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夢月夜~古都あやかし幽玄奇譚~  作者: 星豆さとる
第三夜 朔羅-昔日の面影-
35/85

八話

「おかえり、(りん)

『……おかしな物言いですね。ここは九条ではないでしょう』

「あ、そうか……」


 再び浅葱のもとへと戻ってきた琳に対して、浅葱(あさぎ)がそう言いながら出迎えた。

 彼は未だに、内裏内に身を収めたままだ。ギリギリにまで絞られた灯りの元で、浅葱は静かに人形(ひとがた)の札を作っているところであった。


『珍しいですね、肩代わりを作るとは』

「……うん。ここは、九条じゃないでしょ?」


 浅葱の手元を覗き込みながら琳が言葉をかけると、浅葱が琳と同じ言葉で返す。


「使わなくて済むなら、それでいいけれどね」

『…………』


 そう続ける浅葱を、琳は黙ったままで見上げた。

 彼の表情は僅かに寂し気だ。

 滲む寂しさの向こう、琳が先ほど目にした九条邸での賽貴と朔羅の近すぎる距離を光景を思い出して、彼は思わず眉を寄せる。

 そして、浅葱の作業の邪魔をするようにして、琳は浅葱の膝の上へと滑り込んだ。猫の姿であるからこそ、出来る行動でもあった。


「琳?」

『……寒いんですよ、此処』

「そう……」


 浅葱の膝の上で丸まって落ち着く琳。小さく息を吐いて、頭を擦りつける。

 琳のさりげない気遣いに、浅葱はやんわりと笑みを浮かべた。


「ありがとう、琳」

『…………』


 優しく琳の頭を撫でつつ、そう言う。

 琳は瞳を閉じて前足をたたみ、その上に顎を載せてされるがままの姿勢を見せた。

 首輪に付けられた小さな鈴が、微かにチリンと鳴る。


「――――」


 直後に、傍にある燈台の上の炎が、不自然な揺れ方をした。

 浅葱も琳もそれに気がつき、顔を上げる。

 そして手元にあった札を素早く仕上げて、浅葱は蝋燭の火を消した。


『浅葱どの』

「うん」


 一瞬で空気が一変する。

 琳が小さな声で浅葱を呼べば、彼は既に身構えの姿勢で庭の方へと視線を投げていた。


「何とかしてみせるよ。女御さまには近づけさせない……絶対に」

『援護はします。……ですが、無理はなさらずに』

「ありがとう」


 二人が短い会話を交わしている間に、そばに控えていた颯悦(そうえつ)が庭を見やる。女御の室に収まっている白雪(しらゆき)も、厳しい表情で同じように庭へと視線を送っていた。


 ――そして。


「――来ます、浅葱さま」


 ざわ、と周囲の樹木が騒ぎ始める。

 それと同時に広がっていく、緊迫した空気。

 女御の代わりとして座している女房が、ガタガタと震えだした。


「決して、この場にはたどり着けませぬ。ご案じ召されるな」

「……は、はい……。でも、恐ろしゅう、ございます……」


 女房の声音がゆらゆらと不安定だ。

 目に見えない恐怖と向き合っているのだ、仕方のないことなのだろう。

 そばにいる白雪は、そんな彼女の視界を遮るようにして己の体を僅かに中庭の方へと向けた。そして、右手に収まるのは畳まれた扇だ。


「――――」


 たん、と一歩進み出たのは、感覚の鋭い颯悦だった。

 じわじわとこちらへ近づく気配を、黙したまま読む。

 確かに覚えのある感覚だ。とりとめのない――だが、肌に障るその気配は、以前に触れた存在と同じだと本能で悟る。

 そして彼は一旦踵を返して、浅葱のもとへと駆け寄った。


「颯悦、どう?」

「やはり、私が以前に遭遇したものです。非常につかみにくい存在ですので、お気を付けを」

「うん」


 ――バリン、と音が響いた。

 陶磁器が割られたものだった。

 音に反応し、皆が向けた視線の先には砕けた香炉がある。

 そしてゆらゆらと、その場に生まれるものは、形のない煙のようなもの。

 浅葱は静かに縁に立ち、懐から一枚の符を取り出して目の前にかざす。それを通して、存在が何者かを見極めるためにだ。


(人、では無い……。生霊に似ているけど……)


「!?」


 心でのつぶやきのあと、浅葱は己の感覚に戸惑いを見せた。読み取った相手の感覚に既視感があるのだ。


(なに……? この、感じ……私は、これを知ってる……?)


「浅葱どの、お下がりくださいませ」


 動きが固まってしまった主の姿を見て、白雪が進み出てきた。

 美しい所作で畳まれたままの扇をすっと前に差し出し、凛とした声音で言葉を続ける。


「姿をはっきりさせて見せましょう。このままでは手の打ちようがございませぬ」

「白雪……」


 半ば主をかばうようにしつつ、白雪はそう言いながら片手のみで扇を開いた。

 そして目の前の蠢くモノに対して、勢いよく扇ぐ。

 一瞬、晴れる煙のような存在。そこから、垣間見えるものは――。


「……っ、やっぱり、白狐(びゃっこ)……っ!!」

「!!」


 浅葱の声を聞き、傍に控えていた颯悦が眉根を寄せた。

 以前、この歪み(・・)が発した言葉をじわりと思い出す。


(さくら……と。あれが白狐で間違いないのなら……危険すぎる!)


 現在では、表で確認できるのは朔羅のみしか浅葱たちも知らぬ、その一族。

 遠い昔、人間界で数体が暮らしていた。人に害を為すこともなかったので、相互不干渉の枠を若干外れた存在であった。

 だが、白銀の毛皮を目当てに人間の乱獲に遭い、種のほとんどを失い滅んでしまったとさえ言われている――白狐族。

 その能力は、魔界の中でも桁外れに高いものだった。


『浅葱どの、この場から離れてください!』


 叫びに近い声音を上げるのは、琳だ。

 浅葱の着物の裾を口で引っ張り、この場から彼を遠ざけようとする。

 危険信号が、琳の脳裏にも大きく響き渡っているのだ。

 だがそれでも、浅葱はその場を動こうとはしなかった。浅葱自身もこの気配は危険だともちろん感じ取れてはいるのだが、自分が離れてしまえば危うくなるのは承香殿だ。


『浅葱どの!!』


 悲鳴にも似た声での警告をよそに、浅葱は符を宙に浮かせて、その場により強固な結界を作り上げる。

 それと、目の前の蠢くモノが動きを見せたのは同時であった。

 

 ――バキン!


 激しく何かが砕けるような音を立てて、いとも容易く破られるのは浅葱の結界だ。


「……っ!」

『浅葱どの……ッ!!』

「浅葱さま!!」


 その光景は、一瞬の出来事だった。

 煙のような歪みは、目にも止まらぬ速さで浅葱の結界を破ったあと、彼の胸のあたりを貫いた。


「浅葱どの!」

「…………」


 白雪が慌てて駆け寄るが、あまりにも遅い行動だった。

 浅葱の体を通り抜けた『それ』は、やはり煙のようにして姿を消したように見えた。

 彼は立ち尽くしたまま、自分の胸に手のひらを置いた。首をかしげて暫く呆けていたが、その表情が次第に強張っていく。


「……あ……」


 ぼろぼろ、と溢れ出る涙。

 それを拭うこともせずに、浅葱はただ虚空を見つめてガタガタと体を震わせ始める。

 ぱた、と浅葱の頬から滑り落ちた涙の雫を己の耳の端で受け止めた琳は、慌てて顔を上げた。


「……違う、私じゃない、っ……だめ、嫌っ!!」

『な、なんてこと……!!』


 琳の体の毛が、ぶわ、と逆立った。一瞬で瞳孔が細いものになり、彼は言葉を零す。


「琳、浅葱さまに一体なにが!?」


 颯悦が琳に問いかけた。

 そして彼は、浅葱の背を支えるためにすらりと右腕を差し出す。


『……っ、主殿に……主殿の体内に留まり、何かを見せているんです、あれは!!』

「なんだと!?」


 浅葱を通り抜けたあと、姿を消したその存在。

 琳が言う通りであれば、通り抜けたのではなく浅葱の体に入り込んでいることとなる。


「いや……、やめて……っ、離してあげて! いやぁぁッ!!」

「浅葱さま、お気を確かに……っ!!」


 浅葱は既に、錯乱状態に陥っていた。

 それを支えながら、颯悦はもがく主に必死に声をかける。

 その声は、目の前にいる浅葱には届いていない。


「っ、だめ、やめて……っ! 助けてあげて、たすけて……!!」

「浅葱さま!」


 崩れた表情で、涙も拭わずに叫び続ける浅葱。

 颯悦はそんな主に、ただひたすら声をかけ押さえ込むことしか出来なかった。

 そして琳と白雪も、そんな姿を見守ることしかできずにいた。


『どう言った状態であるか、これは!!』


 バタバタバタ、と廊を走る音が聞こえてきた。

 声の主は隆信(たかのぶ)の第一の使役である、犬の姿の耀(よう)のものだった。

 ただならぬ気配を察し、自分の持ち場を置いて隆信と共に駆けつけてきてくれたのだ。


「……、そうだったの、……だから、なにも……私に、言いたくなかった、の。……知られたく、なかったんだね……っ」


 颯悦の腕の中、焦点の合わない瞳で涙をこぼしながら、言葉を紡ぐ浅葱。

 それを目にして、隆信は慌てて彼に駆け寄り注視する。

 大きな手のひらが浅葱の目の前を通り過ぎて、その後は大きなため息が隆信からこぼれ落ちた。


「なんと、言うことだ……」


 静かな声音だった。

 だが、同時に滲むのは自責の色だ。


「私がもう少し早く、この場に来ていれば……」


 陰陽頭(おんみょうのかみ)である彼がここにいれば、状況はまだ明るかったのかもしれない。

 だがそれも、過ぎたことだ。


「陰陽頭どの……」

「君は白雪だったな。……そして、颯悦。それから、琳、だね」

『はい』



 隆信は白雪たちにゆっくりと視線を送り、表情を歪めた。


「お前たちの主は、いつもこんな無茶をなさるな。……女御を悩ませていたモノは今、浅葱がその身に取り込んでいる。接触があった時に、外に出すまいとする意志が働いたのだろう。浅葱自身が意識する前にね」

「かわいそう、なの……っ、誰か、助けてあげて……ッ」

「……浅葱」


 尚もたどたどしく言葉をつなげて悲壮な表情をしている浅葱に、隆信の右手が再び伸びた。

 それは額に辿り着き、彼は優しく囁くように呪を紡ぐ。すると浅葱の体からすっと力が抜けて、そのまま眠りに落ちた。

 慌てて颯悦が主を支え直し、隆信がその胸に静かに符を貼り付けてから、ゆっくりと顔を上げた。


「此処はもう、大事無い。このまま帰らせるのは酷な話だが、浅葱自身があれを離そうとしない以上、私にもどうにも出来ない。だから今は、九条に戻ったほうがいいだろう」

「……わかりました」


 颯悦が静かに答えると、隆信は無言で小さく頷いて香炉があった場所に水をかけに行く。

 すると、それまで漂っていた荷葉の香りが、ゆっくりと薄れていった。


「私はここを離れることはできない。すまないが、浅葱を頼むよ」

「――承知しておりますゆえ、ご案じ召されるな」


 立場上、隆信が広く活動できないことは、ここに居る誰もが熟知している。

 だからこそ、浅葱がここまで来たのだから。

 颯悦がゆっくりと浅葱の体を抱き起こし、琳はその胸の上に飛び乗る。

 頬を伝う涙の跡を言葉なく舐め取って、琳は抱きつくようにして浅葱の首元に顔を埋めた。


「……琳。浅葱さまは、大丈夫だ」

『はい、そうですね……』


 そう思わなくては、何も救いがない。

 颯悦の言葉も、己の返事も、言い聞かせに過ぎない。だがそれでも、音にしないよりはましだと思った。

 颯悦と琳が小さく言葉を交わす中、白雪が再び扇を広げて空気を縦に切る。空間を操ることができる彼女の、最大の能力だ。

 そして切りつけられた空気は、一筋の線とともに深淵の闇へと繋がる場所へと繋がる。

 ありとあらゆる場所へと通じる、次元の穴だ。

 白雪はそこに颯悦を先に促し、通させる。すると耀が彼らを見送るようにして進み出て、白雪に言葉をかけた。


『こちらの事は、我等に任せられよ』


 その言葉を受けた白雪は、黙って頷き自らの体も空間にすべり込ませる。その中で隆信に向けて彼女が頭を下げると、空間に空いた穴は一瞬のうちに消失していった。


「浅葱……」


 消えた先の景色を見やったままで、漏れ出てた隆信の呟きもまた、乾いた風にさらわれ――消えた。

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