(2)機織り娘
(2)
「おばば様、じゃあ畑に寄ってそのあと機織り場に行ってくるね。」
シュカは機織りの道具を持つと、糸を紡いでいるおばば様に告げた。
おばば様は器用に手を動かしながら、顔をシュカのほうに向けた。そして穏やかな笑みを顔に浮かべて言った。
「シュカ、今日は昼を過ぎたころには雨になる。早めに機織り場には早く行った方がいい。」
おばば様に言われ、西の空を見上げる。
三連連なる山の向こうが暗い。確かに昼過ぎにはこのあたりも雨になりそうだ。
「わかったわ、おばば様。今日は畑によるのはやめて機織り場に行くわ。」
ありがとうと言いながら、シュカは戸口を出て村へ続く道を駆けて行っていた。
シュカは畑仕事の合間に村の機織り場で機織り娘として働いていた。
多くの村の娘たちは10歳を過ぎた頃から機織り娘として働くようになる。
機織り機は高価なため、村の共同の機織り場がつくられていた。
娘たちはみな畑仕事をしながら順番に機を織りに来るのだ。糸を紡ぐのは、畑仕事のつらい年寄りや農閑期のみんなの仕事だった。
そこで織られた反物などを村の若い衆が市に売りにいくという仕組みになっていた。
反物によって得られるお金などは村に均等に配分される。
このあたりでは、機を上手に織ることもよい嫁の条件の一つだ。
嫁ぐ前の少女たちは、機織り場で経験を積んで腕を磨いていた。
シュカは今年の秋で14歳になる。村の機織り場へ出るようになってまだ3年だが、元来が器用なたちだったのか、嫁入り前の10代の少女の中では抜きんでて機織りがうまかった。
シュカの織る細かい柄と、独特の色遣いは町でも人気だった。
もっとも得意としていたのは、自分ゆかりの組紐に織り込まれていた朱花の花の模様だった。
村の機織り場がもうすぐというところで、シュカは前を歩くこげ茶色の髪の少女を見つけた。
駆けてきた速度をさらに上げて、少女の隣に並んだ。
「おはよう、ノノ姉。」
シュカは走ったせいで落ちてきた横髪を耳にかけると、笑顔で声をかけた。
「おはよう、シュカ。そんなにあわてなくても、たぶんまだ誰も来ていないわよ。」
こげ茶色の髪の少女は、隣で荒い呼吸をするシュカに少し呆れつつ、そばかすの散った頬を持ち上げ優しい笑みを浮かべた。
機織り場は共同であるため、機が開いていないこともある。雨などが降って外での仕事ができないときは混雑して織れないこともある。
「今日は昼から雨になりそうだから、早めに機織りにかかろうと思って、急いできたの。おばば様にも雨が降るから早く行っておいでって。」
「そう、それはきっと降るわねえ。私も早く来てよかったわ。」
ノノ姉は、シュカの三つばかり年上だ。昔からシュカを妹のように可愛いがってくれた。
本人は気にしているようだが、そばかすの散った頬は白く綿毛のように暖かだった。加えてこげ茶色の髪は太陽の光を浴びてきらきらと輝いた。
全身から優しさがあふれているようだと前からシュカは思っていた。
シュカがもっと幼かった頃、いじめられるときは決まってノノ姉がかばってくれた。
シュカに機織りを教えてくれたのもノノ姉だった。
シュカはこの優しい少女が大好きだった。
ノノ姉はこの秋、隣村に嫁ぐことが決まっている。
ノノ姉を嫁にするのは、このあたりの若者衆の中では働き者と評判の高い、背の高い青年だった。
去年の秋の祭りで、ノノ姉はその青年から八重花を贈られたのだ。
八重花は約束の証。秋祭りでそれを贈るのは、愛の告白、婚姻の申し込みという意味があった。
秋祭りの宵の宴では、このあたりの郷の若者たちが集まる。普段、仕事に追われている田舎の若者たちにとって一年に一度の心躍る日だ。
若者にとってここは出会いの場であり、夫婦となった者にとっては思い出の場なのだ。
秋祭りで素敵な男性から八重花を贈られることは、年頃の少女たちにとってあこがれだった。
もちろん、シュカにとっても。
宵の宴に出られるのは13歳から。昨年は、ノノ姉が結婚を申し込まれる様を目の当たりにし、いつか自分もと思ったのはきっとシュカだけではなかったはずだ。
ノノ姉と機織り場に着くと、シュカは前回まで織っていた反物を取り出し続きを折れるように準備する。
ノノ姉の言うように、機織り場にはまだだれの姿もなかった。
機織り機の前に座り、呼吸を整えると目を閉じて、心の中で祈りの言葉をつぶやく。
「優しき機織りの神様、ノノ姉を守る反が作れるよう、力をお貸しください。」
目を開けたシュカは、そっと杼を持つとゆっくりと踏み板を踏みこんだ。
姉のように慕うノノ姉が求められて嫁ぐのはとてもうれしいが、秋以降はきっとすごくさみしくなるんだろうと思う。しかし、誰よりもノノ姉に幸せになってほしいと願っているシュカは、お願いをしてノノ姉の婚礼の衣装を織らせてもらっていた。
穢れを払うといわれる濃紺の地に、白と黄で八重花の模様を織り込む。
伝統的な婚礼衣裳の形式だ。襟となる部分は生家の村の模様と嫁ぎ先の村の模様、自分の名前にちなんだ模様などを組み合わせて一人だけの模様をつくっていく。
「ノノ」は、春に森でさえずる躑躅色の尾を持つ小さな鳥。シュカは、躑躅色の糸を使って鳥の模様を織りあげようと考えていた。
ひと織りひと織りに思いを込めて。機織り場には小気味良い機の音が鳴っていた。