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夢月夜~古都あやかし幽玄奇譚~  作者: 星豆さとる
第四夜 招かねざる命
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十二話

 誰も知ることもない、どの位置とも知れぬ場所に、諷貴(ふうき)が居を構えている屋敷があった。

 強力な結界が常に張られ、鼠一匹ですら侵入することが許されない。

 屋敷の奥、寝殿の中で諷貴は一人、不敵な笑みを浮かべていた。

 周囲を伺うような気配を瞬時に察知して、それが誰であるかすら確認すらせずについ、と指を動かした。

 するとその指の先の一画のみ、人一人がようやく潜れるといった空間が数秒の間だけ結界が解かれる。


「…………」


 無言でそれを通り抜ける影があった。

 その影が完全に結界内に入ったことを確認後、諷貴は指を下へと動かして結界を再び完全に閉じる。


「――珍しいな、お前から来るなんて。夜はもう少し先だぞ?」

「今日はそのような用向きで此処へ来たのではない……あなたに告げておくべきことがある」


 諷貴の前に現れたのは、紅炎(こうえん)であった。

 いつもの露出が目立つ着物は身につけず、袿と袴姿であったことに僅かな違和感を得た諷貴が、ゆっくりと顔を上げる。


「何か面白いモノを持ち込んだな」

「……どうかな。あなたにとっては不幸そのものかもしれない」

「言ってみろ」


 諷貴はいつもどおりであった。

 本来座する場にだらしなく寝転がり、耳あたりに手を置きそれを支えにして肘をついてこちらを見ている。

 彼の周りには上物の反物が無造作に転がり、色とりどりの空間になっていた。

 気を紛らわせるためものか、それともまた別の理由からなのかは解らないが、紅炎はその光景を何度も目にしてきた。これが、諷貴という男なのだ。


「この腹にあなたの子がいる」

「……なんだって?」


 諷貴の表情が僅かに崩れた。

 彼の傍には寄らず、最初に立ったその場で動かぬまま、紅炎は静かに言葉を紡ぎつつそんな諷貴を見つめる。

 拒絶か、無視か。

 性格から察する彼の反応はどちらとも紅炎にとっては良くないものだと予測していたが、実際の反応が若干違った。


「お前が……俺の子を? 嘘じゃないんだろうな」

「私があなたに、そんなくだらない嘘をつくとでもお思いか」

「もっと傍に来い」

「……害を為すつもりなら、無駄だぞ」


 諷貴の表情は穏やかであった。――否、嬉しそうな表情をしている。

 それだけであったのなら、紅炎にも躊躇いはないのだ。

 だがこの男には、狂気が孕んでいる。

 笑って命を散らすことを進んで行うことが出来る存在。そんな男の言葉に、素直には従えない。


「――紅炎」

「!」


 諷貴が紅炎の名を呼んだ。

 それに、紅炎が肩を震わせる。

 たったそれだけの声音で、全ての固い意思すら崩されてしまいそうだと彼女は思った。

 諷貴が手でこちらに来いと合図してくる。

 彼女はそれに抗うことが出来ずに、一歩を進み出た。

 諷貴は全く動かず、紅炎のみを見ている。口元に僅かな笑みを浮かべながら。

 彼女が自分の元に歩みを寄せ、その腰を下ろすまでは、彼はその姿勢を保ったままでいた。


「……子供、ねぇ」

「不必要に触らないでほしい。……我が主が術を施してくださっている」

「『浅葱』……か。思っていた以上の力の持ち主のようだな」


 徐に身を起こした諷貴は、そのままの勢いで紅炎を抱き寄せて彼女の腹に手を添えようとした。すると、それを弾くような現象がその場で起こり、諷貴は浅く笑う。

 浅葱が予め施してあった術が、発動したのだ。

 それを指先に感じてもなお、この男の表情は楽しそうなままであった。


「ここまでしてるってことは、産むんだな?」

「……主にそう命じられている。私も……そうしたいと、思っている」

「まぁ、好きにしたらいいさ。俺も別に、妨害などしない」

「…………」


 諷貴のそんな言葉を間近で聞きながら、紅炎は瞳を曇らせた。

 こんな不毛な関係のまま、夫婦になることも敵わず、それでも子を残そうとしている。

 ――滑稽だ。

 そう、思わずにはいられない。

 喜びもせず、気まぐれのみで生きる男に、いつまで翻弄されなくてはならないのか。

 いっそもう此処で、けじめをつけてしまったほうがいいのではないだろうか。

 自分のためにも、子のためにも。

 決して得られない幸せの為に生きつづけることは、苦痛でしか無いのだから。


「そうだ、この反物をお前にやろう。生まれてくる子の産着にでもしてやれ」

「え……?」


 傍に転がる色とりどりの反物。それらの中から一つを指差し、諷貴がそう言った。

 そんな言葉に、我が耳を疑うのは紅炎だ。


「上物だぞ。気に入らないのなら浅葱に頼んでお抱えのヤツにでも染め直してもらえ」

「……そ、そうでは……ない。あなたは何も……思わないのか。父親になる気など、無いだろうに……」

「まぁ、そうだな。だが別に、何も感じてないわけじゃないさ」


 紅炎は思わず諷貴を見上げた。

 間近に映る彼の顔は、相変わらずだ。

 言葉を鵜呑みにすることしら躊躇われるはずなのに、それを受け止めてしまいそうな自分がここにいる。


「……ひどい顔をしてるな。そうさせてるのは俺なんだろうな。お前は信じないだろうが、俺はこれでもお前には悪いことをしたと思ってるんだぞ」


 諷貴のそんな言葉を耳にして、紅炎はきつく瞳を閉じた。

 その先の言葉を、聞きたくはなかった。

 若干は嬉しいのかもしれない。それでいて、何の希望も抱けない響きを、わざわざ言葉にされたくもないと思ってしまう。

 彼女の心の中は、どちらにも寄ることが出来ずに常にフラフラと彷徨っているかのようであった。


「紅炎、早まったりするなよ」

「……あなたが、それを言うのか。本当に酷い人だ。ここで出来るのであれば、刺し違えてしまいたいと思えるほど……私はあなたが憎い……」

「ふ……それくらいでいい。憎しみを抱えたまま生きていろ。俺が女の名をきちんと覚えているのは後にも先にもお前だけだ。せいぜい飽きられないようにしておけ」

「……ッ」


 紅炎はそれ以上の彼の言葉を聞くに耐えず、その腕から逃れた。

 そして諷貴が指差した反物を乱暴に掴んで、立ち上がる。

 諷貴はただ笑みを浮かべるだけであった。

 紅炎はそんな彼を振り向かずに、足早に部屋を出て行く。

 彼女の頬には、幾筋もの涙が滴っていた。


「…………」


 紅炎の気配が完全に遠のくのを確認してから、諷貴は静かに脇息を傍に寄せて、その場に肘をついた。

 項垂れるようにして頭を傾けると、高い位置で括った自分の銀糸がサラリと音を立てる。

 何度呪ったかもわからない、異端の色。

 だがそれでも、ただ一人の存在が綺麗だと言ってくれた。

 自分の手の甲で表情を隠しつつ、諷貴は肩を震わせながら浅く笑った。


「クク……。本当に、茶番だ……この俺が父親だと……?」


 思考が目まぐるしく脳内で駆け巡る。

 瀞を手に掛けたあの瞬間からずっと、諷貴の思考は忙しいままであった。

 そばに居て欲しかった存在。自分にとって都合の良い女。天秤にかけようもないモノに、何故か心が揺さぶられる。


「……どうして、こうなった……? なんで……居てくれないんだ……」


 顔を隠したまま、静かにそんな独り言を漏らす。

 命を奪ったのは自分であり、そのせいでの虚無感が続いている事は分かっている。

 だが彼は、たった一つの真実には気がついてはいない。


「なんで……なんでなんだよ(しずか)……転生することすら嫌なくらい、俺のことを厭っているのか……?」


 その言葉は、湿り気を帯びつつ空気に混じって静かに消えた。

 彼の部屋の中には、紅炎すら知らないものが鎮座している。

 諷貴の座する位置から屏風を超えてその先にある几帳の奥に、より強固な結界が張られたままになっている小さな空間があった。

 凡人から見れば、異常な様である。

 漆塗りの器の上に乗せられたものは、明らかに人のそれだと分かる首が腐敗もせずに存在している。

 眠るようにして伏せられたその瞳からは、静かに伝う一筋の光が見えた。

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