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夢月夜~古都あやかし幽玄奇譚~  作者: 星豆さとる
第五夜 終章-廻る魂-
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二話(二)

「……朔羅(さくら)、不満そうだね」

「そりゃそうでしょ。僕は反対だもん。皆が黙ってるから敢えて僕が悪者になるけど、あっちがどれほど危険か、ちゃんと解ってるの? 浅葱(あさぎ)さん」

「……うん」

幻妖界(げんようかい)。僕らが出てきた世界の正しい名前だ。人間には『魔界』としか伝わってないよね。外に漏れないようにしてあるみたいだし。無駄にヒトの何倍も生き永らえて、ヒトを凌駕して、無限に湧き出るバケモノが棲まう地だ」


 朔羅の言葉選びは、少しだけ乱暴なものだった。それだけ彼の感情も穏やかではなく、やはり主を心配してこそのこの行動なのだろう。

 浅葱自身もそれを解っているので、黙って彼に頷いて見せた。


「浅葱さんは、僕らにとっては最大の敵だ。そして何よりも――美味な糧だ」


 朔羅はそこで、座している膝の前に手を置き、身を乗り出す形に出た。それと同時に体を変容させ、瞳は金色になり、獣の耳と尻尾が生え、爪も伸びる。

 本来の姿、白狐(びゃっこ)に近い形だ。

 彼は意図的にこの姿を取ることは滅多にないが、これも一種の脅しなのだろう。

 体から溢れる妖気は、禍々しい。

 それを間近で感じつつ、それでも浅葱は平然として見せていた。


「朔羅はどんなに怖い姿になっても、綺麗だね」

「……浅葱さん」


 朔羅の頭上の耳が、ピクリと動いた。感情が昂ったこの状態では、彼はいつでも目の前の存在を手にかけることが出来る。本能が囁くままに喰らうことも、弄ぶことも可能だ。

 それでも朔羅は、出来なかった。

 目の前の主が自分を『綺麗』だと言う。その言葉だけで、観念しなくてはならなかった。

 はぁ、とため息が漏れた。

 そして彼は浅葱の肩に手を置き、かくりと頭を下げる。


「言わなくてもわかってると思うけど、『僕』が特殊なだけで、他の奴らには今のは通じないんだからね?」

「うん、わかってる。いつも、どんな時でも、心配してくれてありがとう、朔羅」


 浅葱は肩に置かれた朔羅の手に自分のそれを重ねて、静かに言葉を返した。

 朔羅は基本的に浅葱に甘い。どんなに怒っていたとしても、最終的にはその怒りを収めてくれる。今がそうだったように。

 そして金色のままだった彼の瞳の色は、徐々に水色に戻ろうとしていた。

 他の式神たちは黙ったまま、その光景を見守っているだけだった。

 皆、思う気持ちは朔羅と同じなのだ。


「――ここで問答していてもどうにもならぬ。浅葱どのが決めたことなのだから、先ほど賽貴どのが申したように、妾たちはお支えするのみ」

「……だが、浅葱さまのお身体が心配だ。あちらは瘴気に覆われているだろう。それはどうするのだ?」


 白雪(しらゆき)の言葉の後、颯悦がそう言ってきた。

 それを受けて、浅葱は二人に視線をやってから口を開く。


「幸い、今宵は朔だからね。私の中の半分だけの妖の力を、活かせると思う」

「なるほど。では、問題は無さそうですね」


 颯悦(そうえつ)は、落ち着いて言葉を選んでいるようであった。全てにおいて問題が無いはずはないのだが、やはり問答を続けるべきでは無いと判断したのだろう。


「だからこそ、皆の負担は大きくなってしまうと思う。それでも、私についてきてほしい」

「承知致しました」


 白雪も颯悦も、そこで力強く頷いた。

 浅葱はそれを見てから、次の言葉を発する。


「……それで、白雪には無理をお願いしたいんだけど」

「門のことでございましたら、一つだけ確保しておりまする」

「さすがだね。ありがとう」

「――ですが、一方通行となりましょう。長時間を保たせておくのは危険でございまする」

「そうだろうね。取りあえずは、向こうに行く事だけを第一にするよ。そういう関係もあって、白雪には門に居てもらわなくちゃいけないんだけど……」

「妾は元より、そのつもりでございましたよ。それでも、浅葱どのに危険が迫る時には、扇の一閃でお側に参りまする」

「うん。……それから、颯悦は琳と一緒に行動して欲しい」

「何か、お考えがあるのですね。承知いたしました」


 そんな会話を聞きながら賽貴(さいき)も朔羅もそして琳も、それぞれに思案顔になっていた。

 ありとあらゆる知恵と、予測できる危険回避を、考えているらしい。

 それを確認した浅葱は、小さく微笑んだ。

 その数分後に、体の変調が訪れる。『朔』が始まったようだ。


「……ッ、ごめん、皆……」


 重くなる体を抱きしめつつ、浅葱がそう言った。

 その言葉だけで、式神たちは静かに立ち上がり、姿を消す。

 変容する様を見られたくない浅葱のことを、みな知っているのだ。

 だが。


「……、さいき」


 浅葱が体を折り曲げつつ、小さく賽貴の名を呼んだ。

 小さな一言だったが、賽貴は再び姿を見せて、膝を折る。


「浅葱さま」

「っ、ごめん、見苦しいとは、思うけど、……そばに、いてほし……、ッ!」


 視界が揺れた。

 少年の体から少女の体へと強制的に作り変えられるこの感覚は、痛みが大半だった。骨が軋む音が体内から聞こえて、そこから強く瞳を閉じる。

 僅か数分のことだが、その数分が永劫のように思える時間であった。


「くっ、……っ、あ……」

「…………」


 痛みに耐える主の姿を、賽貴は黙って見守ることしか出来なかった。

 そして浅葱の姿は、黒髪から金糸へと変わり、瞳の色もヒトのそれではなくなり、体も少しだけ小さくなる。


「……は、ぁ……」


 右手を床に付き、息を整える浅葱。その肩を支えたのは賽貴で、彼はそのまま主を自分の腕の中に収めた。


「賽貴……?」

「どうぞ、私を支えにしてください」

「……うん」


 浅葱は賽貴の行為に甘えながら、静かに深呼吸を繰り返す。

 変容の際は必ずと言っていいほど髪留めが外れてしまい、『彼女』の金の髪は降ろされた状態になった。それを指で梳いてやりながら、賽貴は腕の中の主を労った。

 出来ればこの苦しみの時間を、僅かでも和らげてやりたい。だが、生きていく限りはおそらく一生、付き合わねばならない痛みなのだろう。

 ヒトと妖とが結ばれて子を成すと、親がどちらであっても、必ずこういった事象が現れる。

 颯悦もそうだ。彼は一見普通に生まれたが、目に光が宿らなかった。

 妖の血が強すぎて、ヒトの血が反発できずにいる結果というものらしいが、やはり哀れだと思わずにいられない。


「賽貴、もう大丈夫だよ」

「……そのようですね。では、あともう少しだけ、私だけの浅葱さまでいてください」

「え……」


 賽貴はそう告げたあと、浅葱の反応を待たずに腕に力を込めた。いつもより小さな主を抱きしめて、温もりを確かめる。

 哀れだと思っても、相手を想う気持ちは止められない。それが愛というものであり、自分が今こうしている事すらも、同じことなのだと彼は思った。

 もし浅葱が女子(おなご)として生まれてきたとしても、賽貴は同じように愛しただろうし、子も望んだだろう。

 ただ、同じような苦しみを与えてしまうと解っているこの状態であると、浅葱が男子(おのこ)で良かったのかもしれないとも思ってしまう。

 決して、口には出来ないことであるのだが。


「……あの、賽貴……?」

「浅葱さま、お約束を。この先、決して無茶をしてはなりませんよ。今のこのお体では、あなたの霊力はほとんど通用しないのですから」

「うん……」


 思案を続ける中で、ふと現実を忘れそうになる。それを振り切るかのように、賽貴は浅葱にそう伝えた。

 小さな返事を耳にしてから、彼は徐に彼女の頬に手をやり、指を這わせる。

 それに過剰な反応を見せた浅葱が、あっさりと上を向いた。


「賽、……」


 触れることは、存外簡単だ。

 浅葱はいつまで経ってもこうした触れ合いには慣れないので、隙が生まれやすい。


(だからこそ、用心する必要もあるんだが……)


 賽貴は思わず、心でそう呟いた。

 眼前の浅葱はぎゅっと瞳を閉じて、賽貴の口づけに応えることに精一杯だった。健気なその姿が、誰よりも愛らしい。

 これが自分だけの存在であり、誰にも渡せないものだ。


(そう……もう、誰にも――兄上にも、何も譲りはしない……!)


 賽貴にしては珍しい、激しい感情が内心を巡っていた。

 否、彼は常に『こう』であった。

 表に全く出さないだけで、心の中はいつだって、求めるものに激しい情愛をいだき続けてきたのだ。


「っ、さい、き……」

「……あと少しだけ」


 浅葱が腕の中でもがく中、賽貴は静かにそう言ったあと、また浅葱の唇を塞いだ。

 そして、直後に彼女の体の中に息を吹き込むようにして、ふぅ、と息を吐いた。

 浅葱の体がビクリ、と足先まで震える。

 単なる口づけではなく、最初からこれは主目的でのふれあいであった。いわば、体の中にも結界を張ると言ったものだろうか。

 とにかくそのような事を、賽貴は浅葱に施したのだ。


「万が一、兄があなたに触れてきたとしても、何も許してはいけませんよ」

「う、うん……」


 至近距離で告げられた賽貴の言葉が、浅葱には遠くで聞こえたような気がした。

 いつもより長いと感じた触れ合いに、彼女はもう思考が回らないのだ。

 それでも浅葱は、なんとかふわふわとした気持ちを切り替えた。

 今は、強い気持ちを保たなくてはならない。


「――夜明け頃、出発しようと思う」

「はい」


 決意を口にすると、賽貴はきちんと答えてくれた。間近で見る優しい笑顔は、自分だけに見せてくれる彼の気持ちだ。

 それを受け止めてから、浅葱はまた言葉を告げた。


「私は、ちゃんと事を為せるかな……?」

「大丈夫です。浅葱さまは必ず全てを成し遂げ、此処に戻られます」

「うん……ありがとう、賽貴」


 不安はいつも、浅葱の心の奥底に存在する。

 それを拭い去るのも、否定をするのも、賽貴の役目だ。

 甘やかしてくれる存在。賽貴だけではなく、自分に従ってくれる式神全てに心で感謝をして、浅葱は一度瞳を閉じた。

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