
自信に満ちあふれた良二の台詞を一見ぼんやりとした。それでいて何故かハッキリと聞こえる陸の声が粉みじんに砕く。
「笠木に言ったら『邪道だ』って怒られた」
「じ、邪道。でも俺の家ではそれで普通に雑煮だって――あれ。俺騙されてる?」
ナチュラルにショックを受け、身体が仰け反る。じゃあ今までのみそ汁雑煮は一体。
「年明け前はおそばを食べるとか」
ぽつぽつと陸が話す。流石にそれは知っていた。しかし引っかかる単語に良二は首を傾ける。
「え。年明け前はカップうどんだろ」
「おそばだって。カップきつねそばだから良二より勝ち」
にこにこと笑う。変人に勝ち誇られた事にカチンと来る。
「……うわムカツク! う、でも雑煮食べた事無いって事になるんかな」
言い返そうとして悩む。では自分が食べていた雑煮は何だったのだろうと。
「お餅持っていって笠木に頼む?」
「いや、それは悪いだろ」
「大丈夫。いつでも良いって言ってた。笠木優しいから良二のも作ってくれる」
遠慮も何もないが、お人好しなのは事実なので本当に作って貰える気がする。
「……お前の彼女やるくらいだしな。じゃあ何か手みやげでも持って頼みに行くか」
何も持っていかないよりはマシだろう。心の中でおみやげ候補から油揚げは消去する。
「賛成」
諸手を挙げて頷く陸。数十分程の押し問答の末、油揚げ以外の手みやげを持ち、二人は楓の家に向かった。
その後。笠木家にて食生活のあり方を尋ねられつつ、雑煮をごちそうになり。
おせちを食べさせられ。無理矢理煮物を持たされて帰らされた。
「……笠木ってオカン体質?」
思わず玄関で呟いた良二は頭にコブを一つおまけに貰うハメになった。




