二話(二)
浅葱の父である蒼唯には、先見という未来を視る能力がある。
これは鳥人族特有のもので、同じく颯悦にも備わるものだが、彼は一度もその能力を発揮したことがない。出来ないわけではなく、自ら封印しているのだ。
そして、蒼唯もその能力はあまり使いたがらなかった。
彼らは『視る』だけで何もできない。それが何よりも辛いことらしく、好き好んで使用するものではないらしい。
「蒼唯さん、ちょっといいかな」
朔羅はそう言いながら、蒼唯の部屋を訪ねた。
彼はいつもどおりで、穏やかな表情で書物に目を落としているところだった。
「……おや、朔羅。君がここを訪ねてくるなんて珍しいね」
積み上げられた数々の書物と巻物。
幾度も読み返してそれらを自然に頭脳に覚えさせていく姿は、鳥人族らしさが見て取れる。
「あなたはいつも、こんなにたくさんの知識を得ているんだね」
「そうだね。桜姫と出会って、浅葱という息子を得ていなければ、私は今だに鳥人族でははぐれ者だったかもしれない」
蒼唯の目の前に腰を下ろしつつ朔羅がそう言えば、彼は優しい口調で返事をしてくれる。
誰に対してもこの態度を崩さぬ蒼唯は、この屋敷内では誰もが親しいと思える存在であった。
「そう言えば、あなたは昔は鳥人族らしからぬ人だったね」
「若かったから……というのもおかしいかな。ヒトで言うところの若気の至りだったんだよ、あの頃は。随分と酷いことをして歩いた。盗みも殺しもなんとも思わなかったからね」
はは、と困ったように笑いながら蒼唯はそう言う。
今でこそ想像もつかない事だが、蒼唯にはそう言った過去が存在するらしい。
「……颯茨にも、私と同じように素晴らしい出会いがあればよかったんだけどね」
「まぁ、仕方ないよ。それもまた運命だったんだから」
「朔羅は手厳しいな」
「そうかな。あなたほどじゃないと思うけど」
そんな危ういとも取れる会話をしつつ、二人は笑った。
腹の探り合いをしているわけではない。本音をぶつけ合っているだけなのだが、どうしてもこういった流れになってしまうらしい。それすらも互いに理解し合っているようなので、何も問題は無さそうではあるが。
「なにか、浅葱に関わることでも?」
「そうじゃないんだけどね。ちょっと気になることがあって……『視て』もらえないかと思って」
「――――」
蒼唯の表情が、一瞬で厳しいものになった。
それをある程度わかっていた朔羅には、大しての反応はない。だが、彼を怒らせてはいけないということも重々理解しているので、気を許すことも出来なかった。
「この能力はこの屋敷では私と颯悦しか使えないし、彼には言い出せないからね」
「こうしてあなたに頼むのも相当、良くないことだとはわかってるよ。だけど、芽は早いうちに積んでおきたいって思うのもわかるでしょ?」
「……確かに、そうだね。それに若芽を摘むのは君たちの役目だ」
蒼唯の瞳が、ゆらりと揺れた。綺麗な翡翠のような色合いのそれは、浅葱も持ち合わせるものだ。
美しいと感じるものには必ず、毒もある。
いつかこの毒を浅葱も開花させるのかと考えると、それはそれで恐ろしいなと朔羅は心でつぶやいてもみる。そこにはあまり焦りなどは見受けられないのだが。
「私のことをよく知る君があえてそう言ってくるんだから、よほどの事なんだろう。そしてそれは、ゆくゆくは浅葱にも関わることだ。……良いよ、視るとしよう」
「頼むよ」
飄々としたままの朔羅に向かい、蒼唯がそう言った。そして彼は額に手をやり、普段は下ろしたままでいる前髪を掻き分けた。その向こうにあるのは、もうひとつの目だ。
ゆっくりとその瞳が開き、前を見据える。
直後、空気が膨れるようにして妖気が放出された。
「――父さま?」
滅多に触れることのない気を肌で感じ取った浅葱が、自室で顔を上げた。そして気を目で辿るようにして室を見回したあと、自分の手元に視線を戻す。
「様子を伺ってまいりましょうか」
そう言ったのは、浅葱のそばに控えていた賽貴だった。彼も蒼唯の珍しい行動に、多少の違和感があったのだろう。
「ううん。父さまがあの力を使うときは必ず誰かに頼まれた時だから、大丈夫だよ」
「……少し、気の乱れも感じますが」
「きっと、依頼人が朔羅なんだよ。父さまは朔羅とはちょっと波長が合わないから」
賽貴が蒼唯の部屋の方角へと視線をやりながら言葉を続けると、浅葱は苦笑しつつ返事をした。
その言葉を受け取った賽貴も、複雑そうな表情を浮かべて「そうでしたね」と答える。
「ところで、先程から何を書かれているのですか?」
「ああ、うん。後世のためにね、自分の行動を残しておこうかと思って。……こんな私のものでも、術がどこかで受け継がれていけばいいなって」
浅葱の物言いはいつでも、どこか遠慮がちであった。
常に自己評価が低いために、一歩引いた言葉を繋げるふしがあるのだ。
「それは必ずやこの後に役に立つはずです、浅葱さま」
「うん、ありがとう」
賽貴の言葉がじんわりと浅葱の胸に沁みた。
新月に女の身になれるとは言っても、基本が男である浅葱は子を作れない。必然的に直系の血筋は残せないと解っているし、そんな運命を選んだことに彼は後悔もしていない。幸いにも親戚は存在するのだから、『賀茂家』はこれからも残るはずだ。
「…………」
ぺらり、と頁をめくる音が静かに響く。
自分の知り得る限りの術や施し方、それを静かに綴る浅葱の姿は賽貴の目には、心なしか淋しい色合いを浮かべているように見えた。