2人のアルテミス
出立の朝、詰め襟の侍従服を着たセルジュとアルテミスは、二頭立ての黒塗りの小型馬車に乗り込んだ。
後ろに続くもう一台の馬車には、道中の食糧や衣類の箱、毛布、薬箱が積まれているが、末席とはいえ皇族が北方の辺境へ向かう長い旅路に出るとは思えないほど、あまりにも貧相な荷立てであった。
カミラが手配してくれた護衛の兵士たちが、あまりの荷物の少なさと扱いの軽さに、気の毒そうに顔を見合わせていた。
「アルテミス、数日前に先遣隊を北へ派遣してある。宿営地の整備や警戒はしているはずだ。道中で困り事があれば、すぐに使いの者を出しなさい」
「はい、カリストお兄さま」
アルテミスが控えめな笑みでうなずくと、カリストは安堵したように頷いた。
「それにしても、セルジュ。ユミルはどうした?侍女の姿も見えないが……」
「ちょっとね、後から合流する予定だから大丈夫」
「そうか……」
セルジュが肩をすくめて答えると、カリストは納得いかない様子だったが、幸い深く追及はしなかった。
「そろそろ出立か。日が暮れる前に皇都の城下町リーデルに着かなければならないな。アルテミス、兄様はいつでもお前の無事を祈っているぞ」
「ありがとう、カリストお兄さま」
御者の合図とともに、馬車は軋む音を立てて動き始める。
窓から見える景色が流れるように後ろへ遠ざかっていく。後方に佇むカリストと皇宮の塔が小さくなり、やがて点になった頃、ようやくセルジュとアルテミス――もといモルティアは同時に息を吐いた。
「あ゛~、緊張した。カリスト様しつけーんだもん」
「でも、わたくしの演技は完璧でしたよ!セルジュは緊張しすぎです」
胸を張るモルティアに、セルジュは恨めしそうに窓の外を見つめた。
「俺も“あっち”がよかったなぁ。みんなで家族ごっこすんの楽しそーだし。ずっと馬車の中にいるの、退屈になりそー」
朝の別れ際にウキウキと支度する弟の顔が脳裏に浮かぶ。竜翼を思い切り伸ばして空を滑空するのは気分が良いし、大空を横断する爽快感に喜ぶアルテミスの顔を一緒に見たかった。
ぶつくさ文句をこぼすセルジュにモルティアはくすりと笑った。
「そう言わずに。わたくしは楽しむつもりでおりますよ!人間界で起きる出来事を記録するのが我ら一族の仕事ですが、実際に物語の渦中に身を投じるのは初めての体験です!まるで舞台に飛び入り参加する観客のようで、ワクワクしませんか?」
「わかんねー……」
目を輝かせるモルティアに、いまいち共感できないセルジュは詰め襟の第一ボタンを緩めると、御者台の背もたれの上にだらりと体を預けた。
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一方その頃、離宮の裏にある森の奥では、一頭の灰竜と本物のアルテミス、そして離宮の面々が出発の準備をしていた。
「カーディ、どこか痛いところはないか?」
この日のために特注で誂えた安全固定具付きの鞍をカーディの背中にしっかりと取り付けながら、ウィリアムが声をかけると、カーディはご機嫌な様子で尻尾を振り上げた。
「いい感じ~」
「少し動いてみてくれ」
言われた通りにカーディが二対の竜翼をばさばさと軽く羽ばたかせたり、その場で体を揺らしたりするが、腹の下で固定された厚い革製のベルトはしっかりと留められていた。
「問題なさそうですね」
後ろの荷鞍に荷物を載せながらユミルがうなずくと、アリスは青い顔で震えながら言った。
「ほ、ほんとにカーディは灰竜だったんですね……! てっきりいつもの冗談かと……! それに、カーディに乗って北方に行くなんて、なにがなにやら……まだ頭が追いつきません……!」
「ぜってー落としたりしないように、ゆっくり飛ぶから大丈夫だよ」
「そうですね、人目に着かぬよう出来る限り上空を高く飛行しますが、念のため防風魔法もかけますし」
「は、はひぃ……」
「アリス、だいじょうぶ?」
「え、えぇ!もちろんですよ、アルテミス様!」
心配そうに顔をのぞきこむアルテミスに、アリスは必死に笑顔を作るが、引きつった表情は消えない。
アリスの背中をウィリアムも慰めるようにぽんと叩いた。
「心配するな、アリス。俺も竜の背中に乗るのは初めてだが、全員が無事に北へ辿り着けるよう全力で守る」
「だ、大丈夫です。アルテミス様を守るためですもん。怖いなんて、言ってられません」
「そろそろ、セルジュ達が出発する時間です。我々も行きましょう」
ユミルの合図でウィリアムが先頭の鞍に乗り込み、アルテミス、ユミル、アリス、最後にローゼマリーが順に跨って準備完了だ。
ユミルはすぐに全員に防寒と落下防止の魔法をかけ、アルテミスの固定具をしっかりと装着して頷いた。
「あれ、ディアウッド先生はどうなさるんですか?」
側で見ているだけの私にアリスが気づくと、ユミルは呆れたように肩をすくめた。
「ディアウッド先生はお乗りにならないそうです」
「……? せんせいはいらっしゃらないんですか?」
不安げにこちらを見るアルテミスに、私はゆっくり首を振った。
「まさか。一緒に行くさ」
アルテミスに加護の紋を与えた以上、私は彼の行く末を見守る義理がある。
――もっとも。
竜の背にしがみつく必要など、私にはないがな。




