(5)ノノ姉の婚礼
5)
「シュカ、昨日の晩また湖に行ったね。」
朝餉を食べているとき、おばばは唐突にそう言った。
不思議なもので、夜中シュカが浮沈を抜け出すとき絶対おばばは寝ているし、起こしたこともない。しかし、次の日の朝必ずばれてしまう。
それでそれを咎められたことはないが、おばばにそう言われると何となく胸にチクリと感じる。
小さくなってシュカは頷いた。
「おばばにはどうしてもばれてしまうね。どうしてわかるの。夜は寝てたでしょう?」
おばばは、啜っていた汁を盆に置くと、目線を上げてシュカを見る。
「わかるさ、纏っとるものが違う。昨日は、灰色の氣がシュカにまとわりついとった。それがすっきりしとる。」
へぇ、纏っているものか・・・と心で感心しながらおばばをちらっと見ると、おばばはこちらを見ずに言った。
「まあ、それはいい。シュカ、最近痣はどうだ?」
表情が変わらなかったので、本当はおばばがどう思っているのかもわからなかったが、聞かれたことを考える。
「別に変わりないわ。背中だからわからないけどそんなに広がってないと思う。痛みもない。」
シュカの背中には赤い痣があった。痣は赤ちゃんだった頃には既にあって、腰のあたり、ちょうどおへその裏側あたりに小さな桜の花びらのようなものだった。
ただ、シュカの成長とともにだんだんと大きくなった。
それはまるで花を散らしたように広がっていき、今では背中の半分くらいを埋めている。
痣が増えるとき、ちりっと身を焦がすような小さな痛みが伴う。
痣が増えるのは突然で、ひと月に二枚、三枚と増えることもあれば、一年近く増えないこともあった。
普段は、何の障りもなくあることも気にせず生活している。
ただ、ここ一年くらい、花が散ったようだった痣が蔦を伸ばすように急に増えてきていた。
シュカ自身は、ずっと一緒に過ごしてきた痣は自分の一部として受け入れているし、花のようなあざは好きである。
しかし、おばばはずっとこの痣のことを気にしていた。痣が増えるたびにまるで自分が痛みを受けたかのようにつらそうな顔をする。
だから、この頃はシュカが自分から痣のことを話すことはなかった。
おばばはほっとしたように息をつくと、にっこりと微笑みかけた。
その顔を見つめながらおばばの愛を感じ、シュカも自然と笑みを漏らした。
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夏の終わりは、夜の涼しさがうそのような残暑が続いた。
シュカは畑仕事と機織りで忙しく過ごした。
忙しくしていれば、いろいろなことを考えずに済んだ。
ふと気づけば、秋祭りはもうすぐそこまで来ていた。
そんな中、ノノ姉の婚礼が行われた。
シュカの織りあげた婚礼衣装を身にまとったノノ姉は、薄くおしろいをはたき、紅をさしていた。今まで見たどの花嫁よりも美しく、幸せそうだった。
花嫁らしく、今までおろしていた髪を頭の上に結いあげ、八重花がさしてあった。
ノノ姉の旦那様になった隣村のティラセは、背が高く、しっかりした体つきの男性だった。
ノノ姉と同じ濃紺の衣装をまとっていた。これは、ノノ姉がずっと織っていたものだ。
花嫁の手で丁寧に織られたそれは、ティラセのスラっとした体格によく似合っていた。
誰もが思わずにこやかになる、優しい頬笑みをいつもたたえているティラセは美しいノノ姉をとろけるような笑顔で見ていた。
婚礼は、村の広場で行われた。
二人は広場の中央で並んで立ち、いろいろな人から祝福の言葉をもらっていた。
誰にも優しく、いつもつつましやかで美しかったノノ姉は、村のみんなから心から祝福されていた。
大切なものを労わるような手でノノ姉の手を引き、正面に立つ村長様の前まで行くと二人は腰を折った。
誰もが、二人が愛し合い、幸せそうであることを感じていた。
村長様から、祝福の言葉を受けると、村長は婚礼の祈りをささげるかんなぎのおばばを呼んだ。
おばばは白い衣装に身を包み、喜びを湛えた顔で二人の前に歩み出た。
おばばは、右手に持った鈴をシャランと鳴らすと、音を降らしながら祈りの言葉を口にする。
いろいろな神の名をひとつずつ挙げ、一つ一つにご加護をいただく。
二人は膝をついて頭を下げて神聖な祈りの言葉を受けた。
最後にシャランと大きく鈴を鳴らすと婚礼の祈りは終わった。
「幸せにおなりなさい。」
おばばが二人に祝福の言葉を告げると、二人は下げていた頭を上げてほほ笑みあった。
この後は村を出て隣村に受け入れられる儀式を行う。
村人は二人を見送りに村の端までやってきていた。
シュカは、ずっとノノ姉に何も言えないままここまで来てしまった。
何か言わなくては、何か言わなくてはと思ってもなかなか口を開くことができない。
ノノ姉は、そんなシュカをいとおしげに見つめると村を出る一番最後にシュカのそばへ寄ってきた。
ノノ姉はシュカの頬を優しくなでてくれた。
「シュカ、私の可愛い妹。離れてもあなたは私の妹よ。いつもあなたの幸せを祈っているわ。新しい家にも遊びにいらっしゃいね。この衣装をありがとう。」
シュカは、婚礼の間ずっと我慢していた涙があふれるのを感じていた。
目の淵にぷっくりとたまった涙がぽろぽろと流れると、ノノ姉は目を細める。
「ノノ姉、私もよ。いつもいつも、シュカ姉の幸せを祈っているわ。きっときっと元気で、いつか赤ん坊が生まれたら私にも抱かせてね。」
「もちろんよ」そう言いながらシュカ姉はシュカの頭をなでると、そっとしゃがみこんだ。
ノノ姉は袖口から細かく折り込まれた真新しい組紐を出すと、シュカの腰に巻いた。
成長してもう巻けなくなった、拾われた時に巻かれていた組紐とおなじ朱花の花の模様が編みこまれていた。
「・・・・・ノノ姉。」
「私が織ったの。祈りをたっぷりと込めてあるわ。お守りよ。」
そういうと、ぎゅっとシュカを抱きしめるとティラセのもとにもどり、しっかりと二人で歩き始めた。
普段は会えないが、永遠の別れではない。
迫った秋祭りでも会うことができる。
そう言い聞かせても、シュカの中のさみしさはどうにもならず、組紐の先をしっかりと握りしめたまま、二人の姿が見えなくなってもずっとそこを離れることができなかった。
見かねたおばばが、肩を抱くようにしてシュカに触れる。
そうしてようやくシュカはそこから動くことができたのだった。
ずきん・・・背中がまた一つ痛んだような気がした。