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夢月夜~古都あやかし幽玄奇譚~  作者: 星豆さとる
第三夜 朔羅-昔日の面影-
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九話(二)

「ごめんなさい、ごめ、んなさ……っ ごめ……ッ!」

浅葱(あさぎ)さん……!!」

「もう、やめて……! 見せないでっ お願い! 朔羅(さくら)をこれ以上苦しめないで……!!」


 朔羅に縋り付いて泣きじゃくる浅葱。

 困惑しながらそれを抱きとめる朔羅。

 浅葱の身体に触れた瞬間、ざわり――と肌が粟立った。


 有り得ない。


 浅葱に対して抱くはずもない嫌悪感が、全身を駆け巡る。

 その正体を察する前に、浅葱の唇から溢れ出る声があった。


『……ああ、お前は今でも、綺麗なままだな。……朔羅』


「――っ!?」


 主の口から紡がれる言葉に、朔羅は身体を震わせた。

 忘れえぬ口調。

 日々刷り込まれ続けた、『あいつ』の言葉。


『探したぞ……。俺はお前を、ずっと探していた』


 反射的に浅葱を突き飛ばしそうになりながらも、朔羅はそれを必死で抑えた。


『朔羅……。あの頃より、綺麗になったな……』

「……、黄、絽っ しゃべるな……ッ!」


 朔羅の髪の毛が、音を立てて逆立った。いつの間にか変わっていた金色の目が、いっそう強く輝き出す。


『忘れたのか?』


 ククッと笑い、その肩が小刻みに揺れた。『浅葱』であれば決して見せることのない態度だ。


『言ったはずだ。どんな状況下になろうとも、お前は俺から逃げられないと』


「……聞きたくないッ!!」


 浅葱の声で、語られる最悪の記憶。

 叫んだ朔羅に、浅葱が――否、浅葱の姿をした黄絽(こうろ)が、にやりと笑った。


『逃げられないんだよ。今もこうして、俺はここにいる』


 あの頃と変わらぬ、下卑た笑みだった。

 朔羅の脳内はずっと落ち着かない状態だ。グラグラと目眩がして、吐き気が止まらない。


『さぁ、どうする朔羅? 俺をもう一度殺して逃げるか? この主もろともに……』

「――、黄絽ッ!!」


 何を言おうとしたのかは、わからない。

 だが、どうしても耐えることが出来なかった朔羅が声をあげた瞬間、朔羅は胸を押されてよろめいた。


 ドン――と、鈍い音が聞こえる。


「……?」


 僅かな静寂が生まれた。

 そして、驚愕の声が響く。


『お前……何故!?』


「目障りだからだ。……それに」


 淡々とした口調で応じたのは、いつの間にか浅葱の背後に現れていた賽貴(さいき)であった。


「死にたいんだろう? 望み通りに殺してやろうと、こうしたまでだ」


 彼の表情は、いつもと変わらずだ。

 しかし、その瞳に宿すものはいつもの静けさではなく、どこまでも昏い闇であった。

 背筋が凍るほどに冷たい瞳で、賽貴は黄絽を見下していたのだ。


「賽、貴……さん……?」


 震える朔羅の声があった。

 それに呼応するように、ポタリと何かが地に落ちる。

 紅い雫だ。


 ――ポタリ、と。


 浅葱の体、その背中から流れる鮮血が、何もない空間を辿って地に落ちる。

 否、それは(やいば)だった。

 賽貴が手にした刀身の見えない刀。それが浅葱の体を貫き、命の証を滴らせ続けている。


「……、なん、で……」


 朔羅の声音が、乾いて掠れていた。

 目に映る景色が現実だとは到底思えなくて、彼はゆるく首を振る。


(朔羅……)


 そんな朔羅に呼びかける、小さな声があった。


(わたしは、大丈夫……。大丈夫、だよ)


 か細いその声は、朔羅の頭の中に直接響くようにして届けられる。

 間違いなく、本物の浅葱の声だ。


(確かに、貴方の目の前にいるのは、私。……そんな私を躊躇いもなく刺したのも、賽貴。でも、わたしは大丈夫だから……)


『朔羅……』


 胸を貫かれたまま、黄絽がゆっくりと手を伸ばしてくる。

 あともう少しというところで、届かない距離があった。

 朔羅は全身が総毛立つ感覚を抑えながら、気を静めるように大きく息を吐いたあと、ゆっくりと黄絽を見据えた。


『お前を、愛している』


「……僕の知っている愛とは随分違う」


 皮肉げに歪められた口元と金の双眸が、ゆらゆらと揺れる。


『朔羅』

「…………」


 ゆっくりと自分を取り戻した朔羅は、改めて目の前の黄絽を見やった。

 早く、はやく。

 ――そんな気持ちが、じわじわと心にあふれてくる。


 浅葱を貫いていた刃は、ゆっくりと体から抜けていた。


『朔羅、愛している』

「それは、僕には伝わらないよ……」

『愛してる』

「……僕はもう、あんたには捕まらない」


 繰り返される言葉に、彼はどんどん冷酷になっていく。

 そして朔羅は、自分に伸ばされたままの『浅葱』の手を取り、ほんの少しだけ腕に力を入れた。


 ――ゴキン!


 鈍い音が響き、朔羅の手から解放された腕は、肩からダラリと垂れた。


『さくら……』

「……殺していいって、言ったよね?」


 首を傾けて見下すようにしながら一歩、黄絽に近づく。


「あんたは僕の半生をめちゃくちゃにした。……そして今、僕の大事なものを汚してる。ねぇ、許せると思う?」


 また、一歩。

 ゆっくりと左手を伸ばし、細い首にかける。


「……好きだったよ。少なくても遠い昔はね。でも、愛してはいなかった。……今の僕には、あんたよりもっと好きな人がいるんだ。比べることが愚かだと思える程にね」

『さ……くら……』

「誰だかわかるかい?」


 腕に力を込めると小さな体は難なく宙に浮き、ギリギリと首を締め上げられる感覚に黄絽が喘ぐ。

 切迫した空気だった。

 彼らの周りには白雪を始め、式神たちが揃っていたが、誰も口出しはできない状態だ。


「――あんたが捕らわれてるその小さな体! 僕の全ては今、そこにあるんだッ!!」


 再び、鈍い音が響いた。

 語気の強い言葉と共に力いっぱい突き出した右手は、浅葱の左胸に沈み、心臓を掴んでいる。

 ドクン、ドクンと脈打つ感触が直に感じられた。


「後悔させてあげる……っ、僕を、浅葱さんを、苦しめたこと……!」


『さくら……』


 ゴポリ、と。

 口の中から溢れ出た血が、腕を伝った。


「……転生だってさせてやらない。ずっと苦しんでもがいて、人から忘れ去られる地獄の苦しみをあげるよ。哀れな黄絽……」


 その言葉のあと、静寂が広がった。

 黙って場にいた白雪たちは、思わず顔を背けている。


『さく……ら……』


 飛び散る鮮血と、紅く染まる朔羅の顔。

 手からこぼれ落ちる肉片。


「……、白雪。再生させて、今すぐに……ッ!」

「――承知しておる」


 ガタガタと震える声に我に返った白雪が、浅葱の体の傍らに座った。

 見るも無残な浅葱のその身体は、ピクリとも動かない。


「……ッ」


 刀の柄を掴んだままで、一部始終を黙って見つめていた賽貴の腕は、明らかに震えていた。


「申し訳ありません、浅葱さま……ッ」


 ギリ、と歯ぎしりの後に紡がれる言葉にも、平静な色は見られない。

 ――嗚呼。

 そう、誰もが心の中で静かに呟く。

 我が主の選び取った答えは、あまりにも残酷だ。


「……大丈夫なわけないじゃないか、浅葱さん!!」


 響き渡る朔羅の声。

 彼を苦しめていた黄絽は、完全に滅びた。もう、微かな気配すら感じない。

 

 ――ただ……浅葱もそこで、息絶えていた。

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