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(14)おばばとの別れ

(14)

旅の支度を終え、出発を迎えたのはそれから三日後の朝だった。

結局三日間、トウヤには会うことができなかった。

その日は、朝からよい天気で太陽が秋の高い空を暑いくらい照らしていた。

出発の湖には、この三日の間にハヤテがどこからか調達してきたらしい小さな木製の帆かけ船が浮かんでいた。ハヤテは旅の荷物を船に乗せている。

シュカの荷物は身の回りのこまごましたものだけでとても少なかった。あとは旅に必要なもの。小さな布袋を背中に担いでいたシュカは、布袋を肩からおろすとそれをハヤテに渡し、湖のほとりに跪いた。

頭を下げで湖に最後の祈りをささげる。

「豊かな湖のシェイ様、わたくしは本日この村を出ることになりました。シェイ様とこうして過ごすのも今日が最後です。どうか、シェイ様のご加護をくださり、無事に目的地まで到着できますようお守りくださいませ。」

シュカは地面に両手をつくとゆっくりと水面に口づけた。

すると、シュカの腕からするすると蔦が伸び、まるでシュカにならって口づけをするように地に向かい、温かいものを地面と交信するのだった。

三日間、ハネについて蔦の制御の仕方を教わり多少のことでは動かなくなっていた蔦の初めての行動だった。自分の心と連動しているということは、祈りの気持ちが通じているということか。

驚くことに、力が解放されたからかシュカには湖のシェイさまの気配感じることができるようになっていた。湖を見渡すと、晴れきった空の下に目には見えないが湖を覆う靄のようなものを感じる。その靄は湖一帯を守っているような気配がした。

「おばば様の言うとおりだわ、シェイさまに守られていたのね。」

シュカはもう一度祈ると、立ち上がった。



この船に乗れば、もう二度とこの地に帰ってこられないかもしれない。そう思うと一歩を踏み出すのにずいぶんと躊躇してしまう。

「自分で決めたことじゃない」シュカは心の中で自分を叱咤した。そんなシュカの手をそっと握ってくれたのはおばばだった。

「・・・おばばさま。」

「シュカ、いつでも、いつまでも、どこでもお前の幸せを祈っている。お前は必ず幸せになるんだから。いつか、帰ってくればいいんだ。」

シュカは目にいっぱいの涙を浮かべる、伝えたいことは山のようにあるのにうまく口に出すことができない。一番、一番伝えたいのは何だろう。何だろう。考えれば考えるほど涙がぼろぼろとこぼれてきた。

「ありがとう。私を育ててくれたのがおばば様で本当に良かった。」

やっとのことで言えたのはそれだけだった。

おばばに促されてやっと船に足をかけた。船にはすでにハヤテとハネが乗っていて、ハヤテが手を伸ばしてシュカの腕をとる。おばばはハヤテに握っていたほうの手も預けると、水際から離れる。揺れる船に体制を崩しながらも乗り込んだシュカは体をおばばのほうに向けて泣き笑いの顔で言った。

「おばば様、私もずっとおばば様のこと祈っています。どうか、どうかお元気で。」

最後までにっこりと笑顔をたたえているはずのおばばの顔は涙で歪んでよく見えない。

「ハヤテ、ハネ。シュカをよろしく頼みます。」

いつものように背筋を伸ばした凛としたおばばの姿がそこにはあった。

「はい、イヨ様。」

「お任せください。」

「では」

ハヤテの合図で船がゆっくりと漕ぎ出された。

湖を悠然と進んでいく。

サヨナラおばば様。サヨナラノノ姉。サヨナラ村のみんな。サヨナラトウヤ。心の中でシュカはずっとずっと別れと祈りの言葉を繰り返す。

蔦がシュカを労わるようにさっきおばばが握ってくれていた手に這う。

うるんだ瞳の向こうでおばばの影がだんだんと小さくなっていった。しっかり見ていたいのにやはり涙に邪魔されて見えない。

やがて、川に入ると小さくなった影は全く消えてしまった。




イヨは、シュカの帆船が見えなくなるまでそこに立ち、ずっと帆船を見つめ続けた。

やがて、船が天のようになり、湖の向こうの川に流れ消えてようやく、笑顔を解き、泣き崩れた。

それは、村にやってきて約40年、イヨが初めて流す涙だった。

さだめを受けるために宮を出て、シュカを授かった。しかし、いつの間にか、いやシュカに出会って間もなくにはイヨにとってシュカはもう唯一無二の存在となった。

家族のもとを離れ、諦めていた家族を持てたこと。

シュカがイヨに与えてくれたのは、深い喜びとかけがえのない存在だった。手放したくなかった。

その感情を持ってはいけない、そう思ってもあらがうことのできなかった思い。

イヨは太陽が真上に上りきるまでその場を動くことができなかった。

ただひたすらに、シュカの歩む道がシュカを苦しめないことを祈るばかりだった。


***********************************


シュカは、湖を抜け川に入ってようやく涙をこぼすのを止めることができた。

真っ赤に腫れた瞼を川の水で濡らした手拭いで抑えるようハネに言われ、目に当てた手ぬぐいの心地よさに心も落ち着いていく。

シュカは手ぬぐいを下ろすと、流れゆく景色を見た。大きな川をハヤテがこいでゆく。

川岸の近くまで茂る森から、鹿が顔をのぞかせている。大きな丸い瞳がかわいらしい。

「シュカ様、14年前イヨ様のもとへシュカ様をお連れした時もこの川を通ったのでございます。」

ハネが教えてくれる。赤ん坊のころのことなどもちろん覚えていない。懐かしさもない。

しかし、シュカは風を受けて進む帆船の揺れを感じながら、まるでゆりかごのようだと思っていた。


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