表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢月夜~古都あやかし幽玄奇譚~  作者: 星豆さとる
第四夜 招かねざる命
54/85

十話(一)

 何時もと変わりない光景であった。

 ――否。直後にそれは現在のものではないと浅葱(あさぎ)は悟る。


賽貴(さいき)どの、兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)の姫からお文が届いてるぞ」

「……ああ、有難う」


 聞きなれない声がした。

 直後に視界が足元に変わり、文を受け取る。

 自分が受け取ったはずなのに感覚はなく、随分目線の高さが違うと思った。


(ああ、これが……賽貴の目線なんだ)


 心で小さくそう呟く。

 そして文を届けてくれた相手をもう一度見る。

 賽貴の膝ほどくらいしか背丈のない、小さな存在。前下りの切り揃えられた群青色の髪に、大きな瞳。一つ目族と呼ばれる妖である。立場から察するにおそらくは式神の一人となっているのだろう。

 自分の代では在籍してはいないが、過去に居を共にしていたと記された書が九条邸には残っている。

 ゆら、視界が移動し始めた。

 賽貴が廊を歩み始めたのだ。

 一歩が大きく、しっかりとした足取り。

 浅葱は今、賽貴の視界の中にいる。

 意識を手放す前、自分の視界のみですがお見せします、と言ったのは賽貴だった。

 その時は理解する間も無かったが、彼の能力によって自分は今過去にいるのだと、直感する。


(しずか)さま」


 御簾を押し開けた先、さらに進んだ場所に座るその姿が視界に入り込んだ途端、浅葱は心を打たれた気がした。

 自分と似ているとも思ったが、大人びたそれはやはり自分ではなく、祖父の生前の姿なのだと確信する。

 賽貴に名を呼ばれた祖父、瀞はゆっくりと振り返り柔らかい笑顔をこちらに向けていた。


「……ああ、文ですか。宮のところの姫君にはすっかり気に入られてしまったようですね」


 賽貴が差し出した文を受け取りつつ、瀞は少しだけ困ったような笑みを浮かべた。


「私には、あの方に見合うほどの技量も身分もないというのに」


 文箱を開け、料紙を広げつつそう言う。

 文の内容は恋文そのもので、明らかに瀞に想いを寄せているという趣旨のものであった。


「正式な縁談が舞い込んでくるのも、時間の問題なのでしょうね」


 賽貴がそう言うと、瀞が少し目を吊り上げてこちらを見上げてくる。


「賽貴はそれでいいのですか?」

「私は喜ばしいとは申し上げておりませんが」


 それだけの会話を聞いて、浅葱は一つのことに気がついてしまった。

 だが、特に驚く事もなくすんなりとそうなのかと、納得してしまえる事柄でもあった。

 賽貴と瀞の関係性だ。

 状況を見るに、瀞は身分の高い姫から想いを寄せられている最中で、それをどこか憂いている様子が見受けられた。

 質の良い香や料紙を大切に扱っている以上、少なくとも姫自身を厭っているわけでは無さそうだが、それでも彼はそれ以上の感情を持てずに居るようだ。


「藤の姫宮は美しい、良い方ですよ」

「そうですね、その御身分に違わない類まれな才量と美をお持ちです」

「……一介の陰陽師でしか無い私とは、釣り合わないにもほどがある。宮がお許しになっても、世間がお許しにならないはずなのに」


 瀞はまず身分を酷く気にかけた。

 そこは自分とよく似ていると浅葱は思う。

 好いてくれる相手の身分が上である以上、何より気にかけなくてはならない事だ。

 兵部卿宮は先帝の弟君でもある。その姫ともなれば、何かと難しい話でもあるのだろう。


(……でも、『藤の姫宮』……。私のお祖母様と同じ名前……)


 全てを知らずとも、それだけで十分事の成り立ちが読めた。

 瀞は程なく『藤の姫宮』をこの家に招くことになる。そして夫婦となり、血を残していく。

 例え想い合っていなくとも、結婚はいくらでも成立させることが出来る時代である。


「――賽貴、少し休んでもいいですか」

「どうぞ」


 瀞がそう言いながら自然に賽貴の腕の中に体を寄せてきた。

 眼下に映る祖父の姿は、とても安心している表情をしていた。

 自分がそうであるように、瀞にとってもまた、賽貴と言う存在は特別なものであったのだろう。

 そして、賽貴にとっても。


(…………)


 細い手首が視界に入る。自分よりは大きいが、それでも瀞は華奢だと感じた。

 賽貴はその手首にそっと手を伸ばし、優しく包み込むようにして握る。既に寝息を立てている主をしっかりと腕に収めながら、彼もまた瞳を閉じた。




「賽貴さんってさぁ、瀞さんに甘すぎじゃない?」


 少しの間の後、視界が移り変わった。

 耳元に届いたのは朔羅(さくら)の声だ。

 彼は今と少しの違いもない外見で、だらりと寝転んでいた。

 若干、雰囲気が今より尖っている印象もある。


「あの人のお人好しもいい加減にしないと、それだけ影で泣く人も増えるよ。誰かれ構わず優しくしちゃってさ、だからあの姫だって舞い上がっちゃったんだし」


 うつ伏せ寝で床に肘をつき右腕は頬に、左手には一枚の札を指で挟むようにして持ち、ひらひらと舞わせながらそう言う。

 やはり少しだけ、今の朔羅とは違いがあると改めて思った。


「……あんたもいい加減、お人好しだけど。誰もが怖れるはずの天猫族の『賽貴』が、こんな所で人間に従ってるなんてあっちで知れたら、大変なことだ」

「それほどの力の差も無い白狐のお前が、よく言う」

「僕の一族はもう殆どいないし、誇れるほどのモノは何も無いよ。僕なんかあいつのせいで、自分の力の制御もろくに出来ない半端者だ」


 賽貴の言葉を受けて、朔羅は自嘲気味に哂った後、立てていた肘をパタリと伏せた。当然、頭も下がり表情が隠れてしまう。

 彼は疲れているようだった。

 もしかすると、『あの件』からそれほどの時間が経ってない頃なのかもしれない。

 着物の裾から見える腕には、うっすらと傷も伺える。蚯蚓腫れの痕のようだが、浅葱もその場面を視てきているので、容易に想像が出来た。


「……瀞さんに近寄る奴を皆、始末しちゃいたい。うるさい。どいつもこいつも、浮かれた声して……」

「物騒なことを言うな」

「賽貴さんはそう思わないの? 心の奥底では感じてるはずなのに?」


 掠れた声が続いた。

 朔羅はやはり肉体的にも精神的にも、疲弊していた。それでも、口元のみで笑みを残すことだけは今でも変わりのない行動の一つだ。

 ぺたりと床に頬をつけながら、乱れた髪の隙間を縫うようにしてこちらを見てくる。その姿は若干、異常でもあった。


「あー……僕がこんな風に誰かを気にするなんて、可笑しいね。どうかしてるとしか思えない」

「良い傾向だと言うことだ」


 投げやりに繋げた言葉に賽貴が真面目な返答をすると、朔羅はそのままクスクスと笑った。

 言葉通りに、今の現状が可笑しいのかもしれない。


「こんな僕の見張りさせられてて、よく飽きないね」

「見張りではない、お前の体が心配だからここに居るだけだ」

「……変なの。ほんっと、ここの屋敷の人たちって変な奴ばっかり」


 朔羅は今度こそパタリと、その場で顔を伏せつつそう言った。照れているのかもしれない、と浅葱は思った。

 一人の男の拘束から解き放たれた後、おそらく朔羅には行き場所が無かったのだろう。

 そこで何らかの理由を経由して出会ったのが瀞であり、賽貴であったのだと想像が出来る。

 生きている間、それぞれに同じくらいの『出会う偶然』がある。そう簡単に重なるものではないが、偶然は必然だという言葉があるように、仕組みはどこかで繋がっているのだ。

 瀞にも賽貴にも、朔羅にも。


「――そう言えば」


 ふと何かを思い出したかのような仕草をしつつ、朔羅が僅かに顔を上げて再び口を開いた。


「こないだ、ここに知らない人がいた。……外見だけだったらあんたと同じ顔。あれ、誰?」

「ああ、それなら……俺の兄だ」

「……ふぅん。同じ顔ってだけで、ちっとも似てないね、二人とも。っていうか、賽貴さんがまともなら、あの人はなんか異常だ」


 二人の会話が再開された直後、その場の空気が一変した。それまでは温かな日差しが降り注ぐ空間であったのに、薄ら寒い。

 朔羅も賽貴も当然気が付き、視線を巡らせた。


「人の噂をする時は、もっと忍ぶべきじゃないのか?」

「……兄上!」


 ガッ、と遠慮も無しに朔羅の頭が掴まれたかと思えば、低く冷たい声がその場を満たす。

 賽貴が声を掛けるも、『彼』は少しも動じてはいないようであった。


 ――諷貴(ふうき)である。


「っ、ちょっと! 痛い、んだけど……っ」


 朔羅の表情が歪んだ。

 茶色の髪を乱暴に鷲掴みにされ、そのまま体を起こされる。まともな抵抗すら出来ない空気を纏わせ、諷貴は目を細めて手元の朔羅を見た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ