(9)旅立ち
(9)
「宮を出す。」
大巫女のその言葉にイヨの思考は止まる。
すがるようにカカを見つめても、苦しそうに眼を閉じ顔を伏せたまま何も言ってくれない。
「な、・・・なぜで・・しょうか。」
やっとのことで絞り出したのは情けない声だった。
自分が、何か取り返しのつかない失態をした覚えはない。20年過ごした宮を突然放り出されることに、想像もつかない恐怖を覚える。
大巫女はイヨの心中を察するように優しげに告げる。
「20年そなたはよく務めた。しかし、そなたには外の世界でさだめが待つという大きな役割が待っている。」
さだめ・・・自分の立っている運命の道の先がかすんでいくような気がする。
「そのさだめはこの国を左右するものだ。そのために宮を出てほしいのだ。」
イヨは自分の唇が震えるのをどうすることもできない。
大巫女がそういうということは、これは相談ではなく決定事項。
大巫女にはそのさだめがはっきりと“視えて”いるということだろう。
後は覚悟を決めるしかない。
イヨはゆっくりと気持ちを落ち着けるように息を吐きだした。
瞳を閉じて、20年で培った力を開放する。
深呼吸をしながら気持ちを集中させていく。
瞳の奥に小さな、小さな光が見えた。
その小さな光がだんだんと大きくなっていく。
自分が村らしきところで畑仕事をしている姿がぼんやりと視える。
機を織って着物を縫う姿。
人々に囲まれ、祈りをささげる姿。
小さき輝きを胸に抱く姿が視える。
その温かい輝きがだんだんと大きくなっていくのも視える。
走馬灯のように場面が小さく切り取られ視える。
ちぎられた場面は、浮かんでは消え、また浮かんでは消えた。
その温かい輝きが大巫女の言う“さだめ”であることが分かった。
イヨは息を小さくはきだすと、目をあけた。
覚悟を決めることができた。
「わかりました。しっかりとおつとめいたします。」
そう言って、手をつき頭を下げる。
想像したよりもしっかりとした声が出たことにイヨはほっとしていた。
イヨの了解に、カカの顔が苦しげに歪む。
大巫女は、イヨが何を視ていたのか悟っているのだろう。
何も言わず、満足げに頷いた。
奥の座敷を辞し、長い廊下を歩いていると後ろからあわただしい足音が近づいてくる。
と、後ろから左腕をつかまれた。
「イヨ!」
振り返ると、やはりカカだった。
「どうされました。そんなに慌てて。」
「どうされたって・・・・。イヨ、お前は本当に良いのか。この宮を出ることになるのだぞ。」
「カカ様、わかっておいででしょう。これは決定したこと。カカ様も分かっておいでだからこそ、何も言われなかったのでしよう。」
責めているわけではないのだが、カカは眉をぎゅっと寄せてつらそうな顔をする。
「しかし・・・」
イヨは手を伸ばしてカカのほほに触れると、寄った眉に指を滑らした。
「そんな顔しないでくださいまし。わたくしは大丈夫でございます。」
カカはまぶたをあけると、イヨを見下ろす。
「わたくしも一応、巫女でございます。自分の未来はよく視えはしませんが、大巫女様のおっしゃる“さだめ”はわたくしにも視えるのでございますよ。」
カカはイヨの頬を両手で包む。イヨは気持ちよさそうに目を閉じた。
「四つの頃から宮にいるお前が、本当に宮の外で暮らせるのか。」
カカはイヨを優しく抱き込んだ。
宮を離れるということは、この優しい腕も失うということ。
イヨはさみしさに、涙がこみ上げてくる。
しかし、イヨは涙を抑え込み笑顔をカカに向けた。
「大丈夫でございます。なにしろ、大巫女様のお墨付きでございますから。」
「・・・イヨ。」
カカはまるで親に捨てられた子どものようにくしゃくしゃに顔をゆがませた。
子どものころによく見た懐かしい顔だ。
「情けない顔でございますねぇ。全く、兄さまは。」
懐かしい呼び方にカカの腕は強くなる。
「カカ様、次のお子様の名前も必ずわたくしにつけさせて下さいましね。生まれたら、必ずお知らせくださいましね。」
「ああ、必ず。必ず。」
大人になり、泣き虫のムシは何処かに行ったかと思っていたのに、もうすぐ二児の父になるとは思えない声に微笑ましく思う。
「どんなに離れていても、お前はわたしの妹だ。幸せを祈っている。」
「わたくしもでございます。カカ様の幸せを祈っております。」
イヨが宮を旅立ったのは、それから七日後のことだった。