白梟と灰竜
「まさか。一緒に行くさ」
私は軽く指を鳴らすと、空中からお気に入りの古代樹の杖を取り出し、雪のように真っ白な梟へと姿を変えた。
大きく広げた翼は大人の両腕ほどもあり、純白の羽毛は真珠のように淡く輝き、威厳と優雅さを感じさせる。私のお気に入りの姿のひとつである。
「さぁ、出発だ。皇都に別れを告げ、新たな土地へ」
鋭い囀りとともに真っ直ぐ空へ飛び立つと、カーディが慌てて後を追うように地面を蹴った。大きく広げた翼を力強くはためかせ、風を切りながら一気に上空まで上昇する。やがて気流を掴むと、上昇気流に体をのせ、羽を休めながら空を渡っていく。
頬を切り裂くような強い風が羽毛を逆立てるが、ユミルがかけた魔法のおかげで、アルテミスたちの周りだけは穏やかな風が流れていた。
「ひ、ひいいい!!」
「ぅう゛、っ!!」
凄まじい速度で上空へと駆け上がっていく浮遊感と風の強さに、アリスが思わず悲鳴をあげた。
ウィリアムもカエルが潰されたようなひしゃげた声をあげかけたが、護衛騎士としての面目を保つためか、ぐっと飲み込み、何事もなかったかのように背筋を伸ばした。
下を見ると、さっきまでいた地面は豆粒ほどの大きさになり、森や川が絵本の地図のように広がっていた。
アルテミスも怖そうに唾を呑み込んだが、心配そうなユミルに顔を覗き込まれると、「大丈夫」と小さく言って、しっかりと鞍を握った。
しばらくすると、風の音にも慣れてきたのか、きょろきょろと辺りを見回す余裕も出てきた。
「アルテミス様、怖くありませんか?」
「うん! 楽しいよ!」
背を伸ばして身を乗り出すと、眼下には見たこともない世界が広がっていた。
森が波のように揺れ、川が銀の糸のように光り、遠くの湖が空を映して青く輝いている。
「あそこにいるのはなに?」
草原の真ん中を、白い影が跳ねているのを見つけ、アルテミスはユミルの顔を見上げた。
「あれは、リーヴァルですね」
小さな草鹿のような姿の魔獣で、細い脚と長い耳を持つ草原の生き物だ。
頭に伸びた角が長いほど年を重ねており、簡単な攻撃魔法を放つこともある。
「図鑑で見たやつだ! かわいいね、みんなで一緒に移動してるんだ」
「えぇ、基本は群れで行動します。小さな子供を捕食者から守るためなんですよ」
「優しいんだね……」
アルテミスがほっとしたように微笑むと、ユミルもやわらかく頷いた。
「アルテミス様、あそこに見えるのが金穂草原、その向こうが蒼月湖です。北の山脈からの川が流れ込み、水が澄んでいることで有名なんですよ。湖の人々は漁で暮らしています」
「昼すぎには竜背峠を越えて、レグナートの街に着くよ」
レグナートの街とは、アストラニア帝国から馬で一週間ほど離れた山間の交易拠点のことだ。
魔獣の出没が多く、冒険者や傭兵が商人の護衛や危険な魔獣の討伐を生業としている。宿屋も多く、流れ者も多いので、この急ごしらえのニセモノ家族も上手く溶け込めるだろう。
「うわぁ! 本で見た地図の通りだね! あそこはなに?」
アルテミスが深い森を指差すと、未だに顔を強張らせたウィリアムが答えた。
「深翠の森ですね。グリムリーフ族たちが暮らしている森です」
「グリムリーフ族?」
「森の精霊を崇拝する種族のことです。魔法が得意で、森の奥深くで暮らしています」
「そうなんだ」
アルテミスが興味津々で森に向かって目を凝らすと、カーディがつまらなそうに鼻を鳴らした。
「あいつらめんどくせーよな。縄張り意識が強くてさ。セルジュとうっかり森の上を横切ったときは、下から糞爆弾の魔法を撃たれて、しばらく匂いがとれなかったし」
グリムリーフ族――小柄で緑色の肌を持つ森の民で、魔法に長けた種族である。
彼らは非常に排他的で、古き森の精霊を崇拝し、独自の掟のもとで生活する部族だ。私も多少の交友はあるが、あまり友好的な相手とはいえない。
最後に奴らの首領と会談したときも、お世辞にも愉快な時間とは言えなかった。
もっとも、私が彼らの神聖な泉で羽を洗ってしまったことが原因かもしれないが。しかし、あれはただの澄んだ水たまりにしか見えなかった。
全く悪気はなかったが、私が水に飛び込んだ瞬間、森中から怒号が上がり、気づけば矢の雨に追われて三日三晩逃げ回る羽目になった。
「あっ! あっちに海が見えるよ!」
「風が気持ちいいです」
高度が安定してくると、アリスもようやく落ち着いた様子で目を細めた。
「あそこ! 私が生まれた村です!」
「どこ?」
「あの、風車が建っているところです。六歳で弟が生まれて城に奉公に出されて以来、帰っていないんですけどね」
「そうなんだ……」
「でも、今はこうしてユミル様たちと一緒にアルテミス様のご成長を見守ることが出来ているので、幸せですよ!」
皇都から離れた山際の農村部は貧しく、子供が生まれてもすぐに奉公へ出されることが多い。
アリスは運よく皇宮で侍女となったが、過酷な環境に耐えられず、幼いまま命を落とす者も少なくない。
アルテミスは初めて聞いたアリスの話に、少し悲しそうな顔をした。だが当のアリスは、あまり気にした様子もなく、風に髪をなびかせて笑っていた。
陰謀渦巻く皇都を離れ、広い空を渡る旅。
一行はすっかり追放された身であることを忘れ、空の景色に見入っていた。
だがその頃、はるか下方から、不穏な黒い影の群れが静かに近づいてきていた。




