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夢月夜~古都あやかし幽玄奇譚~  作者: 星豆さとる
第三夜 朔羅-昔日の面影-
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十二話(一)

 一週間が過ぎた。

 浅葱(あさぎ)は全回復とまでは行かないが、仕事には復帰している。

 今日は(新月)であるために、屋敷に留まっているところであった。


「そう……じゃあ、承香殿(じょうきょうでん)はもう安心なんだね」

『ああ、その節は大変世話になった』


 隆信(たかのぶ)の一の式神である大型犬の(よう)が、その後の報告を伝えるために浅葱のもとへと訪れていた。

 霊力の強い『彼』は、その場にいるだけでも自然と霊気を放っていて、それを若干苦手とする(りん)は、几帳の後ろに隠れるようにして身を縮めている。


『浅葱殿は、もう大丈夫なのか?』

「このとおり、元気だよ」


 燿の言葉に、浅葱は両腕を広げてにこりと笑う。その笑みには若干の無理もあったが、燿はあえてそれには触れずにいた。


『……女御から、文を預かってきた。ご心配されていたぞ』


「ああ、ありがとう……」


 浅葱の手元に、梔子(くちなし)の花が添えられた文を、燿が静かに落とす。

 すると浅葱はそれを指先に感じて、ほぅ、とため息を漏らした。


「美名さまは、いつも風情ある花を添えられるね……」


 文に使われる料紙や添えられる花などは、送り主の風格をも反映する。季節に合わせて選ばれるそれは、浅葱には勿体無いほどの高級な品ばかりだった。

 静かに文を手にして、ゆっくりとそれに目を通す。

 浅葱に対しての心からのお礼と、たまにお忍びで遊びに来てください、という内容が書いてった。

 それを見て、浅葱はくすりと笑みを漏らす。


「美名さまに、いずれまたお伺いしますとお伝えください」

『……承知した。それから、これは我が主からだ。近いうちにこちらに伺うと仰っていた』

「?」


 燿が次に取り出したものは、小さな香袋だった。

 浅葱の手のひらに乗ったそれは、袋だけでは分からずに思わず小首が傾く。おもむろに紐をほどいて口を開き、左の手のひらに出てたものは、ひとつの数珠玉だった。


 ――早く霊力を回復するように。そういう願いが込められた、緑色の綺麗な数珠玉だ。


「綺麗……」


 指に持ち、光に透かして目を細めながら浅葱はそう言う。嬉しそうな表情だ。


「ありがとう。隆信さまにもよろしくお伝えください」


 あの日から、こんなに穏やかな気持ちで笑ったのは初めての気がする。

 燿とはその後、他愛ない話を二つ三つ交わし、そして彼は九条邸をあとにした。ひらり、とひと蹴りで塀を軽々と飛び越えてしまう燿の後ろ姿を見送って、浅葱は縁へと進み出た。

 左手首に巻いてある自分の数珠を取り外し、結び目を解いて隆信からもらった数珠玉を継ぎ足して、頭上にかざす。

 ふふ、と満足そうに笑みを漏らしながら、浅葱はまたそれを手首に戻した。


『浅葱どの、御使者の気配がしますので、伺ってきます』

「ああ、うん。お願いね」


 リン……と首の鈴を鳴らしながら、琳が几帳から出てきてそう言う。

 そして彼は、浅葱の横まで歩み寄ったあと、ぽん、と縁を蹴って自分の役目を果たすために姿を消した。


「…………」


 自然と訪れる静寂のあと、庭に風が舞い込み木々が揺れる。

 それに目をやりつつ、浅葱はその場にすとんと座り込んだ。

 ――ちくり、と胸が痛む。

 浅葱は胸に手を当て、そしてまた顔を上げる。


(……黄絽(こうろ)さんは、朔羅(さくら)を本当に愛してた……。だけど、伝え方を間違ってしまって……。じゃあ、私は?)


 風が梔子の花の香りを、浅葱のもとへと運んでくる。甘いその香りは少しだけ濃厚で、彼女は噎せ返りそうになった。


『愛してる』


 黄絽の言葉を、脳裏に蘇らせた。

 朔羅に対して、ずっと呪文のように紡ぎ続けていた。


(言われたことないし……私からも、言ったこと……ない。『好き』と『愛してる』って、どう違うの?)


「ねぇ、教えてよ賽貴(さいき)……」


 朔による影響で碧色に変化している浅葱の瞳が、ゆらりと揺れた。

 可憐な少女の姿、その柔らかい唇から溢れた言葉はしっかりと空気に乗せられ、形となる。

 強い風が吹いた。

 突風に金糸を巻き上げられ、それに釣られるようにして顔を上げれば、目の前には賽貴が立っている。

 浅葱は驚きもせずに、黙って彼を見上げた。


「……伝わっています。あなたの想いも、気持ちも全て」


 数週間ぶりに聞いた声音だった。低いけれど、優しい響きには変わりはない。

 ただ、賽貴は浅葱の目を見ようとはしなかった。それでも膝を折り、浅葱に腕を伸ばしゆっくりと抱きしめてくれる。


「賽貴……私の想いは、苦痛じゃない?」

「はい」

「本当に?」

「はい」


 腕の中、彼の着物を掴んで問いかける浅葱。

 賽貴はきちんと返事をくれるが、やはり目を合わせてはくれなかった。

 ――もっと、知りたかった。


「それじゃ、わからないよ賽貴……」

「……浅葱さま?」


 浅葱はそこで立ち膝になり、自分の体勢を整える。そして目の前の賽貴の頬を両手ではさんで、ぐい、と自分へ向かせた。


「……!」


 次の主の行動には、さすがの賽貴も面食らったようにして、目を見開いたままで表情を凍らせた。

 完全に予想外なそれは、浅葱からの半ば強引な口づけだった。

 勢いがあまり、こつ、と歯があってしまい、慌てて彼女は身を離す。


「……っ、ごめんなさい……ッ」

「…………」


 浅葱は真っ赤になりながら、そんな言葉を漏らす。


「ごめんなさい。……でも、わたしは、賽貴が好き……。これは、迷惑、なのかな……?」


 半ば混乱もしている状態での、主の必死な訴え。それでも浅葱は一つ一つ、ゆっくりと言葉を続けた。


「浅葱さま……」


 賽貴は珍しく狼狽し、浅葱を再び抱きしめるが、うまい言葉を探せないでいる。

 そうこうしているうちに、浅葱が再び息を吸い込んで何かを言おうと唇を開いた。


「賽貴が、……迷惑なら、もう、言わない。わがままも、言わない……っ、他の、誰かが好き、なら……ッ」


 たどたどしい言葉の上に重ねられるのは、湿り気のある吐息。

 浅葱は言葉を繋げつつ不安になったのか、目に涙を浮かべていた。


「ごめんなさい、賽貴……」

「――浅葱」


 ぽろぽろと涙をこぼしながらそういう浅葱に、賽貴が名を呼んだ。

 呼び捨てられるなど今までも一度もなかった上に、いつもの彼じゃないような気がして浅葱の肩が震える。

 怖いという感情は無かったが、それに近いなにかがあった。胸の奥を焦がすような、そんな気持ちだ。


「あなたは、勘違いしている」

「賽、貴……?」

「……そのまま聞いてくれ。俺は望んでここに居るし、それは自分で願ったことだ。あなたのために存在して、自分のためにあなたに仕えている」


 浅葱が顔をあげようとしたところで、賽貴はそれを止めた。

 そして彼女を抱き込んで、言葉を続ける。今まで聞いたことのない、彼の素のままの態度だった。


「いつでも俺は、心の奥底に醜い感情を持っている。あなたの傍にいながら、浅ましい感情を抱いている」

「……それって……?」

「あなたが欲しい。……いつでも、俺のそばに置いておきたい――そう、思っている」

「!」


 浅葱の身体が、びくり、と大きく震えた。

 自分の耳元に届いた賽貴の声に、性的なものを感じ取ったからだ。

 一気に自分の体が熱くなっていくのがわかり、浅葱は慌てて彼から離れようとするが、賽貴がそれを許すはずもなかった。


「……こんな俺でも、あなたは好いてくれると……?」


 低い声音が、至近距離で届く。

 その響きが明らかに笑みを含んだものだと浅葱はわかっているのだが、どうしようもなかった。

 いじわるだ、と素直に思う。

 する、と頬に滑り込んでくるのは賽貴の大きな手だった。それは浅葱の頬全体をゆっくりと撫でたあと、おもむろに顎にかかる。


「もう、俺はあなたを手放すことはできない。……例えあなたが嫌だと拒絶しても、俺はあなたを逃がさないだろう」

「さ、賽貴……」


 浅葱はもう、賽貴の言葉をまともに聞くことが出来ずにいた。

 顔を真っ赤にして、近づいてくる彼の顔を見ることも出来ずにぎゅ、と瞳を閉じている。

 賽貴はそんな主を優しい瞳で目に止めたあと、小さく笑ってから抱き込んでいる浅葱の背中を自分の方へとぐい、と引いた。

 次に訪れるのは、柔らかい感触だ。

 もう何度、触れ合ったかはわからない唇。

 だが、浅葱にとってはこの触れ合いだけでも目を回してしまうような出来事であった。

 どんなに体を動かしても、賽貴の腕の力には到底かなわない。


「……、っ……さい、き……」

「天猫族は、独占欲が強い……俺も、それは変わらない。あなたをいつでも大切に想っている。誰よりも……」


 その言葉を聞いて、浅葱は再びの涙を目の端に浮かべた。

 思考はもう何も考えられないほどにいっぱいいっぱいだが、それでも。


「賽貴……ずっと、そばにいて……」


 精一杯、それだけを賽貴に伝えると、また唇を塞がれる。浅葱はそれを瞳を閉じることで受け入れて、ゆっくりと彼を抱きしめた。


「――お熱いねぇ」


 渡殿(わたどの)の向こうからそんな言葉を漏らすのは、朔羅だった。

 そしてその隣に立つのは、桜姫(おうき)だ。厳しい表情を崩さずに、浅葱たちを見据えている。


「貴女の気持ちはわからないわけじゃない。だけど今回は、僕に免じて許してあげてよ桜姫さん」

「…………」

「あの二人はきっと、何があっても誰であっても、引き裂くことができないよ。……そういう気持ち、わかるでしょ?」


 肩をすくめつつそう続けても、桜姫は何も返しては来ない。

 だが、特に機嫌を損ねたわけでもなく、彼女はその場で身を翻す。

 ――解らないわけではないのだ。浅葱の想いも、賽貴の気持ちも。

 それでも、桜姫には桜姫の問題がある。


「……今回だけですよ」


 朔羅にだけ聞こえる声音で、桜姫はそう言い残しその場を去っていった。

 やれやれ、と朔羅は苦笑を浮かべつつ、彼女の後ろ姿を見送る。

 そしてその後、浅葱たちに視線を戻せば、賽貴がこちらの気配に気がついていて複雑そうな表情をしていた。

 朔羅は余裕の笑みで、ひらひら、と賽貴に向かって手を振る。


「とりあえずは、まぁ、大丈夫だから」


 彼はそうさらり、と告げて、自らも踵を返す。距離はあったが、賽貴には届いているのだろう。

 楽しそうにその場を後にする朔羅の背中を見やりつつ、賽貴はふぅ、とため息を吐いた。


「賽貴?」

「はい」

「あの……さっきみたいに、喋ってもいいんだよ?」

「……いいえ、浅葱さま」


 腕の中の浅葱が頬を染めたままでそう言えば、賽貴は静かに首を振った。

 浅葱にはそれがつまらなかったらしく、ぷぅ、と頬を膨らませる。

 そんな主が可愛くて、賽貴はまた浅葱を強く抱きしめた。

 そして二人の間に、久しぶりの笑顔が戻ったのだった。

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