三話(二)
「……まったく、改めて感じると苛々するね」
「朔羅?」
「ああ、いや。あなたの事じゃないんだ。ごめんね、浅葱さん」
抱き抱えられたままの浅葱は、不思議そうな顔で朔羅を見上げた。
賽貴もそうだったが、朔羅も焦っているかのような、落ち着きのない表情をしている。
滅多に言い争いなどしない二人が、何らかの理由でそうなってしまったのだと感じた浅葱は、ゆるりと思考を巡らせた。
自分の背が伸びたり、僅かであるが霊力が上がったり、ここ数日で何かしらの変化があった。
片手で数える程度にしか能力を使わない父が、朔羅の依頼によってその力を使ったことにも繋がりがあったのだろうか。
「朔羅、『父上』は何を視た?」
「――――」
屋敷から離れて随分と宙を飛んだ先、一つの社の奥に建つ巨木の枝にたどり着いたその時。
『主』としての言葉を受けた朔羅は、返答に困ったような表情をした。
そして浅葱の目の前で右手のひらを差し出し「少し待って」と小さく言い、己の瞳を閉じる。
朔羅の目の色は、未だに金のままであった。
それを元に戻すために、時間が必要だったのだろう。
――足元では、一人の宮司が銀杏の葉を箒で掃く作業に追われていた。
黄色の敷物のように葉が広がる地面を見つめながら、浅葱は朔羅の言葉をひたすらに待つ。
その間、彼は何も語ることはなかった。
ざわざわ、と風が木々を揺らす音だけが耳に届けられる。
「……浅葱さんは、いつからそんなに強い子になったんだろうね」
「私は強くなんてないよ。いつでも、毎日……怖いことばかりだ」
長い深呼吸を終えたあと、朔羅はゆっくりと瞳を開いた。その色は普段通りの優しい水の色だった。
太い枝に腰掛けていた浅葱の隣に、朔羅もそこでようやく並んで腰を下ろす。
「無理やり連れてきちゃって、ごめん」
「ううん。大丈夫。朔羅はいつもこういうところで息抜きをしてるのかなって考えると、なんだか秘密を知ってしまったみたいで心がくすぐったい気もするね」
「…………」
浅葱には、大きな変化があった。
彼自身は気づいていないようだが、一つ一つの言葉の受け答えが、以前より大人びているのだ。
それを改めて感じて、朔羅は主の向こうにかつての『彼』を見た。
「似てる似てるとは思ってたけど、こうやってどんどん成長していったら瓜二つになっちゃうのかな」
「え?」
朔羅の言葉に、浅葱が首をかしげる。
こう言ったところは、まだまだ子供の仕草だ。
だが彼は、日々確実に陰陽師として京を守るものとしての成長を遂げていた。
「あ、もしかして先々代のこと?」
「ああ、うん。似てきたなって改めて思ったから」
「容姿はよく似てるって言われるけど、中身も同じように備わっていたら、私自身は嬉しいって思うよ」
浅葱のそんな言葉に、朔羅は困ったような笑みを浮かべてから大きな溜息を吐いた。
少し前の彼なら、先々代と比べられることを僅かに厭っていたはずだ。誰より尊敬しているからこそ、その力の差を感じて彼は苦しんでもいた。
「……浅葱さん」
「うん」
浅葱の肩に、朔羅は自然と手を置いた。
そしていつものように彼の顔を覗き込むと、浅葱は優しい笑みを返してくれる。
朔羅はこの笑顔を、常に守りたいと思った。
「さっきの、あなたの問いに応えるよ。……あなたの父君、蒼唯さんは未来に闇を見たと言った。必然的に、これから先に良くない事が起きるという報せでもある」
「賽貴の気が少し震えていたのは、そのせいなんだね?」
「……うん」
浅葱の心は一点の曇もなく、凪いでいるようだった。
そしてはらり、と頭上から落ちてきた一枚の銀杏の葉に視線をやると、それがゆっくりと地へ落ち行く様を目で追いつつ、彼は再び口を開いた。
「……陰陽師としてこの京にいる以上、危険とは常に隣り合わせだし、時には命に関わるような大きな怪我もする。それでも私は、ここを守っていかなくちゃいけない」
――この京を守っていくこと。それは私の誇りであり存在意義でもあるんですよ、朔羅。
過去に聞いた言葉が、脳裏を過ぎった。
ずいぶん前の話になるが、今でもはっきりと覚えている声音だ。
彼が何者にも変えがたく、誰よりも守りたいと思えた相手の言葉だった。
「……さん」
朔羅の唇から漏れた名を、浅葱は傍らで小さく受け止めた。
そして一度の瞬きの後、小さく笑みを作る。
「先々代は、やっぱり素晴らしい人だったんだね」
「……でも、決して完璧な人じゃなかったよ。情にもろくて、もろすぎて僕も賽貴さんもあっさり裏切られた」
「朔羅は、私もそうなるんじゃないかって心配をしているの?」
「!」
ためらいもなく、すんなりと。
浅葱が告げた言葉に、朔羅は平静を崩された。
その言葉を予想することができずに、返す響きを用意しきれなかったのだ。
「やれやれ、隠し事はしたくないから正直に言うよ。浅葱さんの言うとおりだ。……あなたの祖父である瀞さんは稀代の陰陽師と言われるほどの人だった。だけどやっぱりヒトであることには変わりなくて、優しくて……誰にでも優しすぎて、僕らは苦労ばっかりしてた。最終的には、みんな泣いたよ」
「…………」
朔羅の言葉を、浅葱はただ黙って聞いていた。
自分が思い描いていた祖父の姿と明らかに違う点があったのだが、それにはさほど驚いてはいないようにも見える。
人間らしさを垣間見たかのような、そんな新鮮さが嬉しかったのかもしれない。
「……私はまだまだ子供だし、出来た人間じゃないから……やっぱり流されやすいし、惑うことも多いかもしれない。朔羅の心配どおりになってしまうかもしれない。でもだからこそ、見ていて欲しいって思うよ」
「はぁ……負けたよ、浅葱さん。……僕はどんなことがあっても、あなたの傍からは離れない。自分の出来る限りで守るし、守らせて欲しい。残酷な現実になったとしても、絶対に守るよ」
朔羅はそう言いながら、浅葱の肩を自分へと引き寄せた。
そして主が反応する前に、うっすらと唇を奪い取る。
さすがの浅葱もそれには大層驚いた表情を浮かべたが、朔羅は小さく笑うのみだった。
「……順番的なことを言えば、僕は常に二番目だ。瀞さんの時もそうだった。僕はいつだって賽貴さんには敵わない。……でも、僕の気持ちはいつだって本当で、本気だっていうことは忘れないでね、浅葱さん」
「……う、うん」
決意の他にとんでもないことを実行されて、そしてとんでもないことを告白された浅葱は、先程までの大人びた表情は何処へやらといった感じで、頬を真っ赤に染めてその場で俯くのだった。