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夢月夜~古都あやかし幽玄奇譚~  作者: 星豆さとる
第三夜 朔羅-昔日の面影-
34/85

七話

 ――()の刻。


 承香殿(じょうきょうでん)の庭先に下りて、浅葱(あさぎ)は空を仰いでいた。

 やけに生ぬるいと感じる風が、肌にまとわりついてくる。それに眉根を寄せつつ、浅葱はおもむろに懐から式神符を取り出した。


颯悦(そうえつ)


 静かに一人の名を呼び、符を宙に放つ。

 するとそれはふわりと宙を舞ったあと、符としての形を崩して姿を変えた。

 ――颯悦が符から出てきたのだ。

 彼は最小限の音で地に足をつけたあとに、浅葱に向かって頭を下げる。

 風を自在に操ることができる颯悦は、この場でなすべきことがあるのだ。

 部屋の奥の承香殿の室には、女御によく似た女房を控えさせて、傍には白雪(しらゆき)を置いている。

 いつもであれば女御を囲み見目の良い女房たちが集い、華やかな空間であるはずの場所が今は静まり返っていた。


「……風を」

「御意に」


 浅葱が更に懐から取り出したものは、先ほどここの女房に頼んだ薫玉であった。


「これを、風に乗せて誘い出す。間違いでなければ、接点はここにある」

「はい」


 彼の足元には、颯悦が生み出した小さな風の渦がある。

 浅葱は静かにそう言葉を告げたあと、手にしていた薫玉をあらかじめ用意してあった香炉に入れて、香を炊き始めた。

 そして足元の風の渦の中心に置いて、一歩下がる。

 傍らに立つ颯悦が、それを確認したあと再び風を操った。

 ビュオ、と一度激しく音を立てて、その風は舞い上がる。頭上まで行ったそれは、ゆっくりと空に溶けて行った。


「…………」


 浅葱は自分の髪を押さえつつ、風の行方を見守る。

 自分の行動と考えは間違ってはいないはずなのだが、僅かに胸騒ぎがする。

 どこかで何かを見落としているような気がして、浅葱は視線を落とした。


「……さいき……」


 思わずの名が、唇からこぼれた。

 浅葱はそれに焦り、慌てて口元に手をやって踵を返す。


「部屋に戻ろう……颯悦」

「……はい」


 『餌』は仕掛けた。あとは相手が掛かるのを待つだけだ。

 完全に人払いを行い、承香殿の周りの結界も既に強化済みである。

 何も、手はずは違えていないはずだ。

 そう自分に言い聞かせて、浅葱は一つの室に颯悦と共に戻った。




 眠りについて数刻の後に目を覚ました朔羅(さくら)は、その場に座している賽貴(さいき)の背にもたれながら浅い息を吐いていた。体は女性体のままだ。

 先刻から熱が出始め、その影響で頬がほんのりと赤く上気している。

 やがて、ほぅ、とため息を吐き、続く吐息でクスリと笑う。

 それに反応して、賽貴が首だけで振り返った。


「……どうした」

「こういう時、自分は生きてるんだなって、感じるよ……」

「何を言ってるんだ……」


 どこか遠くを見て言う朔羅に対して、賽貴は視線を戻して背中を貸したまま呆れ声を返す。


「……浅葱さん、遅いね」

「そうだな」


 わずかな間を置いて、朔羅が再びそう言った。

 浅葱が内裏に向かってからもう随分と経っている。未だに戻る様子も見られず、ただ時間が静かに過ぎていくのみだ。


『――主殿は帰られませんよ。……どういう状況ですか、これは』


 一つだけ上がっている格子から、黒い影が舞い込んできた。

 一旦、九条邸へ報告に戻るように浅葱から言いつけられた、(りん)であった。

 身軽に片足を下ろした後、背中にあった羽根を仕舞ってから顔を上げたが、その眼前に広がる賽貴と見知らぬ女の近すぎる距離を見て、動揺を露わにする。

 二人が纏うただならぬ雰囲気に、琳は一歩を後ずさった。


「……琳」


 賽貴が少しだけ気まずそうな声音で、彼の名を呼ぶ。


「あはは……見つかっちゃったか」


 彼の背でクスクスと笑う『女』が、琳を見やりながらそう言った。

 琳は声と気配で、相手が誰であるのか瞬時に把握する。


『……貴方、朔羅どのですね』


 確認のために発した琳の言葉は、若干呆れの色を含んでいる。

 朔羅のこの姿を見たことは今まで無かったが、白狐族にそう言う種がいることを知っている彼にとっては、容易なことだったのかもしれない。


「琳、結界が張ってあったはずだが?」

『僕は、主殿の力で、どこでも通り抜けられるようになっているんですよ』


 賽貴の言葉に、琳は静かにそう答える。

 朔羅は相変わらず賽貴の背にもたれたままで、クスクスと笑っていた。着物の袖から覗く腕が、やけに艶かしく見える。


『……馬鹿なことを言うつもりはありませんが、主殿には決してお見せできない光景ですね』

「うん、だから黙っててね」


 琳が嫌味混じりにそう言うも、朔羅は動じずにいた。

 さらに賽貴に絡んでも見せて、この状況をある程度は楽しんでいるかのようにも見えた。


『…………』


 ――自分には関係ないから、いいですけどね。

 琳は心の中でそう呟いたが、それでも浅葱を思い浮かべてしまう。

 だが、それ以上を彼は自制して再び口を開いた。


『賽貴さま』

「……なにか、わかったのか」

『主殿には、伝えてませんが……』


 賽貴に向き直り、琳は話を切り替えた。

 そこまでを告げて、僅かに言い淀むしぐさを見せてから、また続ける。


『先日の……颯悦どのの報告から照らし合わせ、そして、朔羅どののその状態を見て、僕が勝手に推測したのですが、おそらく間違いないかと』

「――聞こうか」


 そこで空気が一変した。

 笑みを浮かべていた朔羅も、口の端を下げて琳を見やる。


『今、主殿が掴もうとしている存在。それは今夜中には、こちらに向かうでしょう』


 そこまで言ってから、琳は朔羅へと視線を移し、ハッキリと告げた。


『あなたの元へ』

「――……」

「そう……。やっぱりね……」


 深い、ふかい溜息を吐きながら、朔羅はそう言った。

 口元には皮肉げに歪められた笑みが浮かんでいる。

 手が自然に震えだし、それに気づいた賽貴が、当たり前のように握りしめてやっている。


『……お似合いですね、お二人共。賽貴さまがそこまで積極的になられているのは、初めて見ます』


 ――それほど、こちらには余裕がないのですね。

 そう繋げて、琳はくるりと踵を返した。


「琳」

『わかっています。主殿には何も言いませんよ。貴方がたの口からどうぞ。……手遅れにならぬうちに』


 賽貴の声に琳はまたそう言って、床をひと蹴りして宙に浮いた。浅葱の元に戻るのだろう。その身体が降下する前に背中に翼が生え、バサリと羽ばたいていく。


「…………」


 飛んでいく琳の姿を、賽貴は黙って見送る。

 朔羅も辛そうにしながら、琳の後を目で追っていた。

 小さな羽ばたきの音が遠くなっていき、再びの静寂が戻ってくる。

 ふぅ、と溜息をこぼす朔羅に、賽貴が反応を返した。


「……大丈夫か」

「大丈夫じゃないよ。……言っても、仕方ないけどね」

「朔羅」

「もう、離れたほうがいいね。この先は、僕のそばに居なくていいよ。……ほんとに、危ないから」


 朔羅はそう言いつつ、自らの腕に力を入れて、賽貴の背中を押した。そうすることで自分の体を起き上がらせたのだ。

 賽貴はその言葉に、一瞬の反応が遅れた。

 慌てて振り向いたが、朔羅は彼の視界を手のひらで遮る。

 そして、一瞬だけその唇に自分のそれを重ねて、浅く笑った。


「――まったく、賽貴さんは僕に甘すぎるんだから。大事なもの、気持ちまで流されないようにしてよね」


 さらり、といつも通りの軽い口調でそれだけを言い残し、朔羅は賽貴から距離を取るために、その場から姿を消した。

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