(29)湖のほとりで
(29)
シュカは湖のほとりにやってきていた。西の山際に真っ赤な夕日がかかっている。
山の縁を焼くように一面を赤く染めていた。
頭上にあったころよりも大きく揺れているその陽をシュカはじっと見つめ大巫女の話とあの少年の記憶を交互に思い出していた。
あの時の少年は今、どうしているのだろうか。あれから笑うことができただろうか。
あの少年の記憶では村に火が放たれてから、村が落ちるまではあっという間だった。
しかし、現実には村が再建するのには時間がかかる。人に付いた傷がいえるのにはもっと時間がかかるだろう。それが心に付いた傷だとするならばその比ではないはずだ。
本来なら傷をいやしてくれるはずの親も戦に奪われたあの少年に傷のいえる日は来るのか・・・。
私があそこで情けなく逃げ出してしまわなかったら、何か出来たかもしれないのに。いや、何か出来たかもしれないというのもおごった見方なんだろうか。
『戦は自分の強さの誇示じゃ。自分に傅くものを増やしたいという欲望に逆らえなくなっておるのかもしれんな。』
誰かの欲望のために多くの人の血が流れる・・・これが本当に現実なんだ。実際に血が流れた所を目にしたわけではないのに、シュカは恐怖で身が震えそうだった。
そして、何もできない自分が情けなかった。大巫女の話を聞けば聞くほど知識が増えてくる。その分、じぁぶんが情けなくも無力であることも思い知っていくような気がする。
がさっ
後ろの林が小さく音を立てる。しっかりとした足取り、一定の歩幅。この足音は多分・・・。
「おまえ・・・・。こんなところで何してるんだ。」
聞きなじんだ声がする。シュカが振り返ると、そこに立っていたのはもしかしなくてもアサギだった。
「アサギ様・・・。」
「仕事には戻らなくていいのか。」
咎めているわけではないのだろう、アサギは穏やかな声で聞いた。
「今日は午後の修行のために仕事は午前中に全部終わらせていたんです。」
そうかと云ってアサギはシュカの方を見ずに歩を進めた。
「なあ。」
「はい?」
シュカはアサギの横顔を見ていた。アサギは相変わらず前方を見つめたままだ。
「今日の大巫女様のお話、お前はどう思った。」
「クニの話ですか・・・・。戦までしてクニを大きくしたい者の気持ちは私にはわからぬと思いました。畑が足りなくなれば開拓すればよいのに・・・・。ほかの者の土地を奪おうというのはどうしてなのでしょう。私には戦は得るものよりも失うもののほうが大きいように思います。」
「どこでも耕せば畑となるところばかりではない。幸いこのあたりやお前の住んでいた場所は水源も近く土地も肥沃だが、そうでないところもある。それに・・・・・戦って勝つことの高揚感は、戦ったものにしかわからないのかもしれないな。」
「大巫女様は私たちに本当は何を言いたかったのでしょう?私がめぐまれているということでしょうか」
「いや、そうではないと思う。・・・・父の治めるこのあたりは村としては大きい。土地も豊かだ。ただし、村として裕福というわけではないが。・・この村は昔から他の村と交わることを断ってきた。もちろん、いさかいや奪い合いも決して行わずにきた。それはなぜかわかるか。」
シュカの住んでいた村は養蚕のおかげもあって少しだけ豊かだった。しかし、近隣の村と協力をしながら生活することでいろいろなことを円滑に行っていた。そういった集合体があるのが普通なのだ。
クニはそういった集合体の中から力をつけた村が周りの村を飲み込むようにしてできたものなのだ。
アサギはこの村はそういった集合体に属さないということを言っているのだ。宮からでは下の村の様子は分からないので村が独立していることをシュカは初めて知った。
「戦を回避するためですか?」
シュカの答えにアサギは苦笑いをした。答えがずれていたらしい。
「まあ、そうなんだが。どうして戦を回避したいかということだ。実は宮があるためなんだ。」
「この宮でございますか?」
シュカにはアサギの言っている意味が分からなかった。アサギはそんなシュカの疑問が分かっていたかのようにうなずいた。
「宮のためというか、巫女や巫女によってもたらされるものを守るためだ。」
何も言わずじっとアサギを見て続きをつシュカを横目で見るとアサギはつづける。
「宮には巫女がいる。巫女たちはそれぞれいろいろな村やクニからやってきたものだが、みな力を持ったものばかりだ。巫女はここでその力を伸ばし使い方を学び正しく使うために修行をしている。正しく使うためにだ。」
シュカはうなずく。
「巫女の持つ力は使い方次第で力は人を助けも陥れもする。それを使うものの人となりが大事なんだ。だからここで修行を行うし、大巫女様は力よりもむしろ力を使わない生き方に重きを置いて教えを行っていらっしゃる。必要以上の力を大巫女様も歴代の長も使わせなかった。しかし、その力を悪用しようと思うものは実は少なくない。これだけの巫女がそろっているのだ、宮はたびたび標的にされてきた。その力を奪おうとする者たちに。だからあえてこの村はひっそりと独立しているのだ。この村はいわば宮の砦、宮を守るためにあるんだ。」
力は使い方次第で悪しものになる。それはシュカ自身もこの宮に来て学んだことだった。
ここでの修業はどれもそれを正しく使えるようにするための自分自身を鍛えるものだった。
「では、大巫女様はこの宮がはらんでいる危険をしっかりと受け止めよとおっしゃりたかったのでしょうか。」
アサギは押しだまった。
いつのまにか眉間にしわが寄っている。アサギがじっと見つめる湖の向こうには気づけば太陽がすっかり隠れている。空だけがうっすらと赤いが、だんだんと暗さが深くなっていた。
「今日の大巫女様のお話の中にここ数年でクニの数が減っているという言葉があったのを覚えているか。」
「はい。・・・今は10ほどのクニがあると。」
「そうだ。10ほどだというお話だった。しかし、最近その様相が変わってきた。それなりに安定していたクニらの中にここ半年ほどで大きく力を伸ばしているものがあるのだ。」
アサギの鋭いまなざしがうす暗い中にやけに光って見えた。シュカは相槌も打たず、黙ってアサギの話を聞いていた。
「サンカデと呼ばれるクニだ。もともとは西にある小さな村だったらしい。首長が代替わりしたのが半年前。それから急激に勢力を増している。西にあった三つのクニがこの半年の間にサンカデに飲み込まれたという話だ。」
「新しい首長が領地の拡大を進めているということですか。」
アサギはシュカと目を合わせて頷いた。
「ああ。新しい首長はまだ若い男だということだが、戦に長けていてねらったところは必ず落とす冷徹な男らしい。やり方は徹底しているという。10ほどのクニでそれなりの均衡を保っていたんだ。ひとつのクニが拡大するということは均衡が崩れるということ。均衡が崩れれば、なし崩し的に戦に発展するだろう。」
シュカはその様相を想像し、息をのみこんだ。戦が激しさを増せば、あの少年のような子どもが増える。
「そして、サンカデがこの宮をねらっているという話があるのだ。もし、それが本当ならばこの宮が飲み込まれるのは時間の問題。もはや父上の交渉などでとどめられないほどサンカデの勢力は巨大化しているんだ。」
どっくん シュカの胸が大きく鳴った。
シュカは胸元の着物をぎゅっと握りしめた。背中には気持ち悪い汗が伝っている。
視界がだんだんと揺れ始めた。・・・あっ倒れる。
シュカは白んでいく意識の中で蔦が自分を包み込むように一気に伸びるのを感じていた。
ゆっくりと自分が傾いていくのが分かる。
意識が飛ぶ瞬間、耳に聞こえてきたのは「シュカ」という声だった気がした。