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夢月夜~古都あやかし幽玄奇譚~  作者: 星豆さとる
第五夜 終章-廻る魂-
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八話(一)

 幻妖界(げんようかい)――すなわちの魔界――を統べる王帝は、実子の諷貴(ふうき)の手により堕ちた。

 そう、聞き及んでいた。

 実際、もうひとりの息子である賽貴(さいき)ですら、『父王は死んだ』と配下の鴉から聞かされていた。その(かれ)が偽りを伝えてきたわけではなく、隠蔽されていたのだと思うほか無い状況だ。


「……いっそ、本当に死ねれば良かったのかもしれんなぁ」


 完全に元に戻った母屋の昼御座(ひのおまし)に腰を下ろしつつ、王帝本人が軽い口調でそう言った。そんな彼の右腕は、肩から先が無い状態で、白い布が大層に巻き付けられている状態だった。

 短髪で精悍な体つきの、豪胆そうな印象だが、満身創痍である事は偽り無いようだ。


「父上……それは、兄が?」

「まぁ、そういうことだな。腕の一本であやつの気が済んだのなら、俺は構わんさ」


 王帝はそう言いながら、苦笑した。それから静かに一度だけ目を伏せ、ふぅ、と息を吐く。


「――王帝、本来ならばまだ動けぬ身体です。ご無理なさらぬよう」


 そう言って姿を見せたのは、(りん)である。手にした盆の上には薬湯があり、そのきつい匂いから誰が煎じたものか、この場にいる者全てが察知出来た。そしてその答えを体現するかのように、颯悦(そうえつ)も姿を見せる。

 彼らが別行動を取っていた理由が、この目の前の男の事だったのだ。


「琳が、私に伝えられず表にも出せず秘めていた事は、『王帝の生存』だったんですね」

「いやはや、情けない話であるが、腕を諷貴に落とされた直後に倒れてしまいましてな。意識を取り戻したら、都の外れの小屋の中だったのですよ」


 浅葱が静かに言葉を乗せると、王帝は左手で薬湯の入った湯呑を受け取り、ぐい、と酒をあおるかのように口の中に含んだ。

 直後、苦味に表情を歪めるがそれでも彼はきちんと中身を飲み込み、顔を上げる。


「……颯悦の薬は本当に苦いなぁ。だが、これでこうして起きれるようになったのだから、その腕は確かなのだろう」

「恐れ入ります」

「…………」


 王帝が座っている脇に、琳と颯悦が、まるで彼の側近のようにして座している。二人とも視線は下だが、それでも頼もしい光景にも見えて、浅葱は表情が僅かに綻んだ。

 これが、本来の姿なのだ。

 統べる者、仕える者。あるべき場所に収まるという事の重要さを、改めて感じ取る。


「浅葱どのは、まだお若いのに随分と無茶をなさるな。とても勇敢だ」

「……いえ、私は……ここでは己で出来ることがほんの僅かしか無く、結果を出せずに悔しい思いをしているだけです」

「ふむ……」


 浅葱の謙遜じみた言葉を耳にしながら、王帝はそれでも満足そうにしていた。それからちらりと賽貴を見やり、目を細める。


「普通のヒトであるならば、こんな場所には数分も居られまいて。失礼かもしれないが、俺から見ればそなたはまだまだ幼子だ。その勇気にただ敬服する」

「勿体無いお言葉です。……、っ?」


 浅葱はそう言いながら、軽く頭を下げた。

 その際、身体に異変を感じて、思わず右腕を床につける。


「浅葱さま」


 賽貴が自然に、浅葱の背に手を添えた。


「あれ、……朔が、終わる……?」

「月の満ち欠けで身体に変容が起こるのでしたな。……あちらとこちらでは時間の流れが異なる故、その影響が出たのでしょう。さて、諷貴から受けた血が、災いを起こさねばいいのだが」


 浅葱の姿は、女のそれのままであった。朔が明けるのはまだ半日ほどあるかと思っていたのだが、やはり世界が違えばその原理も異なるのだろう。

 そして、王帝も注視したのが『浅葱がヒトではなくなった』という真実だ。


「っ、こんな、……申し訳、ごさいません」

「いやいや、浅葱どの。ご無理をされるな。……だがしかし、変容の様が皆の目に触れるのは些か不憫よの。誰か、浅葱どのに几帳を」

「は」


 短い返事をしたのは颯悦だった。そして彼は静かに立ち上がり、そばにある几帳を浅葱へと移動させる。


「……ごめん、ね。颯悦……」

「――いえ、こちらこそ、席を外せず申し訳ございません」


 浅葱はすでに顔を上げられずにいた。変容の様子は常にそれを見られることを嫌ってきた。今は王帝の前ということもあり、式神の立場である者たちもその場から退室が出来ない状況だ。


「叔父上様、失礼します」

「……(らん)


 颯悦のあとに続くようにして、行動に出たのは藍だった。

 彼女は(うちぎ)を両手に広げ、浅葱の横に立つ。琳が何か言いたげにしていたが、それを制したのは王帝だった。

 そして、数秒後。


「……浅葱さま」


 浅葱はその場で、朔の障りを終えた。

 いつものように性別が男に戻り、髪色も元に戻る。

 ――だが。


「……賽貴。私は、どうなった……?」


 そう言いながら、ゆっくりと顔を上げる。紺混じりの黒目であるはずの浅葱の瞳が、碧色のままだ。

 それを間近で確認した賽貴が、眉根を寄せた。


「目の色が、戻りません……」

「そう……。父様の色が、出てしまうんだね」

「身体はお辛くはないですか」

「うん、平気みたい……」


 浅葱は自分の手のひらを目の前で動かしつつ、静かに賽貴と言葉を交わしていた。

 見守ることしか出来ない他の式神たちの心境は、あまり穏やかではなさそうだ。

 唯一、興味深そうな視線を向けているのは、王帝であった。


「浅葱どの、そちらへ寄らせて頂いてよろしいか?」

「……は、はい」


 王帝は浅葱の返事を聞いてから、その腰を上げた。琳に体を支えられる形で一歩を進み出て、浅葱の傍へと歩みを見せる。

 立てかけられた几帳はそのままに、布を左手で押し上げた王帝が、その向こうの浅葱の様子を見た。


「……ふむ、なるほど。然程の異常は見られませんな。ただしかし、血の濃さはやはり我々と同じものになってしまったようだ。これでは、そなたの母君が嘆かれるだろうて」

「やはり……私はもう、ヒトでは無いのですね」

「酷なことになってしまった。息子が招いたゆえの事だ。申し訳ない」


 王帝は、心底残念そうな表情をしていた。そして、浅葱に向かって頭を垂れてくる。


「……王帝、お顔を上げて下さい。私はそんな立場にありません」

「しかし……」

「本当に、良いのです。……不謹慎ですが、私は今……喜んでしまっているのですから」

「なんと」


 浅葱のそんな言葉に、王帝は素直な驚きを見せた。そして姿勢をもとに戻し、改めて浅葱の姿を見る。


「これは、許されないかもしれない。それでも私は……賽貴と少しでも長くいられるという事を、浅ましくも喜びとして噛み締めているのです」

「!」


 賽貴が、浅葱の言葉に肩を震わせた。

 主の本音をこんなにもあっさりと耳にしてしまい、動揺があるようだ。


「やれやれ、浅葱どのにはつくづく感心させられるな。……賽貴が頑として跡継ぎを拒んだ理由が、なんとなくだか分かる気がする」

「父上……」

「心配するな。俺が生きている限り、その座をお前に押し付ける気はない。それに俺は、俺として果たさねばならんことがまだ山ほどある」


 浅葱から見て、賽貴の父というこの男は、心の広い人格者だと感じられた。世を束ねていくには寛大でなければならないとは思うが、後継である息子にすら、その責を重圧にさせまいとしている。

 それでも、いずれは賽貴はこの座に就かなくてはならない身だ。


「浅葱どの。おぬしの素直な気持ちを聞かせてもらった直後で申し訳ないのだが、この不詳の父に、一時だけ息子をお貸し頂けますかな」

「……それは、王帝への支えがどうしても必要になる、ということですね」


 王帝の言葉に、浅葱は素直に頷きを見せながらそう言った。自分の我侭などこの場で出せる状況でもなく、浅葱自身もきちんと理解したゆえの答えだった。

 そんな浅葱の答えに、王帝は益々目を丸くした。そして直後に困ったような笑みを浮かべて、「いかにも」と告げる。


「さすが、と言うべきか。もう少し子供らしい側面を覗けるかと思ったのだが……いや、恐れ入りました」


 王帝はそんな言葉を続けた後、口に笑みを湛えたまま一旦は黙り、ふぅ、と息を吐きこぼした。

 よく見れば、彼は僅かに汗を滲ませている。

 相当な無理をしているのだろう。


「……王帝をご寝所へ。これ以上はお体に障ります」

「いや、浅葱どの。俺はまだ――」

「――鴉。父上を寝所へ」

「御意に」


 やせ我慢か、王帝はそれでもここに居座ろうとした。それをやめさせたのが賽貴で、彼は敢えてこの場に姿を見せているものではなく、『自身の配下』へと言葉を投げた。

 『鴉』は賽貴の伝令役として存在していることは、浅葱も知っていた。そして彼は、賽貴の命しか受けないという事も。

 黒い着物、黒く長い髪。人型を取れるということは種族としては上位なのだろうと思われる『鴉』は、浅葱へと僅かに視線を向けて軽く頭を下げて見せた。

 それを浅葱も見逃さず、慌てて会釈をする。

 その間にも鴉は王帝へと歩み寄り、その体を支えつつ彼を立ち上がらせる。琳と颯悦も後に続き、王帝を補佐した。


「……すまぬなぁ、浅葱どの。改めて話をする機会を設けたいが……こちらの状況が悪すぎるな」

「今はどうか、ゆっくり休まれてください。私のほうは、大丈夫ですから」


 浅葱の返事をしっかりと受け止め、王帝は鴉に支えられながら、その場を後にした。

 そこから数秒後に、一同は肩の力を抜く。


「……やれやれ、やっと落ち着いたね」


 そんな言葉とともに、のそりと姿を見せたのは朔羅(さくら)だ。

 彼の表情はあまり良くはなく、状況は把握済みと言ったところだろうか。

 王帝が姿を見せた直後、彼は誰にも何も言わずにその場から姿を消していたのだ。

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