十三話(二)
御簾を上げる音、衣擦れの音、戸の開閉の音。
それらを浅葱は、静かに聞いていた。そして一度静かに瞳を閉じたあと、再びゆっくりとその瞼を開いて賽貴を見る。
「……浅葱さま」
「賽貴……私はあの時、先々代と会ったの。私の意識が浮上する、少し前。その時にほんの僅かだけど、彼と話をした。それで……多分それがきっかけで、告白したの」
「…………」
「先々代――お祖父様を、尊敬していることは変わらない。あの人はとても優しくて、暖かい人だった。だけど……私は、あの人と同じようにはならない。賽貴を、裏切ったりはしない……!」
「……浅葱さま、肩の力を抜いてください。私は、ちゃんと解っていますから」
二人きりになった安心感からか、浅葱は途端に声が震えだした。そして、堰を切ったかのように再び語り始めたかと思えば、涙を目尻に浮かべていた。
賽貴はそんな主をそっと抱き寄せて、静かな口調でそう言う。
ぬくもりをその体で感じ取った時、浅葱はようやく深い溜息を零して表情を崩した。
「……呆れてない?」
「何故ですか。……私も流石に少し驚きはしましたが、それでも貴方の気持ちは、嬉しかったですよ」
「本当?」
「……前にも似たような問答を致しましたね。あの時のように、貴方から口づけでもしてくださいますか?」
賽貴の言葉は、いつも狡い響きだった。それでいて優しく、耳に心地が良い。自分だけに向けられる音を、もっと独り占めしてしまいたくなる。
そう心で呟いた浅葱は、再び意を決したかのように寄りかかっていた賽貴の胸を軽く押して、体を起こした。
賽貴はそんな浅葱の反応が予想外だったのか、僅かに目を丸くしている。
「もう一つ、聞いて欲しい。……私を、貴方のものにして」
「…………」
やはりその言葉には、賽貴は瞠目したままであった。
浅葱はそれを見て、真っ赤になり視線をそらす。それでも自分の言葉に偽りはなく、彼は自らその場で千早を脱いだ。
「浅葱さま、待ってください……!」
「……朔の夜のほうがいい?」
「そうではなくて……いや……何故、いきなり」
賽貴は慌てて両手を差し出し、浅葱の手を止めた。必死そうな顔からは、からかいのそれではないと理解出来る。
元より浅葱は、そんな事ができるほど器用ではない。
朔の夜、すなわち変容後の女の体のほうがいいか、とまで確認してきたのだ。彼の気持ちに偽りは無いのだろう。
「……私のことは何でも、解るんでしょう?」
「だから敢えて言っているんです。確かに以前、私はあなたが欲しいと言いましたが、あまりにも唐突すぎます」
「――だって、私は貴方が好き」
浅葱はしっかりと、目の前の賽貴にそう伝えた。
その頬には、一筋の涙が伝っている。
ああ、そうか。と賽貴は察した。
主はこれでも精一杯で、とっくに限界を超えている。それでも自分を求めることで、安定を探しているのだと。
「はぁ……」
浅葱の肩に手を置きながら、賽貴は大きくため息を吐いた。彼のこんな姿は、非常に珍しいことだ。
そして彼は、改めて浅葱を見やり、ぐっと自分へと引き寄せる。僅かに驚く浅葱をそのまま抱き込んで、唇を塞いだ。
「……本当に、俺のものにしてしまって良いんだな」
「う、うん……」
素の言葉遣いになる時は、賽貴は誤魔化しを一切しない。浅葱はそれを知っているので、少し強張りつつも返事をする。
「俺たち妖の本質は、あなた方が特に気にする性別には拘らないことが多い」
「……、そ、そう、なの……?」
「あなたは既に気づいているだろう? ……俺たちは、ヒトの魂を喰らうからだ」
賽貴が言葉を続けながら、浅葱を自然と横たえる。
そして彼は、主の返事を待つことなく、袴の結び目を解いた。
たったそれだけでも、浅葱はビクリと体を震わせた。賽貴はそれを見て苦笑したが、今更行動を止める気はないらしい。
「……魂が輝いていればいるほど、欲する者が増える。それを糧と取るか、別のもので捉えるかは個人によるが、琳や朔羅があなたに惹かれるのも、それが根本的な理由です」
「さ、さいき……」
「――逃さない。あなたの魂は俺にとっては毒のように甘美だ。だからこそ欲しいと思う。きっとあなたを泣かせてしまうだろうが、それでも俺は、もう自分に嘘はつかない。あなたを愛している」
「!」
浅葱は既に半泣きの状態であった。
本能で逃げの姿勢に入ってしまった彼の腕を掴んで、賽貴は静かにそう告げる。
すると浅葱はゆるく瞠目したあと、弱々しく笑った。
――愛している。
それだけの言葉が、嬉しかった。
何より欲しくて、しかし賽貴はずっと、その言葉を口にすることを避けていた。浅葱はそれを、知っていた。
だからこそ、欲しかった。
「さいき……私はずっと、最初に出会った頃から、貴方を好きだったよ……」
「知っています」
震える腕を精一杯伸ばして、浅葱は途切れがちにそう言った。
賽貴は小さくそう返事をしながら、彼の室を照らしていた明かりを、そっと吹き消したのだった。