六話(二)
「っ、こんな……ッ、絶対、ダメなのに……っ!」
だがしかし、今の自分の力では何も変えることが出来ない。それがもどかしくて、嗚咽を漏らす。
「お前……どこまでお人好しなんだ」
「っ」
諷貴がそう言いながら、浅葱を抱き寄せた。
優しい仕草に、浅葱はどうしてもそれを賽貴と錯覚してしまう。
「……それくらいでいい。お前はいつまでも、あいつの支えでいてやってくれ」
「でも、諷貴さん……」
「お前の性格上、納得できない以上はずっと後悔するんだろうな。……だったらそうだな、少しだけお前の力を貰おうか」
「……え……?」
諷貴が浅葱を腕に収めたままでそう言ってきた。
言葉の意味を理解できずに、浅葱は顔を上げる。
「……お前の魂は光であり糧だ。それはヒトとしての輝きだ。これは、過去に誰かから聞いてただろう」
「は、はい……」
「その、ヒトの部分の魂を分けてもらう。……俺に喰わせてくれ」
諷貴はそう言いながら、浅葱の唇に親指を置いた。
そしてそれをゆっくりとなぞってから、彼は自分の姿を賽貴のそれに見せかけてきた。
「!」
そうすることで、浅葱に触れることを拒絶されない為だった。
――何も許してはいけませんよ。
賽貴に言われた言葉が、浅葱の脳内でこだました。
許したわけではない。
だが、拒絶をしたわけでもない。
それでも、浅葱と諷貴の影が重なったのは、僅かな時間だった。
「……お前がもう少し早く、俺の前に居てくれたらな。そうしたら……あいつからお前を奪ったかもしれない」
「……、そんな……」
「まぁ、今更な話だ。……そんなことより、やっぱりお前は父親の血のほうが強いんだな。この場では好都合だった」
「そうなんですか……?」
諷貴は、浅葱に多くのことを語っているように思えた。
だからこそ浅葱も、彼の目をそらさずに話を聞いた。
ほんの少し前まで、この瞳を誰よりも怖いと思っていたのが嘘のようだ。
「事後報告になってしまうが……お前に貰った分の魂の補充は、俺が埋めた。普通はこれをやると、ヒトは拒絶反応を起こして、最悪は死ぬ。それだけ、俺たちの力はヒトには害でしかない」
「諷貴さん、それは……」
「詳しい話は賽貴に聞け。あいつは嫌がるだろうが、そんな事を言ってる状況でもないからな。……さぁ、小娘を連れてここから出ろ」
「待っ……待ってくださ、……!」
諷貴が突然、浅葱の肩を押した。
それで、この空間から追い出されてしまうと浅葱は悟った。必死に食らいつく形で彼女は諷貴の腕を掴む。その際、勢いで彼の着物が破れてしまった。
その裂け目から見えた『証』に、浅葱は瞠目する。
そして彼女は言葉無く、懐から取り出した一枚の符を諷貴に向けて放った。
「――汝、かの者の命に応えよ。その血印はこれよりも永続なり!」
それだけの言葉を、彼に向けた。
彼の反応は看ることが出来なかった。ほぼ同時に、眠ったままの藍の体を預けられたからだ。
そして浅葱は、諷貴の『空間』から追い出されてしまう。
意識がふつり、と途切れてしまった。
それは、どれくらいの時間だったのかは解らなかった。
「――浅葱さん!」
朔羅の声が耳元で響いて、浅葱は弾かれたようにして瞳を開く。
「……っ、あ……、さく、ら……?」
朔羅はいつもの人型に戻っていた。
傷だらけなのは、やはり賽貴からの攻撃を受けたのだろうか。着物も破れ、哀れな姿だった。
「朔羅……大丈夫?」
「それはこっちの台詞だよ。浅葱さんこそ、大丈夫なの?」
「私は……平気だよ。藍も、一緒だよね?」
「……うん、さっきまで気を失っていたけどね。見てごらん」
浅葱を抱きかかえていた朔羅は、その腕の力を少しだけ強めて主を起こした。
そして、あの球体があった方角へと視線を導いてやる。
「あ……」
そこには、賽貴が膝を折った状態で項垂れていた。
その隣にいるのは、藍であった。彼女は真剣な面持ちで賽貴の体を支えつつ、彼の少し前を見つめている。
「何が……起こってるの?」
「結論から言うと、こっちの危機は回避されたよ。賽貴さんも多分……元に戻ってると思う。あの球体が浅葱さんと藍を『吐き出した』後に、収縮し始めてね」
「……諷貴さん、やっぱり」
「浅葱さんこそ、何があったの」
朔羅の言葉を聞きつつ、浅葱は体勢を立て直し、自力で立ち上がった。
そして改めて視線の先を確かめて、表情を崩す。
「……諷貴さんが、助けてくれたんだよ」
「…………」
浅葱はそれ以上を、告げられなかった。
そして朔羅も、追求はしてこなかった。
この場にいる誰もが、すでに状況を悟っていたからだ。
「……兄、上……」
球体は、賽貴から瘴気を吸い取るようにしてから、縮んでいった。
小さく小さくなって、手のひらの上に乗るくらいになってから、ぽとりと地へと落ちた。
それを躊躇いなく拾うのは、藍だった。
彼女は言葉を飲み込みつつ、大粒の涙をこぼしていた。
賽貴はうつろな表情のまま動くこと無く、浅葱も朔羅も、そんな彼に声をかけることが出来ずにいた。