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夢月夜~古都あやかし幽玄奇譚~  作者: 星豆さとる
第二夜 二子の嵐
21/85

十一話

「…………」


 自分の身に起こった事が理解できずに、賽貴(さいき)はただ黙って自分の腹から伸びた刃を見つめていた。

 それが引き抜かれた後も、一点を見つめるのみで体が動かない。

 そんな彼の後ろで、笑みの形に歪む男の顔がある。

 賽貴と同じ顔をした、しかし賽貴とはまるで違う空気を持つ『銀髪』の青年。


「諷、貴……さん……」


(何が、起こっている……?)


 そう、自問するのは朔羅(さくら)だ。

 頭の中が麻痺したように、思考が定まらずに困惑しているのだ。

 唇から漏れた声が、自分のものではないかのように遠くで響くのを聞きながら、刃についた血が滴り地面に染みを作るその光景をただ呆然と見つめていた。


「――賽貴ッ!!」


 ビリ、と一瞬だけ空気が揺れたような気がした。

 その緊迫した浅葱(あさぎ)の声に、賽貴も朔羅も弾かれたようにして現実に戻る。


(浅葱……さま……?)


 声と同時に室内から姿を見せた浅葱を見やった直後、賽貴は自分の腹部が紅く染まるのを自覚して、一気に口の中に血の味が広がっていくのを感じた。


「……、か……はっ……」


 臓腑から逆流した血を口から吹き出し、その場で体制を崩した彼はがくりと膝をつく。


「賽貴っ!」

「あさぎ、さま……来ては……」


(――来ては、なりません……)


 言葉を続けることができずに、賽貴の視界はそこで傾く。

 自分に向かって駆け寄ろうとしている浅葱に、警告を発したいのに声にならなかった。

 痛みは感じない。ただ腹部が熱を帯び、力が入らないのだ。


「……く、……あははははっ!!!」


 そんな姿を目の前にして、哄笑したのは(りん)であった。

 距離が近かったのもあり、彼は賽貴の返り血を浴びているが、それすら気にもかけずに楽しそうに笑っている。

 『子供』が作り上げる高らかな笑い声とは裏腹に、歪みを見せる眉目。大きく見開かれた瞳が、賽貴の血の色を写し朱金に輝いていた。


「……っ」


 その『歪み』を誰よりも知っている朔羅は、その場で身動きが取れずにいる。現実には引き戻されたが、賽貴と同じ顔の『彼』に僅かな畏怖を抱いているからだ。


「……賽貴……?」


 崩れ落ち、大地の抱擁を受けるしかなかった賽貴の傍らに駆け寄った浅葱は、その場で座り込んで彼の名を呼ぶ。

 彼からの返事は無い。

 静かに広がり続ける血だまりが浅葱の衣の裾をも染め上げ、そこから急速に失われていくのは賽貴の体温だった。


「さい、き……賽貴……!」


 大切なものを、永遠に失うかもしれない恐怖。

 それに浅葱は実に素直に顔を引きつらせ、そして。


「いや、……いやあぁぁぁ……ッ!!」

「!」


 屋敷中に響き渡るのは、浅葱のそんな声音だった。

 尋常ならざる主の声に朔羅が二度目の現実に引き戻され肩を震わせ、家人たちも飛び出してくる。


「……っ」

「なっ……!」


 白雪(しらゆき)紅炎(こうえん)が姿を見せ、中庭で起こった惨状とそこに存在する諷貴(ふうき)に息を飲む。


「何者だ!?」


 後に続いた颯悦(そうえつ)だけが、異質な気を放つその存在を知らずにそう叫ぶ。


「……賽貴(さいき)の、兄だ……」


 吐き捨てるように答えたのは、紅炎だ。


(何故、奴が……?)


 そして心の中でそう呟き、眉根を寄せる。


「賽貴の……?」


 紅炎の声を耳にした颯悦は、少なくない驚きの色を声に乗せていた。

 盲目である彼には、その姿は映らない。だが、改めての気配を読み取れば、それに共通するものを感じ取る事も出来る。

 だが。

 ――違う。

 賽貴とは明らかに質を異なる禍々しい気。その身を取り巻く悪意に満ちた波動に、颯悦は僅かの体を震わせた。


「賽……貴さま……!?」


 少し遅れる形で与えられている屋から庭を覗いた(らん)が、倒れた賽貴の姿を目にして、真っ青になりその場でへたり込んでいる。

 誰もがそれぞれに冷静さを欠く中、立ち尽くす颯悦の横をすり抜けて白雪がそっと縁を降りたが、それに気づくものはいなかった。


「……諷、貴さん……」


 声が震えていた。

 朔羅はそれを自覚するのと同時に、背中に冷たい汗が流れるのを感じ取る。

 名を呼ばれた青年――諷貴は、楽しそうに口の端に笑みを浮かべたままだ。


「どういう、つもりで……最初から、これが狙い……!?」

「……どうかな。こいつの背後を取れるかどうか試したかったんだが……」


 朔羅の途切れがちな問いかけに答えつつ、彼は地面に沈む賽貴を見下し次に手にしたままの刀を口元に持っていく。そして刃についたままの血をべろり、と舐め上げて満足そうに哂いまた続けた。


「こうも簡単に取れるとはな。随分と腑抜けたもんだ。なぁ、賽貴?」


 弟の名を軽い響きで音にした後、彼は傍にいる浅葱に興味を持った。

 そして膝を折り、賽貴にしがみつき泣きじゃくっている彼に手を伸ばす。


「別に殺しちゃいないさ。安心しろよ、『浅葱』」

「――触れるな、無礼者っ!」


 あと僅かで触れるか触れないか――。

 そんな距離に割って、衵扇(あこめおうぎ)が諷貴の手の甲を一閃した。白雪のものであった。

 彼女は冷徹な瞳で諷貴を見やり、言葉を続ける。


「そなたの用は済んだのであろう。無駄に留まることは許さぬ」

「……相変わらず怖いな、雪女(ゆきめ)。お前までここにいるとは思わなかったよ」


 意表を突かれた諷貴は、それでも困った素振りすら見せずにクックッと笑いながら身を引いた。

 彼が白雪を雪女と呼ぶのは、彼女のその本質を、その身に抱く恐怖すらをきちんと見定めているからだ。身を引いたのもその為だろう。


(はよ)う去ね」


 尚も余裕な姿勢を崩さない諷貴に目を細めてそう言い捨てると、白雪は浅葱の傍らに腰を下ろし、賽貴の傷に視線を置いた。


「……さいき、さいき……っ」

「浅葱どの。手をお放しくださいませ」


 未だ彼にしがみついたままの浅葱に、小さく声をかける。

 だが、浅葱は変わらずに、賽貴の名前を繰り返すのみだ。


「浅葱どの」

「賽……」

「――浅葱どの! しっかりなさりませ!」

「!」


 白雪の叱咤の声に、浅葱がビクリと体を震わせる。

 それまで賽貴の着物を握りしめていた手のひらがゆるく解かれ、その小さな手に優しく添えられる白い指は白雪のものだった。


「しらゆき……」

「これくらいの傷で、賽貴どのは死んだりは致しませぬ。妾が力をお貸ししますゆえ、気をお静め下さいませ」

「……う、うん」


 白雪の一喝により恐慌状態を脱した浅葱は、呆然としながらもこくりと頷きを見せ、それを目にした白雪は賽貴へと向き直って傷口を調べ始めた。


「…………」


 そのやりとりを尻目に、いつしか哂いを止めていた琳が縁で腰を抜かす藍を横目で一瞥していた。

 涙で顔を濡らし、目の前の光景を受け入れることができずにカタカタと震えることしか出来ない妹。


「愚かな……、……」


 侮蔑の眼差しを送りポツリと呟いた直後、琳の髪が色を失った。


「……?」


 誰もが賽貴と諷貴に気を取られる中、藍だけがその変化に気がつく。


「り……ん……!?」


 闇色から銀色へと変化した髪――その姿にかつての母の面影が重なっていく。

 決して癒えることのない、天猫族の病の記憶だ。


(どうして、琳が!?)


 ――体の弱い兄。

 定期的に飲まなければならなかった薬。

 銀色の髪。

 バラバラの欠片が形作る答え、それは……。


「……っ、……ぁ……」

「琳っ!」


 琳の苦しげな声に、思考が霧散する。

 胸元を押さえながら身体を折る。その姿に驚いた藍は、反射的に己の体を起こし駆け出していた。


「――ダメだ!」


 その警告は遅く、無意味であった。

 視界の端で起ころうとしている出来事に朔羅が気づいた時には、藍は琳まで後わずかという位置にいたのだ。


「藍ッ! 今の琳に近づいちゃダメだ!!」

「――……」


 紅炎が、颯悦が――そして白雪が、朔羅の声に導かれるままに視線を送った先。

 何が起こったのか。何故そうなったのか。

 誰も信じがたいものを見るように、その光景に釘付けとなっていた。


「……り、ん……?」


 困惑した藍の声が静寂の中に落ちる。

 自分の体に、横から押されるようにして強い衝撃を受けたことはわかった。

 よろよろ、と数歩よろけつつ留まった時には、彼女の目の前が闇色に塗りつぶされてしまう。


 ――ポッ。


 と、滴の落ちる小さな音がした。

 足元を見ると、一つ、二つと赤黒い染みが増えていく。


「……、……?」


 それでも、藍自身にはどこにも痛みはない。


(……アタシじゃない)


 そう心で思ったとき、目の前の影がぐらりと揺れた。

 ゆっくりと開けていく視界から、自分の方へと倒れてくる何か。藍は無意識のうちに、それを受け止めていた。


「……浅葱さん!!」

「え……!?」


 朔羅の声で、藍は瞬きをする。

 開けた視界の先で、琳が呆然と血の付いた短刀を握りしめていた。

 自分と同様に何が起きたのかわからない、と、そんな顔をしている。

 サラリ、と頬を撫でる漆黒の髪。それが藍の視界を塗りつぶしたものの正体だった。

 受け止めた腕の中、胸の下辺りを真紅に染めた影を見て、体が震える。


「……なん、で……?」


 静寂の中、藍のそんな呟きだけがただ空しく響いていた。

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