(19)新しい生活
(19)
その日は、旅の疲れをとるためにその部屋で過ごした。
夕餉はウミが部屋まで持ってきてくれ、二人で食べた。宮での食事は、簡素だったがおばばとの暮らしでは大体そんなものだったので不満はなかった。
翌朝、シュカは陽が昇る前に目が覚めた。習慣になった時間だった。
布団を片付け、昨日渡された袴に着替えた。襟を整え、袴の帯をしっかりと締める。
シュカは、昨日初めて袴を穿いてからこの袴という着物がとても気に入っていた。これを穿くととても気持ちがしゃんとして前向きになる。美しい赤色も気に入っていた。
「随分早いのね。」
声に振り向くと、ウミが目をこすりながら起き上ったところだった。
「ええ、いつもの時間になったら目が覚めてしまったの。」
シュカは着物が整うと、髪を結い始めた。手で後ろになでつけひとつに結おうと思っていた。
「宮の仕事は、太陽が山に差し掛かった頃に始まるの。私と一緒に仕事をするように言われているから、準備が整うまで少し待ってね。」
そういうと、ウミはてきぱきと支度を始めた。
シュカが髪にひもを巻き、結いあがる頃には袴をはき、あとは髪だけとなっていた。
あっという間に髪も結い上げ、支度が整う。
「お待たせ。では、行きましょうか。」
「すごい、あっという間ね。」
感嘆の声を上げるシュカに、ウミは当然と云った感じでほほ笑んだ。
「慣れれば、シュカもこのくらいで支度できるようになるわ。」
ウミはそう言いながら部屋を出た。シュカは慌てて後を追う。
ウミがやってきたのは、かまどの置いてある土間だった。
土間に降りると勝手口を押し開ける。戸口からは、少し白んできた山がうっすらと見えた。
土間の水甕の横に置かれた手桶に水を汲むと、外に出た。
その様子を見ていたシュカにウミが手招きする。
外に出ると手桶の水に浸した手ぬぐいを絞って渡された。
「これで顔と手を拭いて、清めて頂戴。」
シュカは渡された手ぬぐいで顔と手を丁寧に拭いた。冷たい手ぬぐいが顔に気持ち良くさっぱりとした。
ウミは手桶の水を捨てると、水桶を持ってきた。
「私たち若手の朝の仕事は水くみなの。階段を降りた先に湖があるでしょう。湖のほとりに泉があるの。そこから水を汲んでくるのよ。」
湖とは、昨日付いた場所のことだろうとシュカは考えた。
昨日、湖から宮を見上げたことを考えると村の時よりも少し距離が長いかもしれない。
二人が水桶を二つずつ担ぎ階段を下りていく。昨日上がったものとはまた別のものだ。もしかしたら、昨日ハヤテが言っていた別の入口とはここかもしれない。
足元はきちんと整えられていたので歩きにくいということはなかったが、階段は随分急だった。帰りはこれに水が入った桶を担ぐかと思うと少し不安になった。
「でも、シュカが来てくれて正直うれしいわ。」
ウミは軽い足取りで踊るように階段を降りながらシュカに話しかけた。
「私たちの年代の巫女はいなかったの。だから10歳になってこの仕事を任されるようになってから、ずっと一人でやってたの。」
この道を一人で何往復を行うのは大変な仕事だろう。
そうしているうちに湖に着いた。船着き場から少し離れているようだった。
やはりこの湖を見ると心が落ち着く。村の懐かしい湖とよく似ていた。
ウミは、そこから少し森に分け入っていった。
「宮の近くを川が流れているんだけど、湯あみなんかはそこから水を汲むの。でもお供えや飲み水はこの泉の水を使うの。二つの甕が満杯になるまで汲むんだけど、今までは三往復はしなきゃいけなかったのよ。」
二人でやれば二往復で終わる。ウミが喜ぶのもうなずける。
泉は、岩の間から水が湧き出ていた。そこにたまった水が泉へと流れ出ている。
シュカはいつもの癖で、水桶を横に置くと、草むらに膝をついた。
「豊かな泉の神様、われらにその恵みをお分け下さい。」
祈りの言葉を呟いてから、ここでは作法が違ったのかもしれないと気付いた。ウミに呆れられてしまっただろうか。恐る恐るウミの方を見ると、驚いた顔のウミがいた。
「祈りの言葉を知っているのね。これから教えようと思っていたのに。」
どうやら祈りの言葉は同じだったようだ。思えばこの祈りをシュカに教えたのはおばばだった。
おばばはこの宮で同じように祈りをささげていたのだと、わかっていたはずの現実になぜかうろたえてしまった。
「ええ、私を育ててくれた人は、この宮で修行をしていたから。たぶん…。」
最後の言葉は、ぼそぼそとなって聞こえなかったかもしれなかったが、ウミは分かってくれたようだ。
「そうか。じゃあ、さっそく水を汲もうか。」
うん。と返事をすると、二人は水を汲み始めた。
泉の水は、心地よいほど冷えていて、触れるとシュカの手にするっとなじんだ。
シュカの指先から泉の力が伝わってくる。シュカは泉の温かく、深い感情を感じた。
この泉は、宮を守っているのだとわかる。
『こちらでお世話になることになりました。これから、よろしくお願いします。』シュカは、心の中でつぶやいた。
予想通り、水くみは骨の折れる作業だった。水を運ぶのには慣れているシュカであっても急な階段を上るのは大変だった。
二往復する間にすっかり太陽が顔を見せていた。
これを一人で行っていたウミを、シュカは心から尊敬した。