十三話(一)
賽貴により過去を見せられたあと、浅葱は数日の間、一人きりで何事かを考え込んでいた。
「……ねぇ、やっぱり早すぎたんじゃないの」
そう言うのは、朔羅である。
彼は浅葱に過去を見せることを躊躇っていた。賽貴と同じく当事者であるからこその迷いでもあった。
「俺は後悔などしていない」
「それはわかってるけどさ。……そうじゃないでしょ」
幸いというべきか珍しい話でもあるのだが、ここニ日ほど、浅葱に陰陽師としての依頼は舞い込んではいない。
表立って動けなくなった紅炎の代わりに、琳と藍が率先して京の警戒などに出ているが、これと言った事案も起こってはいなかった。
そして浅葱は室に籠もりきりになり、思案を続けている。この間、顔を合わせられた者は式神の中では誰もおらず、出入りは浅葱付きの女房しかいない。
彼自身に憂いは見られず、塞ぎ込んでいる様子でもないらしいので安堵はしているが、心配なものは心配である。
賽貴と朔羅が、今日も二人揃って浅葱の室の前で構えている。そんな中での会話であった。
若干、噛み合ってないようにも感じられる。
「……浅葱さんは、何を感じたんだろう」
「…………」
朔羅が視線を室に向けつつ、そう言った。
賽貴はそれに答えず、視線も下に向けたままであった。
「そういえば、紅炎は大丈夫なの? この間、泣いてたみたいだけど」
「……その為に、白雪や桜姫さまについて頂いているのだろう。俺が彼女を気遣うのは、今は向いてはいない」
「まぁ、そうだよね……。僕もそれが気になって、様子も見に行けてないんだけど」
諷貴の屋敷へと行っていたらしい紅炎は、戻ってから体調を崩し、こちらも籠もりきりの状態であった。
身重でもあるために、様々なものが付き添っている。その筆頭であったのが、彼女の元の主でもある桜姫だった。
女であり母である以上、彼女ほどの適任者はいないだろう。
取り敢えずは、紅炎のほうは女性陣に任せておいても大丈夫のようだ。
「――二人とも、入っていいよ」
戸の向こうから、浅葱の声が聞こえてきた。
それを耳にした賽貴と朔羅は、一呼吸置いてから「失礼いたします」と告げて、その戸を押し開ける。
御簾を超えたその先に、主は座していた。
「暫く遠ざけててごめんなさい。二人ともそこに座って。それから、琳を呼んであるから、少し待っててね」
「……琳を?」
「まぁ、先に座ろうよ、賽貴さん」
浅葱は普段どおりに見えた。否、それ以上に凛々しくもあった。
そんな主の言葉に眉根を寄せたのは賽貴であり、朔羅も同様であったが、取り敢えずはと彼の前に腰を下ろす。
それからややあって、几帳の向こうの廊に影が生まれ、琳が膝を折る気配を確認出来た。
「琳もこっちに来て。三人に伝えておきたいことがあるんだ」
「はい」
呼ばれた琳は顔色ひとつ変えずに、短い返事をして歩みを進めてきた。彼は賽貴の隣に腰を下ろし、綺麗な姿勢を見せる。
浅葱はそれを見てから、ふぅ、と小さくため息を零した。
「……少し、考えたんだ。私がこの京のために出来ることや、今後のこと」
「…………」
三人は押し黙ったままで、浅葱の次の言葉を待った。
「まず、私は後にも先にも『陰陽師』だから、その立場はこれからも変わりない。私になりに努力して、役目を果たそうと思ってる」
「僕らはそんな浅葱さんに、従うのみだよ」
浅葱の言葉の後に朔羅がそう言うと、賽貴も琳もそれに小さく頷いた。根底の気持ちなどに揺らぎはないようだ。
「私は弱くて、情けないかもしれない。まだまだ文字通りの子供だし、至らないこともたくさんあると思う。だけど、そんな私に付いてきてくれること、感謝しています」
「…………」
浅葱の言葉は、はっきりと明瞭な響きであった。そんな主を見て、賽貴も朔羅も、思わず瀞の姿を重ねてしまった。
成長目覚ましいということは、それほどの影響も出てくるのだろうかと二人は思う。
「これから先、あらゆる困難があると思う。その度に、私は弱さ故に迷うかもしれない。そんな時に皆が私を叱ってくれると良いと、思ってます」
「その必要はないかと思われますが」
「……そう言ってくれるのは嬉しいよ、琳。だけど、私もただの人間だからね。どんなに虚勢を張っても、心の限界はある」
「浅葱さま?」
たくさんの言葉を並べる主に、賽貴が彼の名を呼んだ。
すると浅葱は膝の上に置いていた右手を低い位置で上げて、それを制してくる。
「そんな私でも一つだけ、譲れないことがあるの。それを伝えるために、あなた達を呼びました」
一拍のあと、浅葱はそう言った。
三人はそれぞれに表情を引き締め、主を見つめる。
「どんなに迷っても、私は一人の人だけを求めます」
「!」
その言葉に、びくりと僅かに肩を震わせたのは、賽貴であった。
「……朔羅、琳。あなた達の気持ちはとても嬉しい。特別なものは何もないはずの私を好いてくれる……自虐的に聞こえてしまうかもしれないけど、私は公達でも無ければ、美しい姫君でもないのに」
「浅葱さん」
「お願い、このまま聞いて、朔羅。……私は、誰も裏切りたくない。だから、言うの」
「…………」
「…………」
浅葱の声が、僅かに震えだした。緊張しているのだろうと思う。
向けられた先の朔羅も琳も、それを受け止めて苦笑する。二人とも、浅葱の真意をもう既に解っているようだ。
それでも、続きを待った。聞かなくてはならないと思ったからだ。
「……私は、賽貴が好きです。これだけは、この先も絶対に変わらない。五つの時、初めて貴方を見た時から、ずっと……」
「浅葱、さま……」
それは、濁りのない告白であった。
朔羅と琳に敢えて聞かせたのは、彼らが深い愛情を向けてくれていたからだ。拒絶するつもりはないが、受け止められないということを、浅葱ははっきりとさせたかったらしい。
「――まったく。これで僕が『否』と答えたら、どうするおつもりだったんですか?」
そう言ったのは、琳である。
彼はとても晴れやかな表情をしていた。
「最初から、解っていました。解りきっていて、僕は貴方に好意を抱き続けていました。きっかけなんてものは、些細なことです。僕の命を救ってくれた……たったそれだけだったのですよ」
「琳……」
「良いのです。浅葱どのはそのままで。……僕の気持ちも暫くは変わらないでしょうけど、賽貴さまに敵うとは思ってもいませんから」
琳の告白もまた、明瞭な響きとなって室内を満たしていた。
浅葱は少しだけ頬を染めたが、その後は小さく笑って礼を告げる。
「はぁ……琳に全部持っていかれちゃったけど、僕からもいいかな」
そう言いながら片手を上げたのは、朔羅である。
浅葱は当然、快く受け入れるために頷いてみせた。
「僕の場合は、ちょっと色々と違うんだけど、それでもこれは『愛』だと思ってる。だからこその浅葱さんの気持ちは、尊重するよ。二人は誰にも引き裂けないし、させないし、僕も引き裂くつもりもない」
「……ありがとう、朔羅」
浅葱はやはり、少し照れたようにして微笑みを見せた。
敢えて避けてきた事を、僅かな勇気で表に出した彼はそれだけでも立派だと、琳も朔羅も感じていた。
一方で、賽貴は静かに動揺をしていた。悟られないようにしているようだが、隣に座る朔羅にはそれが通じず、彼は思わず吹き出してしまう。
「……っ、あはっ……賽貴さんって、ほんとこういう場面に慣れてないよね」
「朔羅」
「睨まないでよ。……でも、そうだね、ここらで僕と琳は退出させてもらうよ」
けらけらと笑う朔羅に対して、賽貴は僅かに睨んできた。それを手のひらで避けるような仕草をしつつ、彼はゆっくりと立ち上がる。
「……朔羅、そのまま人払いを」
「わかったよ、浅葱さん」
浅葱は朔羅を見ることなく、そう言った。
どうやら、彼にはまだやることがあるようだ。それを察した朔羅は、口元に笑みを湛えたままで室を出ていく。その後に続いたのは、琳であった。