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夢月夜~古都あやかし幽玄奇譚~  作者: 星豆さとる
第五夜 終章-廻る魂-
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一話

 ――夢の中にいるようだ、と思った。

 あまりにも永い時間、その場に留まっていた。自分からでは、動くことが出来なかった。


「……ああ……」


 思わずの声が出た。

 何もない、何も聞こえないはずの虚無とも言えるその場が、崩壊を始めたのだ。

 それがどのようなものなのか、予想すら出来なかった。

 ただ静かに真っ白であった壁が割れたかのような、視界的にはそのような表現が一番わかり易いのかも知れない。


 ――そう、(しずか)は思った。


 いつかは訪れるかもしれない。

 否、逆に永遠にその時は訪れず、自分もまた時間の中に埋もれ、やがては魂の形すら忘却の彼方に追いやられてしまうのかもしれない。

 いつまでも待てる覚悟はあった。生前に多くの人を裏切り、自分だけの幸せを選ぼうとした結果、こうなってしまったのだ。

 贖うには、多くの時間を要するだろうとは、確信していた。

 それは本当に、悲しいことだ。

 だが、幸せでもあることだ。

 自らが招いた結果を、瀞は素直に受け入れたままだ。

 許しなどないかもしれない。永遠に許されないかもしれない。


「――本当に、あなたは愚かなお方ですね」

「え?」


 一つ目の壁らしきモノが壊れきった先から、そんな声が聞こえてきた。

 瀞は目を凝らしつつそちらを見ると、そこには遠い記憶の中にしか無かった、一人の姫の姿があった。


「藤の……姫宮……」

「……良かった、あなたはわたくしを憶えていてくださったのですね」

「もちろんですとも……いえ、私が言えたことがではないと、解ってもいるのですが……」

「ふふ……あなたがそんな風に、慌てるなど……初めてみた気が致します」


 目の前の姫は、瀞の妻であった。

 藤の姫宮と呼ばれる、美しい人だ。

 かつて瀞は、この姫の熱心な恋文に折れて、彼女を『北の方』として九条邸へと迎え入れた。

 本来であれば身分違いで反対され、婚姻すらままならないはずであったが、それほど姫は瀞を好いてしまったのだ。

 慕い想い乞い続けて、姫はとうとう倒れてしまった。そういう理由を経て、二人は夫婦となった。

 一緒に過ごした時間は、ほんの僅か。瀞はその年に死に、悲しみに耐えられなくなった姫は心を病んだ。


「……わたくしはとんでもなく、我侭でしたね。その事に、最後の最後まで気づけませんでした」

「最後、とは……まさか、姫は……」

「ええ、先ほど。心を現実に向き合わせること侭ならず、その生を終えました」

「…………」


 姫は、満足そうに微笑むだけであった。

 自分が没した後、彼女がどう過ごしてきたかなど、当然知るよしもなかった。

 瀞には彼女には申し訳ないという感情が、未だにあるだけだった。


「姫……」

「――瀞さま。わたくしの背の君(せのきみ)。あなたの目から見て、今のわたくしは老いて醜い女でしょうか?」

「いえ……いいえ、あなたは以前と変わらず、誰よりも美しいですよ」

「……そうですか。良かった」


 瀞の言葉を受けた姫は、ぽろぽろと涙を零して泣いた。その涙さえ、輝く石のような貴重なものに見えた。

 こんなにも、自分を愛してくれてた人がいる。それだけでも充分な幸せであったはずなのに、それでも瀞は愛をまともに受け取ることが出来なかった。


「姫……私は……」

「仰らないで、瀞さま。あなたからその言葉を聞いてしまったら、わたくしはきっと、後悔のまま消えてしまいます」

「ですが……」

「どうか、これが最後ですから。わたくしの我侭を聞いてくださいませ。わたくしの背の君のままで、いてくださいませ」


 しず、と姫が一歩を進んだ。そして彼女は瀞の手を取り、愛おしそうに頬に持っていく。その瞳の端にはまた新しい涙が溢れ出て、ほろりと輝き落ちる。

 瀞はたまらない気持ちになり、その一滴を指に受け止めた。そして彼女をゆっくりと抱きしめてやる。


「……藤の(きみ)。私の唯一人の妻。私はあなたを迎えることが出来て、幸せでしたよ」

「ああ、瀞さま……嬉しゅうごさいます。……この世で一人きり、わたくしの愛した貴方様……出来ればもう少しだけ、一人占めさせて頂きたかった……」

「姫……?」

「愛しております、愛しております……さようなら……」


 姫はゆっくりと言葉を紡ぎ、そしてゆっくりとその体の形を崩していった。


「姫……!」


 瀞が慌てたが、彼女は微笑んだままで白い灰となり、指の隙間をするすると抜けて、消えていった。

 (から)を抱く瀞は、その場で膝を折り、表情を歪めた。


「なんて、我侭な人だ……私に一言も、謝らせてもくれないとは……!」

 手のひらにかろうじて残った白い灰を握りしめて、瀞はその言葉を吐き捨てた。

 自分のしてきたこと全て。

 許されざる事全て。

 姫の笑顔が持っていってしまった。

 姫は、瀞の裏切りも何もかも、知っていた。それなのに、最後まで彼女は責めてくることは無かった。

 その優しさが、瀞にとっては少しだけ辛かった。名家を汚した卑怯者と罵られてもおかしくはなかったのに、姫はそれ以上に自分の想いを押し通したことに責を感じてもいた。だからこそ、瀞を責めることをしなかった。

 これもまた、確かに愛の証なのだ。


「……そうですね、藤の姫宮。私も確かに、あなたを愛おしく思っていましたよ」


 祈るように言葉を紡ぐ。もう彼女には届かないかもしれない。それでも、言葉にせずにはいられない。


「……、……」


 ガラ、と音を立てて瀞の背後にあるらしい壁が崩れた。

 そもそも、これは何なのか。

 自分は魂であり、彷徨っているのだろうとは思う。ただ、そんな事は本来は有り得ることなのだろうか?

 現世を彷徨っている感覚とも言えず、難しい。

 『解き放たれる』という感覚が一番近いのだろう。その中での姫との僅かな邂逅は、果たして自然の流れであったのか、それとも人為的な力が齎したのか――。


「……おそらくは」


 多くの疑問の中でも、瀞には確信していたものがあった。

 『浅葱』が事を起こしてくれたのだろう。そうでなくては、自分のいるこの空間は変わらないはずなのだ。

 強い光が灯された。

 瀞はその光に向かって、迷わず歩き出す。


「何から何まで、面倒をかけてばかりですね。……ですが今は……ありがとう、と言わせてください」


 一歩一歩を着実に踏み込む感触を確かめつつ、瀞はそう告げた。

 その言葉が、相手に届いたかどうかは解らない。瀞には知るすべもない。

 それでも瀞は、光の元へと歩き続けた。そして彼の体は、ゆっくりとその場から姿を消した。




「……こんなところに、隠してたなんてね」


 そう言うのは、朔羅(さくら)であった。

 古びた屋敷内、朽ちかけた御簾の向こう。ぼろぼろになった几帳を押し退けると、そこには結界で守られた一つの箱のようなものがあった。黒漆の器の上に静かに置かれたそれは、置き土産とでも受け取れば良いのだろうか。


「天猫の結界石だね」

「――急々如律令」


 結界石そのもので出来た箱であると確かめた後、朔羅の隣に立っていた浅葱が膝を折り、懐から出した符をそれに充てた。発動を意味する言葉しか告げながったのは、それだけで霊符が役目を果たしてくれるからだ。

 ジュ、と音を立てて符が燃える。術に反応した証拠であった。

 符を手にしていた浅葱の手を無言で掴み取ったのは、賽貴(さいき)だ。


「賽貴」

「……大丈夫です。それより、あなたこそ無茶をなさらないでください」


 燃える符を持ち続けようとしていた浅葱と、その炎を指で潰し消す賽貴。符から(いず)る炎は妖にとっては危険でもあるのだが、賽貴はお構いなしらしい。


「さすがに、諷貴さん自身が施したらしい結界は、強力だね」

「でも、破れないわけじゃない。さっきの霊符にも手応えがあった」

「……私の方で、なんとか致しましょうか?」

「賽貴も朔羅も、手出し無用だよ。これは、私が解除しなくちゃ意味がないもの」


 浅葱は傍に従えた式神二人へとそう言い切って、一歩を下がらせた。賽貴も朔羅も、肩を竦めつつ従うしか無い。


(破邪の法で打ち破れるかな……霊符と一緒なら、もう少しだけ状況が動かせるかもしれない)


 心でそう呟きながらも、浅葱の右手は手刀を作り、格子を描き始めている。


「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳……」


「――この建物、元々は宮家のお屋敷だったんだって?」

「位を剥奪された、かつての親王がお住まいだったらしい」


 九字を言霊にする浅葱の数歩後ろで、朔羅と賽貴はそんな言葉を交わしていた。

 ここは、諷貴が人間界での住まいとして使っていた場所であった。

 位置は把握していたらしい二人だが、やはり結界が災いしたのか、中に入るのはこれが初めてだった。

 例外として、紅炎だけが出入りを許されていたらしいが、それでも彼女にはこの箱の存在までは知られてなかったようだ。


「綺麗な反物とか集めに集めて無造作に転がしてたみたいだけど、それらしいものは何もないね。傷んだ畳と放置された調度品だらけだ」

「おそらくは幻術を使って目眩ましをしてたんだろう。反物は、紅炎が一つ持ち帰ってきているところを見ると、本物だったんだろうが」

「……意外、だったよ。あの人が瀞さん以外に興味を示して、しかも結構執着してたこと」


 朔羅がしみじみそう言った直後、浅葱の手元が強く光り、少しだけ拡散したように見えた。

 賽貴も朔羅も遅れずに反応し、歩みを寄せる。


「浅葱さま」

「だ、大丈夫……なんとか、解除出来たよ」


 浅葱の手元にあるのは、やはり箱であった。結界が解かれて視界的な遮りも無くなったそれには、美しい螺鈿細工が施されている。

 ――だが。


「二人とも……この中身を知っている?」

「……もちろん」

「はい」


 浅葱が箱の蓋に手をかけたところで、その場の空気が一変した。

 本来ならば開けさせるべきではない。浅葱が見るべきものではない。賽貴も朔羅も、そう思っている。


「浅葱さんも、わかってるんだよね?」

「……うん。もしかしたら、これは冒涜行為なのかもしれない。でも、開かなくちゃ、先々代は……」

「――お開けください。瀞さまもそれを望んでおられるでしょう」


 少しの躊躇いを見せた浅葱に対して、背中を押すような言葉を投げかけたのは、賽貴だ。

 それを受け止めて、浅葱は気持ちを新たに、指先に触れたままの箱の蓋を持ち上げた。

 ――箱の中身は、賀茂瀞(かものしずか)の首だ。あの日あの時、諷貴に奪われたまま、行方知れずとなっていたそのものであった。


「我の声を聞き入れよ。今、この時よりあなたの魂は自由だ」


 懐から数珠を取り出しつつ、浅葱はそう言った。二連のそれを大きく広げ、箱の周りを覆うようにして通す。床に数珠玉全てが着いた瞬間、再びそれを手元に戻す。


 すると箱の中身がゆっくりと輝きだし、その光を保ったままでその場で浮いたあと、溶けるようにして消えた。


「……先々代」


 おそらくは、浅葱のみに届いた声があった。彼はそれを祖父のものだと確信して、顔を上げる。

 永い時の(いまし)めから、瀞という存在が解放された瞬間でもあった時は、あまりにも呆気なくそして簡素なものだった。


「……だがこれで、瀞さまの魂は流転する」

「そうだね。いつかどこかで、また会えるかもしれない。それは偉大な希望だよ」

「うん」


 式神二人の言葉に応えるようにして、浅葱はゆっくりと立ち上がりながら短い返事をした。

 今のこの状況を、喜んでいる時間は無い。


「一旦、帰ろう。お祖母さまの事もあるし」


 浅葱がそう言うと、二人は同時に頷いて、賽貴が浅葱に手を差し出した。

 一人の陰陽師と式神二人は、その場から動くこと無く、空間から姿を消したのだった。

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