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雪の日

邂逅から少しの時間が流れた後の話。

 外から舞い込む風が頬に冷たく、僅かに身がすくむ寒さを感じた浅葱は、ゆっくりと顔を上げた。

 それに気がついた賽貴が、主の様子を伺いつつ、同じ方向へと視線をやる。

「……さいき様、あれは、なんですか?」

 几帳の向こう、庭先へと降る白いキラキラしたモノ。

 浅葱にはそれがなんなのか解らなかったのか、不思議そうに小首をかしげて、人差し指を向ける。

「庭に出てみましょうか」

「でも……」

 賽貴が浅葱の背にそっと手を添えて、庭へと歩みを促す。

 彼は文机に向かい、陰陽師としての知識を学んでいた最中であったので、少しのためらいがあった。母である桜姫に見つかれば、叱咤されるとでも思ったのだろう。

「では、今から僅かの間、『休憩』にいたしましょう。浅葱さま」

「……はい!」

 賽貴からの提案の言葉を耳にして初めて浅葱は、パっと顔色を明るいものにして、こくりと頷いた。

 幼子にはまだ少し位置の高い、その文机。上にはたくさんの書物と、未完成の符が置かれている。

 まだ物事の良し悪しなど、判別のつかない年齢でもある。

 本来であればもっと大事に、たくさんの女房などに囲まれて、慈しまれる日々を送れるであろうに。

「外は寒いですから、これを」

「[[rb:温石 > おんじゃく]]ですね。ではこれは、さいき様がお持ちになってください」

「……私がですか?」

「わたしは、さいき様がおそばにいてくだされば温かいから、よいのです」

 予め用意させていた丸石を温めたものを浅葱へと差し出せば、彼はふわりと笑みを型どりつつそう言う。

 子供の舌足らずさが残る口調ではあるが、浅葱の言葉はいつも丁寧で暖かかった。

 気遣いや言葉の使い方などを叩き込んだのは、彼の母の桜姫だ。

 賽貴が直々に側近になってからは、それらは彼の役目になっているが、賽貴はほとんど何も言わずにいる。

 『浅葱』という小さな主は、既にほぼ『出来た子供』であったためだ。

「あの、さいき様」

「足を冷やされるといけませんから」

 浅葱のために用意した温石を自分の懐に差し込んだあと、賽貴は軽々と浅葱を抱き上げて、そう言った。

 浅葱はその行動に少しだけ戸惑いを見せたが、直後の彼の言葉をすんなりと受け入れて、納得したようであった。

 そして賽貴は主を抱いたままで、ゆっくりと階を降りて庭へと出る。

 一面に広がる真っ白な世界に、浅葱は反射的に瞳を閉じたあと、静かにその瞼を開いた。

「わぁ……」

 浅葱の視界に飛び込んできたものは、白銀の色。

 それが初めての光景では無いが、こうして改めてそれを見やるのはとても新鮮なことであった。

 素直に反応し、子供らしい感嘆の声を耳にした賽貴は、静かに微笑んで唇を開く。

「雪、と言います。たまに、このお屋敷に姿を見せる白い女性がいるでしょう。彼女と同じ名ですよ」

「……ゆき……」

 無意識にゆらり、と手が伸びた。

 光は漏れ溢れているが、天からは未だに雪がちらちらと降り続いている。浅葱はそれに触れたくて、大きく手のひらを天へと向けて伸ばしたのだ。

 賽貴は間近でそんな主の姿を見やり、そして眩しそうに目を細めつつ、浅葱が腕から落ぬようにとその体を支えた。

 両腕で抱え込めば、全身を隠してしまえるような、そんな身の丈だ。

「さいき様、ゆきはどうして消えてしまうのですか?」

「我々のほうが、少しだけ温かいからですよ。ですが、彼らは消えてしまうのではなく、自然へと還っているだけなのです」

「…………」

 手のひらに落ちる雪が、体温ですぐに溶けて消えてしまうことが不思議なのだろう。

 浅葱は賽貴にそんな質問をしたあとも、ずっと自分の手のひらの中を見つめていた。そして、彼の答えに自分なりの思考を一生懸命に脳内で展開しているようであった。

「……難しかったですか?」

「いいえ。……ははうえから、生あるものはみないつか、自然へとかえっていくとお聞きしたことがあります。それと、同じですか?」

「はい」

 本当は難しい問いかけであったはずなのだ。賽貴もそれを解っていて、敢えて口にした。

 それでも浅葱は、首を横に振る。そして理解しようとする。弄らしい子供の面と、それいでいて子供らしくない思考の切り替わりは、教育の賜物ではなく血のなし得る技なのかもしれない。

 

 ――かつて、桜姫もそうであったように。


 生まれ落ちてその時に、父親は既に失く母親からは教育らしい教育を受けることが無かった彼女は、ひとりきりで成長を遂げた。

 その為か自分にも子である浅葱にも、彼女は常に厳しい。

 だから、賽貴は浅葱を甘やかしたいと思ってしまうのだ。彼女に向ける事ができなかった愛情を、少しだけでも子の浅葱には伝えられるようにと。

「浅葱さま」

「はい」

「私には、普通に話してくださってよろしいのですよ。――むしろ、そのほうが嬉しい」

「…………」

 腕の中の主を抱き直しつつの言葉は、賽貴の本心がちらりと見えた。

 受け取った側の浅葱に、それがどれだけ通じただろうか。一瞬、言葉を失った彼は目を丸くして賽貴を見やった。

「……できれば、名も呼び捨ててください。他の者への示しにもなりますので」

「さいき……?」

「そうです。いい子だ」

 賽貴の低い声が、浅葱の耳元にしっとりと降りた。

 幼い彼の心根に深く静かに染み込んでいく響きは、今はまだ音色が見受けられない。だがそれは、いつまでも耳に残るものになっていった。

「寒くなってきましたね。そろそろ戻りましょう」

「……うん」

 自分の体を支えてくれる、大きな手。

 改めてそれを見やった浅葱は、父親である蒼唯の体温とは明らかに違うと感じて、僅かに不思議そうな顔をした。そして素直に賽貴の言葉にこくりと頷いて、彼の着物を軽く握り締めて体を預ける。

 視界の端には、未だに降り続ける真白の雪があった。

 そのひとつが賽貴の肩口に降りて、小さな花を咲かせる。それは静かに着物の生地に融けて、染みを作っていった。

「…………」

 自然に還っていく、雪。

 天から生まれるいくつもの白銀は、まるで自分のような子供みたいだ、と浅葱は純粋に思った。

 

 静かに雪が降り積もる、冬のある日。

 それは賽貴が浅葱の傍近くで仕えるようになってから、一年ほど経った頃の話。


 確かに、だがしかし音のない『想い』は、この頃から浅葱の心にじわりじわりと広がっていくのであった。


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