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獅子とうさぎ

 アルテミスの行方不明事件から数日、アルテミスは雛鳥のようにアリスのあとをついてまわったり、ユミルに「いっしょに寝て」とせがんだりと少し落ち着かなかったが、徐々にいつもの様子を取り戻していった。

 離宮にはいつも通りのんびりとした空気が流れていたが、よく晴れた午前の日に、濃紺の宮廷礼服を着た使者たちが離宮の門前に現れたことで事態は一変した。慌てたアリスに呼び出され、ユミルが玄関先へ出ると、革紐で括った巻紙を持つ使者はしかめつらしい仏頂面で言った。

「貴殿がユミル・ブランドナーか」

「はい、そうです」

「第七皇子ユリアス・アストラニア様よりアルテミス様へのお茶会の招待状をお持ちした。明日の朝、辰の刻に迎えに来るので支度を整えておくように」

「……は?」

「話は以上だ、我々は失礼する」

 用は済んだとばかりに背を向け去っていく使者たちに残されたユミルたちは呆然とした。

「ユミルさん、招待状と聞こえましたが、どういうことですか?」

「……品性下劣な第七皇子ごときが、泥痘痕の呪いでもかけてやろうか」

「えっ?ユミルさん?」

「いいえ、何でもありませんよ。アリス、僕は少し野暮用を思い出しましたので、皇子のお世話をお願いしてもいいですか?」

「は、はい……」

 首をかしげるアリスを尻目に、ユミルは早足で私の私室へと向かった。呼びかけに答えない私にユミルは小さく舌打ちし「入りますよ」と宣言すると同時に勢いよく扉を開けた。私は精霊の庭の宴会から戻ったばかりで酒精がまだ抜けていなかった。椅子に腰掛け、ゆったりとくつろぐ私をじろりと睨みつけ、ユミルは先日の第七皇子との会合や、茶会の知らせについて憤りを隠さぬ顔で報告してきた。私は冷えた水杯に口をつけながら静かに聞いていたが、やがて言葉を挟んだ。

「それで、お前はどうするつもりだ?」

「もちろん行きませんよ、どんな目に遭うかわかったもんじゃない。明日の朝、迎えがきたらアルテミス様は流行りの感冒にかかったことにいたします」

「駄目だ。招待を受けたからには行かねばならない」

 私がきっぱりと断言すると、ユミルは信じられないと目を見開いた。

「なぜです、第七皇子の母ドロテアはアルテミス様に5回も刺客を差し向けたことがあります。わざわざ虎の巣穴に行く理由はありません」

「それだ、ユミル。お前はいつまでたってもウサギだった頃の癖がぬけないな。いい加減改めなさい」

「僕が何ですって?バーティミアス様のご命令どおり、貴族令息のふりをして皇子をお守りしています」

 苛立ちに足が動きそうになるのをそっと戻しながら、ユミルが苦々しげに言う。私は肩をすくめた。

「危険に直面するとき、逃げ隠れようとするのはか弱いウサギのすることだ」

「それの何がいけないんでしょうか。皇子はまだ子供で、たったの4歳なんです。僕たちが守らなければ強欲な人間どものくいものにされてしまいます」

「断言しよう。アルテミスは皇帝になる男だ。獅子は挑まれた牙から逃げたりはしない。お前が仕える皇子はいずれ国の頂点に立ち、誰にも屈せぬ存在となることを覚えておきなさい」

「アルテミス様はまだ子供です!先日もあんなに怖がって……」

「侮辱されたままこうべを垂れていることは許されない。お前は主君が嘲笑されたままでいいのか?」

「それは……」

 言葉に詰まったユミルは悔しそうに下を向いたが、絞り出すような声で言った。

「いずれにしても明日の朝では準備が間に合いません。注文した服はまだ届きませんし、ただの嫌がらせなんですよこれは……」

 悔しそうな顔をしているが、ちょうどいい逃げ道を見つけたと考えているのはお見通しだぞ、ユミル。ウサギの浅知恵がこの世で最も博識で思慮深い精霊王に通じるものか。私はにやりと微笑み、古代樹の杖を取り出した。

「心配するな、可愛いユミル。私が誰だか知っているくせに、なにを気弱になっているのだ?」

 さぁ忙しくなってきた。運命に逆らう準備を始めよう。


#

 浮かない顔のユミルとともに、ユリウス皇子から茶会の誘いがあったことを告げると、アルテミスはきゅっと唇を引き結んだ。

「ぼく、行きます」

「皇子、無理はしなくていいんですよ」

「いい加減にしろユミル」

 この後に及んで往生際の悪いことをするユミルを肘で小突くと、皇子は不安そうな顔をした。

「ユミルもいっしょにきてくれるよね?」

「はい、もちろんですアルテミス様」

「私も行くぞ、皇子」

 胸を張って宣言すると、皇子ははじめて驚いた顔をした。

「ディアウッドせんせいもですか」

「私は皇子の教師兼後見人だ。私の指導の賜物である皇子の魔法の才能と授業の成果を宮廷の連中に披露する場だ。私がいなくてはならないだろう」

「そんな場ではございません。ユリウス殿下の取り巻きと妃たちによる定例会です。ご挨拶をしたらさっさとお暇しましょう」

「そうだったか?まぁよい、とにかく準備をせねば」

 私は古代樹の杖を振ると、大蜘蛛の妖精アラクナを呼び出した。こやつの作る服は精巧で意匠美に富み、精霊族にも人気の名工だ。熊ほどの大きさの胴体に、細くしなやかな長い手脚が部屋の隅でうごめく。アリスなら悲鳴をあげて卒倒するような姿をしているが、皇子は私室に突如として現れた大蜘蛛にきょとんと目をぱちぱちさせるだけだった。なかなか肝が据わっている。

 アラクナはやわらかな女の声で丁寧にお辞儀をした。

「お呼びでしょうか、バーティミアス様」

「宮殿で開かれる茶会に着ていく式典用の服が欲しい。アナスタシアの実家ユースティア家は青薔薇の紋章だったな。縁飾りに薔薇を、皇都でもっとも格調高く誰もが見惚れるような意匠の礼装を一式頼む」

「かしこまりました、お任せください」

 8本の手足がそれぞれ巻き尺で皇子の寸法を採寸し、別の手が書き留めていく。

「お色はどうなさいますか」

「皇子は青色がよくお似合いです」

「それでは瞳の色に合わせ、満月の夜に蒼碧湖で染めた深紺色の布地はいかがでしょう」

 ユミルが頷くと、深い青色の反物が宙に舞い上がり、みるみるうちに縫い合わされ、裾や袖口に目にも止まらぬ速さで薔薇の刺繍が刺されていく。出来上がったジャケットとズボンは、光を受けて宝石のように艶めき、精緻を凝らした刺繍に思わず視線を奪われる申し分のない出来栄えであった。

 いつのまにか仕上げられていた絹地のシャツと合わせれば、完璧な礼装の完成だ。

「すごい……サイズもぴったりで着心地もいいです!」

「うむ、ご苦労であった、アラクナ。」

「初代皇帝ニコラス様の魂を継ぐ御方の衣を仕立てさせていただき、わたくしも光栄でしたわ」

「えっ、なんですか?」

 私は歴代の名君たちの傍に侍り、魂を導いてきた。私とニコラスの盟約は精霊界でも有名で、アラクナの早合点も無理からぬものではない。ユミルは怪訝な顔をした皇子に視線を彷徨わせ、アラクナも自身の発言の粗相を察したのか、早々に辞去を告げ去って行った。

 ユミルは小さく咳払いをすると、もっともらしい口調で言った。

「いけません、もうこんな時間ですね。ローゼマリーが今晩も腕を振るっているはずです。夕餉の準備が整いましたらお呼びします」

 ウサギらしい機敏な動きで部屋を抜け出すユミルに取り残され、私はなんとも言えぬ静けさに包まれた部屋に皇子とふたり取り残された。

 私はすっかり日が暮れた外の景色を眺めながら、ローゼマリーがつくる今夜のデザートが何であろうかと思いを馳せた。


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