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夢月夜~古都あやかし幽玄奇譚~  作者: 星豆さとる
第四夜 招かねざる命
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九話

「兄の屋敷へ……ですか!?」


 そんな言葉を告げたのは、向き合って座する賽貴(さいき)であった。

 いつもより語気が強いのは気のせいではなく、明らかに動揺からくるものである。


「賽貴は、居所を知ってるよね?」

「……お答え出来かねます」


 浅葱(あさぎ)の問いかけに、賽貴は首を縦に振ろうとはしなかった。

 当然と言えば当然である。目の前の浅葱は、一人で諷貴への面会を希望しているのだから。

 あまりにも、危険だ。

 それをこの主は、どこまで理解しているのか。

 否、彼は過去に諷貴の持ち合わせる負の感情に触れてきた。それが何を意味するのかは解りきっているはずだ。


「賽貴」


 名を呼ばれた。

 視線を上げて浅葱を見やれば、どこにも迷いのない表情をしている。

 折れる気は無いという表れでも有り、賽貴は深い溜息を吐いた。


「条件があります。私を同伴させてください。それでなくては、居所を申し上げられません」

「……貴方だから、余計に私は困るんだけど」

「浅葱さま」


 浅葱は困ったように笑いながら、肩を竦めるだけであった。

 どうしても、一人きりが良いらしい。


「他の者でも、同じことを申し上げるはずです。私が駄目なら、せめて朔羅(さくら)を」

「うーん……」


 賽貴はそれでも、食い下がった。

 そう易々と受け入れることは到底出来ない。

 自分の兄は、それだけ危険な存在なのだから。


「お兄さんは『妖』でしょ?」

「……陰陽師の加護のお話をされているのでしたら、あれには(しずか)さまの加護が未だに生きています」

「そうか……それで気配が読みづらいんだね」


 ふむ、と浅葱はそこで口元に手を持って行き、思考を巡らせた。

 彼は決して軽い気持ちで行動しようとしているわけでは無い。ただ、未だに純粋な感情が優っている為に、諷貴の本当の危うさを見抜けてはいない。

 真摯に向き合うこと、話をすること。

 それを望む姿勢に、過去の記憶が重なって見える。

 賽貴は、似たような光景を過去に一度見てきた。浅葱が生まれる前の話だ。

 そして、もう二度とそれを繰り返してはならないのだ。何があっても。


「――浅葱さま」

「さ、賽貴?」


 賽貴は主の名を呼んだ後、自分の膝の前で両手を揃えて頭を下げた。

 その行動を予想もしていなかった浅葱は、瞠目して焦りの表情を見せる。


「どうか、お聞き入れください。あれの元に、貴方一人を行かせることは出来ません」

「……僕からも同じことを言わせてもらうよ。あの人の所に浅葱さん一人でなんて、絶対反対だ」

「朔羅……」


 いつから居たのか。

 それすらも読ませない雰囲気の中、姿を見せたのは朔羅である。

 いつもは浅葱に向ける表情は比較的優しく甘い彼ではあるが、今日だけはそれが違った。

 滅多に寄らない眉間に皺が生まれ、厳しい顔をしている。


「…………」


 浅葱は二人を交互に見た。

 賽貴も朔羅も自分のことを第一に考え、反対をしている。やはりそれは、受けとめなくてはならないのだろう。

 彼等は自分の知らない時間を見て来ているのだから。


 ――パチッと、火桶の火種が木炭に弾ける音がした。


「……わかった。じゃあ二人とも一緒に来てもらう。万全の体制を整えた上で、伺うよ」


 ややあっての間の後、浅葱はそっと口を開いた。

 その言葉に賽貴も朔羅も厳しい表情を解き、安堵の溜息を零す。

 それほどまで、彼の人は危惧するべき対象なのか。

 ――諷貴と言う男は。


「順序が逆になっちゃったね。……聞いてもいいかな、二人に」

「私でお答えできる事でありますれば」

「僕はどっちかというと、答えられることはあまり無いよ」


 賽貴さんが言うべきことも多いしね。

 そう言いながら朔羅は賽貴の隣にゆっくりと腰を下ろした。僅かにだが、拒絶の色が見えなくもない。

 二人にとっては忌まわしい過去。それ以外の何者でもないのだろう、と浅葱は思った。


「私が前にあの人に会った時は、言い知れない暗闇を感じた。それは簡単にいえば、恐怖そのもの……。天猫族(てんびょうぞく)元来の強さからくるものなの?」

「……一概に、そうですとは申せません。兄の力は父をも超えるものであり、一族ですら嫌悪しています。双子の話は浅葱さまは十分過ぎるほど、理解されているでしょう。私も双子です。そして兄は死にゆく運命にありました。それを助けたのが、貴方のご祖父……瀞さまです」


 以外な接点に、浅葱は瞠目した。

 朔羅はそんな主を見て、苦笑する。


「前に言ったでしょ、瀞さんは優しすぎたって」

「朔羅……」


 長い溜息のあと紡がれた言葉に、浅葱は視線を動かした。

 賽貴は伏し目がち、朔羅は僅かに横を向き明後日の方向に視線を向けている。

 主を目の前にして決してあらぬ姿勢であったが、それを咎める余裕すらこの空間には存在しなかった。

 ひたすらの憎悪と、冷たい感情。

 二人から感じ取れるものは、それしかない。

 余程のことがあったのだろう。

 口にすることも躊躇われるほどの。

 そして、自分には遠すぎて届かない。


「……急ぎ過ぎてるのかな、私は」

「浅葱さま?」


 膝の上に置いた手のひらが、自然と己の着物を握りしめた。

 絞りだすようにして零れた声が震え、浅葱は苦笑する。

 自分は、焦っているのか。

 ここ数日、心が曇りっぱなしでいるのは、見えない記憶のせいなのか。

 判断が付かずに、俯いた。


「私が知る事を願うのは、そんなにいけないことなの?」


 そんな浅葱の言葉に、賽貴も朔羅も目を見開く。

 そして互いに顔を見合わせ、同時にため息を零した。

 呆れているわけではなく、自分たちの不甲斐なさを嘆いているのだ。


「浅葱さんは間違ってないよ。僕達の我儘で、あなたに真実を伝えることが出来ないまま、時間だけが過ぎてしまったね」


 朔羅がそう言った。そして彼は、姿勢を正して深呼吸をする。

 浅葱は彼の言葉に再び顔を上げて、目の前の二人を見た。


「…………」


 ここに来てとてつもない不安を心で感じ、表情が硬くなる。

 自分から求めたのに、聞いてしまってはいけない気がした。

 賽貴も朔羅も、浅葱の感じているそれを受け止めつつ、真っ直ぐな視線を向けてくる。


「――兄と瀞さまは互いを想い合っていました。ですが、兄は……瀞さまを殺しました」

「え……」

「あなたのお祖父様は病死でも寿命でもなく、殺されたんだ。諷貴さんにね」


 ――母上、先々代はどうしていらっしゃらないのですか?


 遠い昔、浅葱がまだ幼子であった頃。

 尊い存在であったと言われる祖父が屋敷内に居ないことを不思議に思い、母に問いかけたことがあった。

 桜姫はその問いに珍しく表情を崩し、答えをくれることはなかった。

 聞いてはならぬことだったのだと心で悟った浅葱は、それきり祖父のことを問いかけることはしなかった。

 その真実が今、ここで明らかになった。

 祖父は殺された。

 紅炎の想い人であり、賽貴の実の兄に。

 そして祖父は、諷貴と想い合っていた。

 つまりは愛し合っていた。


「……、……」


 さすがに思考が追いつかなくなったのか、浅葱は自分の額あたりに手を当てて表情を歪ませた。

 冷や汗らしき雫も見える。

 心が早鐘を打つのが分かった。


「浅葱さん、大丈夫かい?」

「……うん、だい、じょうぶ……」


 とても返事通りではない状態だと、朔羅は感じた。

 やはり、伝える時期が早すぎたのではないか。

 否、それでもいつかは伝えなくてはならないことであった。出来る限り、自分たちの口から。

 諷貴から浅葱に伝わる未来よりかは、今は幾分だけ救われる。

 それこそ、自分勝手な思考に過ぎなかったが。


「――お手を、浅葱さま」

「え……」

「私の視界のみですが、お見せします。そちらのほうが理解も早いでしょう」


 賽貴は更に追い打ちを掛けるかのようにそう言って、浅葱の返事を待たずに彼の手を取った。

 それに朔羅は一瞬だけ反応が遅れてしまい、止めることすら出来ずに刻が進む。


「ちょっと、賽貴さん!」


 呼びかけは既に無意味だと思いつつ、朔羅は隣の彼の名を呼んだ。

 浅葱は賽貴に手を取られたまま、ゆっくりと後ろに倒れこんでいった。それを支えるのは当然賽貴である。

 伏せられた瞳を静かに見下ろし、彼は腕の中の主を優しく抱き込む。


「……いつかは知らねばならない事だ」

「そうだけど……唐突過ぎたんじゃないの? あの記憶を直接見せるんでしょ?」

「それでも、嘘偽りなく伝えるためには、これしか方法がない」


 朔羅はつい、と膝を詰めつつそう言った。

 浅葱はここ数ヶ月で成長したと思うが、それでも完全な強さを持っているわけではない。


 ――私は強くなんて無いよ。いつでも、毎日、怖いことばかりだ。


 少し前に聞いた主の言葉を思い出す。

 都一の陰陽師と謳われる存在は、いつもどこかでひっそりと何かに耐えている。

 押し寄せる期待や、妬み。抱えるものの大きさを、この小さな体で抱き込んでいる。

 たった一人で。


「何があっても……守りきらなくちゃ。どんなことであっても。そして賽貴さんは、浅葱さんをもっと大切にして」

「……朔羅」


 朔羅は僅かに眉根を寄せつつ、そう言った。

 そして彼はそっと手を差し出し、浅葱の髪を優しく撫でる。

 朔羅が搾り出すようにして口にした言葉を、賽貴は目を細めつつ耳にした。

 彼等二人にとって、何者にも代え難い浅葱という存在。それぞれに大事にしていて、立場を譲る気もない。

 それでも朔羅は、今以上を賽貴に求めてくる。

 何が彼をそうさせているか。

 やはりそれは、これから起こりうる災厄に繋がるものなのかもしれない。


「…………」


 何もない空間の先から、兄の笑う気配がした。

 それを感じられるのは賽貴のみで、きっとどこかで諷貴は嗤っているのだろう、自分を。

 拭い切れない嫌悪感を心に燻らせつつ、彼はそこできつく瞳を閉じた。

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