十一話
「思念、だった……?」
「うん。……身体は遠い昔……朔羅が手にかけた時にはもう、消滅していて……ただ、強い思いと自分が死んだことを理解出来てなかったみたいで、実体を持たないまま、魂だけが彷徨ってたんだよ」
浅葱は背中に着物を丸めたものを置いて、それに寄りかかる形で身を起こしながらそう言った。
傍には朔羅が付きっきりで、彼の看病を行っている。
――あの日から、数日が過ぎた。
浅葱の体は未だに回復出来てはおらず、看病が欠かせないのだ。
「……そう、か。でも、そう思ったほうが自然なんだろうね……」
浅葱の言葉に、遠い目をしながらそう応える朔羅はそれでも穏やかであった。
そんな彼の顔を、浅葱は首を傾けながら覗き込んで見る。
「朔羅?」
「……なに? 浅葱さん」
「大丈夫……だよね?」
心配そうな声と、不安そうな瞳。
それを見て、朔羅は小さく笑いながらゆっくりと腕を伸ばして浅葱を抱きしめた。
「僕はもう、大丈夫だよ」
身体に伝わる浅葱の体温が、温かかい。
少しだけ間を置いて彼の状態を読むが、これは――。
「……熱がある」
「平気」
体を離そうとする朔羅の背中に自分の手を置いて、彼の着物を掴んだのは浅葱だ。
「横になったほうがいいよ、浅葱さん」
「……いいの。平気だから」
朔羅が肩に手を置いて離そうとするが、浅葱は指に力を込めて強く抱きついてきた。
その言葉には、若干の震えがある。
身体も心も、今の浅葱には足りないものばかりだ。
「浅葱さん」
朔羅が名を呼びながら浅葱の顔を覗きこもうとする。だが彼は、朔羅の胸に顔を埋めてしまい、それを拒否した。
実はこの行動は、今に始まった事ではない。
ここ数日間の浅葱は、とても不安定だった。
それら全ての事を把握しながら、朔羅は彼のそばに居続ける。――彼の代わりに。
賽貴は桜姫の言いつけどおり、あれから一度も姿を見せてはいない。
今も浅葱の枕元に賽貴の符は置かれたままであるが、そこから出てくる気配すら感じなかった。自在に出てくることが出来るにも関わらずだ。
(……頑固者なんだから。浅葱さんも、賽貴さんも……)
そう心で思いながらも、朔羅がそれを口にすることはない。
少なくとも、自分にも責任があると感じているからだ。
「――よろしいですか?」
「白雪」
鈴のような衣擦れの音が耳に届いた。
それに目をやれば、戸口に白雪の姿がある。
浅葱はそこでようやく朔羅から離れて、元の位置へと身を落ち着かせた。
朔羅の隣に腰を下ろす白雪は、伏し目がちに浅葱の手を取る。彼女は朝と夕に、必ず浅葱の体調を確かめるためにこうして姿を見せるのだ。
主の手首に指を当て脈を図り、体温を確認する。
「熱があります」
「……わかってる」
白雪は俯く浅葱を見たあと、朔羅を少し睨んだ。
「ちゃんと看てるよ」
困ったように笑いながら、朔羅は背もたれの着物を取り除き浅葱を寝かせる。
その行動をきちんと見届けてから、白雪は再び唇を開いた。
「自覚なされませ。あなたは私共の主であり、この京を守る陰陽師。無理と意地は負担にしかなりませぬ」
「うん、わかってる……」
額に置かれた白雪の手は、冷たくても暖かかった。
彼女の言葉は、いつだって正しい。
浅葱は深い溜息を吐いて、目を閉じる。
「心配かけたね……いつも、後先考えずに行動してごめん」
「謝るより先に、ご自愛なさいませ。妾は責めているのではございませぬよ」
「うん」
母のような姉のような、慈愛の言葉。
桜姫が直接的な言葉を浅葱に掛けない分、白雪がその役目を担っている。
それら全てのことも、浅葱自身は解っていた。優しい彼女に感謝しつつ、またため息が溢れる。
「……浅葱さん、少し眠るといいよ。僕がちゃんと付いてるから」
「うん……」
朔羅の言葉に、浅葱は素直に頷く。
白雪はそっと立ち上がり、ちらりと賽貴の符に視線を送りながら、誰にも聞こえぬため息を漏らして部屋をあとにする。
浅葱は白雪を視線のみで見送ったあと、朔羅の手を握りしめて、また目を閉じた。
(……賽貴)
心の中で、幾度も呼んだ名前。
自然と涙があふれてくる。頬を伝って耳に落ちるそれを、浅葱は拭うこともせずにいた。
「…………」
言葉なく、傍にいた朔羅が彼の涙を拭ってやる。そしてゆっくりと髪を撫でてやってると、浅葱はそのまま静かに眠りについた。
「……ごめん、浅葱さん」
小さく呟くその響きは、主には届くことはない。
握り締めたままの浅葱の手を両手で包み込み、そっと己の唇を寄せた朔羅は、しばらくそのままの姿勢でいた。