(16)到着
(16)
シュカが自分を取り戻すと、あたりはうす暗くなっていた。
この前と違い、状況はすぐに思い出した。どうやら男の子の記憶に飲み込まれていたことも、また気を失ってしまっていたことも。
「あら、気が付かれましたね。」
声が聞こえ、目線を上げると真上にハネの顔が見える。頭の感触から言って、どうやらハネの膝の上に頭をのせて寝ていたらしい。
「あっごめんなさい。」
いつからかはわからないが、男の子にあったのが昼過ぎだったということは長い間意識を失っていたらしい。慌てて膝から退こうとするシュカをハネは肩を押さえてとどめた。
「大丈夫よ。心配しないでください。そのままで。もうすぐ宮の入口の川にたどり着きます。」
シュカは、船の縁の向こうを見た。上の方しか見えないが、木々が茂り森の奥に進んでいるように見える。やがて、本流から細い支流へと分け入った。
細い川の両側から木がかぶるように生え、川の行く先を隠すようにしている。
徐々に深くなる木々が突然開けたかと思うと、広々とした湖に出た。
村の湖を思わせるように周囲は森に囲まれている湖を突っ切るように船は進んでいった。
「ハネ様、起き上がって景色を見てもよいですか。体はもう大丈夫ですから。」
ハネがにっこりと笑って頷くのを確認すると、シュカは船を揺らさぬよう慎重に起き上がった。
湖を囲む木々には知らないものもあるが、全体的な雰囲気が村の森に似ている。
「シュカ様、宮が見えてきましたよ。森の少し左上を見てください。赤い屋根が見えるでしょう。」
ハヤテが振り向いて、左側を指差した。シュカは背後から少し身を乗り出してうす暗い湖の向こうに目を凝らした。
豊かに茂った森の上に赤い屋根が頭をのぞかせている。岸から少しのぼったところだろうか。
遠くに見えてきたそれが近づくにつれ、その大きさが分かり始めた。想像していたよりもかなり大きい。
というか、こんなに大きな建物これまでの道中にも目にしなかった。と言っても半分は倒れていたので見ていないが。もちろん村にもない。
「すごい・・・。こんな大きな建物生まれて初めて見ました。」
唖然と見上げるシュカに、二人がくすくすと笑う。
「厳密にいえば、初めてではありませんが。まぁ、記憶はありませんわね。」
そうか、自分はここに“戻って”来たのだったなとシュカは思っていた。そりゃ記憶なんてあるはずない。ハネの話では、シュカが宮を出たのは生まれて一カ月たたない間だったというのだから。
そんなことを考えているうちに岸に着いたようだった。桟橋がつくられている。ハヤテが軽やかに桟橋に飛び移ると縄をかけた。一日船を漕いでいたというのにすごい体力だ。シュカはハヤテの強靭な肉体に感心していた。
「シュカ様、こちらにどうぞ。」
ハヤテがシュカに手を差しのべた。シュカは手を伸ばそうとして、昼間のことを思い出し躊躇してしまう。するとハヤテの手ですでに降りていたハネもシュカに手を差しのべた。
「大丈夫でございます、ハヤテ様は何にも考えておりませんから。ご心配ならばわたくしの手をどうぞ。」
「なにっ、ハネ。失礼な。そういう言い方をするとまるで私が馬鹿みたいではないか。」
「あら、そうはいっておりませんよ。ハヤテ様は安全だと言ったのです。」
シュカはこのやり取りに思わず吹き出してしまった。二人が自分に気を使ってくれていることが伝わってくる。シュカは自分の両手を二人に差し出した。
ふたりはシュカがどうして倒れたのか、何を恐れていたのかわかってくれているのだ。自分が二人を怖がることはない。
二人は笑顔を浮かべて、同時に勢いよくシュカを桟橋に引き上げた。勢いが余ってシュカは二人に抱えられる形になってしまった。
「ありがとうございます。」
シュカの言葉に二人は無言で笑顔を向けてくれた。
「さあ行こう。」
ハヤテは船に残った荷物を担ぐと、先導して歩き始めた。
シュカはハヤテの後ろを、シュカの後ろにハネがついてくる。船の上で見えていた宮は、森に隠れて見えなくなっていた。
森の中に宮へ上る階段がついていた。一段ずつ板で補強してある階段はとても歩きやすいが、階段ははるか先まで続いている。
階段の中段程に差し掛かったころだろうか、宮が再び姿を現した。
大きな赤い柱に白い壁。屋根も赤く染まっている。空につき立つように背の高い建物だった。そして広い。
シュカは不思議と懐かしさを感じていた。こうして立ってこれを見上げるのは初めてのはずである。
「そうか・・・おばば様の夢で見たのか。」
入口は大きな門だった。二本の巨大な梁を二本の足で支えている。足は大人二人でやっと抱えられるくらい太いものだった。
門の前に立って、くぐる前に前後の二人が足を留めた。
「シュカ様。こちらが宮でございます。この鳥居をくくる前に申し上げなければならないことがございます。」
ハネがシュカの前に回ると、神妙な顔で告げた。
これは門ではなくて、鳥居というのか。シュカは、ぼんやりとそんなことを思ったがハネのその神妙な顔を見て気を引き締めた。
「これからシュカ様は大巫女様にお会いしていただきます。大巫女様はこちらの宮を守っておられる方です。この宮に住まう巫女は大巫女様に仕え、修行に励んでおります。しかし、大巫女様にお会いするためには禊を行わなくてはなりません。そして、ひとつ決まりがございます。」
シュカはハネを見据え言った。
「一言も口を利いてはならないのね。私がまだ大巫女様から巫女と認められていないから。」
ハネは一瞬驚いたそぶりを見せたが、やがて納得の表情を浮かべた。
「ああ、イヨ様の記憶を視られたのでしたね。その通りでございます。わたくしも旅を終えて禊を受けなければならないため、ずっとそばにいることができません。ハヤテ様もでございます。中に入ったら次にお会いするのは大巫女様の部屋でしょう。それまで別のものがつくことになります。どうかご承知ください。」
「大丈夫です。一応覚悟してきたのですから。」
不安がないわけではないが、大丈夫。シュカはほほ笑んで見せた。
「力強いお言葉安心いたしました。」
「ではシュカ様、わたくしもここで失礼いたします。わたくしはこの鳥居をくぐることができませんので。またあとでお会いしましょう。」
ハヤテはそういうときびすを返して荷物を持ったまま階段を下りて行った。
「ハヤテは男性ですので別の入口から宮へ上がるのです。御心配はいりません。荷も後で届きます。」
心配げな表情に見えたのかハネがシュカの肩をとんとんと叩いた。
「では、私たちもまいりましょう。」
シュカは、ハネに促され大きな鳥居をくぐるために一歩を踏み出した。