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夢月夜~古都あやかし幽玄奇譚~  作者: 星豆さとる
第二夜 二子の嵐
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十二話

 ――ちゃんと、生きてる。


 白雪(しらゆき)に叱咤されたおかげで、落ち着きを取り戻した浅葱(あさぎ)が最初に見たもの。

 それは答え返せないながらも、呼吸に上下する賽貴(さいき)の身体だった。

 自分に言い聞かすようにして脳内でそう言葉を浮かべたあと、彼が見やったのは周囲だった。今の状況を把握するためだ。

 すると、目に付いたのは自分の後方で身体を折る(りん)の姿。その手の中に潜まれていたのは短刀で、浅葱からの方向でしか確認出来ないものだった。

 そんな彼に、(らん)が駆け寄ってくる。


「――――」


 浅葱はその時には既に、自分の体を琳の方向へと向けていた。

 考える余裕などはどこにもなかった。それほど自然と言える方法で、勝手に体が動いていた。

 体の前後から襲った衝撃。

 それを受け止め踏みとどまったが、その後に体に走った激痛に一瞬だけ意識を手放した。


「……なん、で……?」


 藍の声が発せられたのは、その直後あたりだ。

 とん、と背中に軽い抵抗を受け、浅葱の意識は再び覚醒する。

 耳に届いたかすれ声は、次の瞬間には耳慣れた怒声へと変わっていた。


「なんでよっ!!」


 耳元で響く藍の声。そういう声を久しぶりに聞いた気がして、浅葱は小さく口元をほころばせたりもした。


「……藍、さん。怪我は……?」

「え……?」


 浅葱に言われたそんな言葉を、藍は一瞬だけ意味がわからない、と言った具合の表情で受け止める。そして、眉目を歪ませて再び口を開いた。


「怪我してるのは、あんたでしょ……? 何、言ってるのよ……」


 力ない悪態だった。浅葱を支えてる手も震えている。

 次々に襲いかかる事態が、とうに藍の許容範囲を超えてしまっているのだ。


「――手を」


 自分の胸元の傷口を押さえている浅葱の手をそっと外したのは、いつの間にか傍に寄っていた白雪だった。即座に自分の手のひらを主の傷口へとかざし、治癒をはじめる。


「白雪……私は、大丈夫……だから、賽貴を先に診て、お願い……」


 浅葱はそんな白雪の指に手を添えて、押し戻すようにしながらそう言った。

 白雪は当然ながら眉根を寄せる。


「しかし……」

「……命令だよ。賽貴の治療を」


 弱々しい声音でありながらも、浅葱はそう続けた。

 そんな主の気持ちを悟り、白雪は仕方なくその手を自分のほうへと引き、


「動いてはなりませぬよ」


 と、言い残してその場を離れた。


「……は。とんだ茶番ですね……」


 我に返り、引きつった笑みを浮かべながら呟くのは琳だ。

 浅葱の血が付いた短刀を持つその手が、僅かに震えている。


「失敗したなぁ、琳」


 場違いに楽しそうな声が、そんな彼に投げかけられた。諷貴(ふうき)のものだった。


「二度目は無いと言っただろ……どうする?」

「別に……どうもしませんよ、諷貴さま。欲するものが得られないのなら、僕は死ぬだけです」


 歪んだ笑みを浮かべる諷貴に、琳が静かな声で答える。

 その言葉を耳にして、藍が困惑の表情を浮かべた。


「琳……? なに、言って……」

「……どこまでも愚かで哀れですね、藍は。僕はお前が、憎かった」

「!」


 琳の言葉を受けて、藍の肩が僅かに震える。

 体を預けたままにしてある浅葱にはそれが直に伝わり、瞳を揺らがせた。ちなみに胸にはじわじわと鮮血が滲み続けている。


「り……」

「――それでも、琳さん……。貴方が藍さんを刺していたら、きっと後悔していたでしょう」


 藍の言葉を遮る形で、浅葱は琳へと言葉を投げかけた。

 琳はそれに、頬のあたりを引きつらせる。


「だから……自分が刺されたと?」


 微かに震えた声が漏れた。

 浅葱はそれに、静かな微笑みを返すのみだった。体力が落ちてきているためでもあるのだろう。


「……馬鹿ですか、あなたは! 僕があなたに何をしたか、忘れたわけではないでしょう!!」

「だってあなたはまだ、『堕ちて』はいない……」

「――っ。だからあなたは、偽善者だって言うんですよッ!!」


 迷いも後悔も感じられない浅葱の澄んだ表情に、逆に琳は困惑した。それを誤魔化すかのように大声を張り上げ、首を振る。

 そんな兄の姿を、浅葱を抱きとめたままでいる藍は言葉なく見つめていた。


「――ゴホッ」


 浅葱が大きく肩を揺らし、咳をした。喉に何か詰まったらしい。

 咳と同時に体に走った激痛に耐えながら、彼は口元に持っていった手のひらを見た。それを染めるのは真っ赤な鮮血だ。


「…………」


(やっぱり、ダメかな……)


 ぎゅ、と手のひらを握り締めその甲で口元を拭った浅葱は、徐ろに懐から人型の紙を取り出した。

 それを自分の目の前に掲げて、呪を唱え始める。


「ナウマク、サマンダ、バザラ……」


 途切れがちではあったがしっかりと音になったそれは、ゆっくりと淡い光を放ち、膨らんでいく。

 それが浅葱と同じ形を取り、すたり、と地に足を付ける。


「……ごめんね、変わってくれる……?」


 弱々しい浅葱の声に、それはこくりと頷いてゆらりと腕を伸ばしてきた。

 そして静かに浅葱に抱きつくように覆いかぶさるとふわり、と空気が揺れた。

 次の瞬間には、その浅葱と同じ形の存在は地に横たわり紙に戻ると音もなく消えた。


「…………」


 そこだけ時間が止まっているように感じられた琳と藍は、その光景を不思議そうに見つめていた。

 陰陽師であれば誰しも持っている、身代わりとなる『式神』だ。

 感情を持つことのない、ただ主の身代わりだけを務める『影』。魂すらも持たぬものであったが、そういう存在であっても浅葱は出来るだけ犠牲を払いたくはなかったようだ。傷の肩代わりをしてもらった今も、その表情はわずかに暗い。

 だがそれでも、今は守りたいものがある。

 一度目を閉じ、そして再びそれを開いた頃にはしっかりとした表情に戻っていた。


「支えさせたままで、ごめんなさい」


 自分の力で立てるとそこで自覚した浅葱は、預けたままであった藍からそっと離れてくるりと踵を返した。

 藍は浅葱が刺された胸の辺りを凝視したが、そこには傷跡は見当たらずに、染め上げられた衣の紅さだけが痕跡を残すのみとなっていた。


「もう、平気だから……」

「ちょっと」


 安心させようと微笑んだ浅葱だったが、その言葉は途切れて再び上体の均衡をわずかに崩す。

 藍は自ら腕を伸ばして、そんな浅葱を正面から受け止めてやった。

 そして、足元に目をやり固まり始めていた血だまりを確認して、


「……血を流しすぎじゃない」


 と言葉を続ける。

 そこに生まれるのは、奇妙に安らいだ気持ちだ。

 藍にも浅葱にも同様に訪れ、二人は小さく微笑むのだった。

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