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夢月夜~古都あやかし幽玄奇譚~  作者: 星豆さとる
第二夜 二子の嵐
20/85

十話

 穏やかな昼下がり。

 浅葱(あさぎ)は自室でまどろみに身を委ねていた。

 庭に面した室内には陽光が降り注ぎ、そよぐ風が几帳を揺らしている。

 このところは彼の傍には常に誰かが控えていたが、今は珍しくその気配がない。

 比較的平穏と言える日が続く中、昨夜は久しぶりに(あやかし)の来襲があり、退魔に駆り出されあまり寝ていなかったせいだろう。浅葱はとてもよく眠っていた。


「…………」


 サアッ、と風が吹き浅葱の顔に影が落ちる。

 足音を殺して現れた影が陽光を背に立ち、冷めた眼差しで部屋の主を見下ろしていた。

 変わらず静かに寝息を立てる浅葱。

 それをしばらく眺めたあと静かに膝を折ると、影は細い指を彼の首へと伸ばす。


「――何故、あなたみたいな中途半端な人が、皆に必要とされるのでしょうね……」


 唇から流れる問いに、答えが返る事が無いと知りながら目を細め、その手に軽く力を込める。


「……細い首ですね。このまま僕がもう少し力を入れたら、あなたの苦しむ姿を見れるのでしょうか……」

「――その前に、僕が君を殺すかもしれないよ」


 背後からかけられた冷たい声。

 空間を渡り音もなく現れた朔羅(さくら)に殺意を向けられ、影の主――(りん)が、唇の端を笑みの形に吊り上げた。


「人が離れれば、何か仕掛けてくるとは思ったけど……。目の前の餌にすぐ食らいつくなんて……君、行儀が悪いよ」

「……ふっ。この状況には何かあると、思いましたけどね……」


 朔羅の冷めた視線を背中に受けながら、琳が軽く肩をすくめてそう言った。


「で、試してみるかい?」


 浅葱の首には未だに琳の指がからんでいる。

 それから視線を逸らさずに朔羅が目を細めると、琳は浅葱の首から手を離し、ぱっ、と両手を広げて立ち上がった。


「冗談ですよ。やれやれ、怖いですねぇ貴方は」


 そう言いながら振り返った顔には、挑戦的な笑みが浮かぶ。


「……君ほどじゃないよ」


 朔羅もまた、琳と同じように薄く笑いそれに応えてみせた。

 琳が目覚めてよりずっと、その動向を監視するように気を張り巡らせていたのは朔羅であった。

 そして、常に浅葱の側にいたのは賽貴(さいき)だ。

 京に張り巡らされた結界の見回りのために外に出なければならなかったとは言え、浅葱を一人にしておくということは考えにくい。

 ――何らかの、罠があるのではないか?

 それぐらいの事は、よほどの馬鹿で無ければ考えつくことであった。

 先ほどの言葉を見ても、琳自身その可能性が大きであろうことは解っていたはずだ。


(……何を考えている?)


 朔羅は、琳の考えが読めずに思案する。

 琳という少年は、どちらかというと狡猾な――そう言う型のはずだと朔羅は思っていた。何かしらの行動を起こす事は予想しても、直接的な接触は避けてくるだろうと当りをつけていたのだ。

 それに、彼の影に見え隠れする人物のことも絶え間なく気になっている。

 あれ以来、気配すら感じないのが逆に怖いくらいだ、と朔羅は思っていた。


「……ご当主殿が起きてしまわれますから、離れましょうか」

「…………」


 琳の提示に、朔羅は目だけで中庭に降りるように促し、先に動いた琳のあとへと続く。


「本当に、厭になりますね……」


 縁を難なくポン、と蹴り、中庭へと飛び降りた琳がぽつりと零した。


「似た者同士とは、反発するものと聞きますが、これが同属嫌悪というものなのでしょうか」

「……君と一緒にしないで欲しいな。僕は『そちら』の部類には属さないんでね」

「ふふ……相変わらず、白狐一族は自尊心が高い……」


 嘲るように鼻で笑い、くるりと振り向く琳。

 それを冷めた瞳で見下し、朔羅は足を止めた。

 朔羅の視線を涼しい顔で受け流し、琳は自室で寝息をたてる浅葱へと視線を送る。この位置からだと彼の頭と肩程度しか視界には入らないが、琳にとってはそれもどうでも良い事であった。


「我等の次期王帝と目されるお方は、事もあろうに人間にご執心で、まるで骨抜きです。その人間は中途半端……天猫を哀れだと嘆いて、何が可笑しいでしょうか」

「哀れなのは君自身だよ。……それとも、わざと間違えているのかい?」


 琳の言葉を耳にして、そう答えながら朔羅は一度目を閉じてまた細く開く。変わらぬ表情と変わらぬ口調。その中にあって、瞳の色だけが水色から金へと変容しているが、横を向いている琳にはそれに気づかなかった。


「そもそも、あれは人間だと言えるのでしょうか? ましてや(あやかし)ではありえない。どこまでも、半端で見苦しい存在だ。僕にとっては、塵芥(ごみあくた)にも等しい……」

「――黙って、くれないか?」

「…………」


 低く響く声に、琳はそこでようやく朔羅を横目でちらり、と覗き見る。

 顔に当てられた手――その指の隙間から覗く双眸は金の輝きを放ち、殺意に揺れていた。

 浅葱を、そして賽貴を蔑む言葉。

 極力声を抑えていても、不快感と殺意がそこに現出している。


「……ご執心なのは、我が君だけではないようですね」


 琳はそんな朔羅から視線を戻して、また小さく肩をすくめた。

 この状態である朔羅を目の前に、ここまで恐怖しない存在というのも珍しい。虚勢なども見受けられず、琳は常にあるがままであった。


「なぜ、貴方ほどの人が、こんなところに?」

「……答える義理は無いよ。それに、必要ないだろう? 君には理解する気もないんだから」

「そうですね」


 琳はあっさりと頷き、にこりと微笑むと側にある枝葉に手を伸ばしながら続ける。


「本当に、理解できません。白雪(しらゆき)さん……でしたか。あの方もそうです。ここには何故か、魔界でも群を抜く力の持ち主が集っている。僕にはここにそれだけの価値があるとは、とても思えません。……ああ、でも……」


 雄弁に語りつつ、思い出したかのように顔を上げて、琳は朔羅を肩ごしに振り返る。

 そして。


颯悦(そうえつ)さん。あの方は、よくお似合いだと思いますよ。半端者同士……ね」


 ニィッ、と笑うその表情は、彼を少年だということを忘れさせるほどだ。

 どこまでも挑戦的な態度を崩さない琳に、朔羅はギリギリの理性を保つのが精一杯であった。


 ――いっそのこと、今ここで殺してしまおうか。


 そんな思いすら、脳裏に浮かぶ。

 彼はそれを自制するようにして、大きくため息をこぼした。


「……無駄話はもういいよ。遠まわしは嫌いなんだ。君の目的はなに?」

「『君の後ろにいるのは誰?』ですか。……十分、遠まわしに聞こえますけどね」

「――琳」


 低く響く声があった。

 クックッ、と肩を震わせ笑う琳の横――朔羅がいる位置とは反対側の空間が揺らぎ、そこから姿を見せたのは賽貴で、彼は険しい表情で琳を見下ろしていた。

 京の見回りを終えて、屋敷の近くまで来た時に感じた朔羅の微かな殺気。そして、その彼の側にある琳の気配。

 急ぎ空間を渡って来てみれば、朔羅の瞳が金へと変容している。自分の居ない間に何があったのか。少なくとも、良いものではない事は明確であった。


「……何用ですか、賽貴さま」


 もはや、その性を隠す様子もなく、琳は冷めた眼差しで己の仕えるべき主を見据える。

 賽貴の突然の姿にも、殆ど驚きは無いようだ。


「お前は、何をするつもりだ? 事と次第によっては、容赦しないと言ったはずだが」

「別に、貴方がたを困らせることはしませんよ」


 賽貴の言葉に、琳はクスリと笑いを漏らしつつそう答えた。そして、手にしていた葉を一枚引きちぎり、続ける。


「……ただ僕は、死にたくないだけです」


 ポツリと零された言葉とともに、彼の瞳に暗い影が落ちる。

 それに気づいた朔羅は、わずかに眉根を揺らしていた。


(……賽貴)


 心でそう呟くのは、浅葱だ。頭上で感じ取った数人の気配と会話に、流石に目を覚ましたようであった。

 未だ横たわったままであるが、ぼんやりと中庭を見つめている。


(朔羅と……琳さん……?)


 一度目を閉じて、ゆっくりと開く。それでも安定しない意識を煩わしく感じながら、浅葱は陽の光の中にある彼らの光景を、ただ眺め続けていた。


「……ああ、そうだ。知っていますか?」


 くるり、と身を翻した琳が、二人へと笑いかける。その瞳には先程の翳りは消えていた。


「天猫の双子は、必ず一人が死にます。僕のような病気持ちがね。でも……」


 そこまで告げると、琳は唇の笑みを深くする。

 朔羅がその変化にまたも反応はするが、そのままでいた。


「――健康体。つまりは片割れの血を飲めば、永きを得られるんだよ」


 ドン、と。

 厚みのある何かを貫く音がしたと同時に、琳の言葉を引き継ぐ者があった。

 賽貴の背後に生まれたその声は、一瞬にして空気を濁す。


「……っ!!」


 目の前で起こった出来事に、朔羅とそして遠くからそれを眺めていた浅葱が息を呑む。

 何の前触れもなく突如、空間を割って現れた銀髪の青年と、賽貴の腹部から伸びた刃。

 それがゆっくりと引き抜かれるのを呆然と見つめ、浅葱は急速に己の意識が覚醒していくのを感じていた。

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