愛しい我が家
衝撃的な終わりを迎えた『選定の儀』であったが、結果としては側妃の息子であるアデルが勝利し、第一皇子であるカリストは次席、アルテミスは最下位となった。
「アルテミスはすぐに北方へ出立するように」
「父上! お待ちください!」
感情の欠片もない声で命じると、アウグストは外套を翻し、側近を引き連れて去っていった。その冷たい背中を、カリストが必死に追いかけて行く。
「アルテミス様!お怪我はありませんか!?」
広間の中央に立ち尽くしたまま呆然とするアルテミスのもとへ、ユミルたちが駆け寄る。アリスが震える手でアルテミスの頬についた煤を払い、腕や手に傷がないか確かめた。
「もう大丈夫ですからね……! どこか痛いところはありますか? どうしましょう、お医者さまを呼んだ方がいいですかね? 煙を吸ったんじゃ……」
半ば泣きそうになりながらまくし立てるアリスに、アルテミスは小さく首を振った。
「ぼくは大丈夫……でも、セリオスが……」
「セリオスのことなら問題ありませんよ。召喚の陣が途切れただけですから、精霊の庭へ戻ったのでしょう」
「そう、なんだ……」
黒煙を浴びてひどい匂いのするアルテミスの衣に、ユミルがそっと浄化の魔法をかける。すると淡い光が布を包み、煤も焦げも音もなく消え去った。
「これでよし。あぁ、ここの襟飾りがほつれていますね……」
「ユミル、ありがとう。あのね、さっきセリオスが……」
乱れた服をせっせと整えるユミルに、アルテミスは先ほどのセリオスとの出来事を話そうとした。だが――薄笑いを浮かべたアデルがこちらへ歩み寄ってくるのに気づき、喉元まで出かかっていた言葉を、慌てて飲み込んだ。
「やぁ、ひさしぶりだね。アルテミス」
「アデルお兄さま……」
「さっき、あの老ぼれ精霊となにか話していたね。なにを言われたのかな?」
アデルの顔は柔らかく笑っているが、目の奥は凍りつくほど冷たく、獲物を狙う蛇のように細く光っていた。
「ううん、なにも……」
「そうか」
小さく首を振ると、アデルはかろうじて浮かべていた笑みを消し去った。
「それじゃお別れだね、アルテミス。達者で過ごせるといいが。まぁ無理だろうな。次に会うのはお前の葬式だったりして」
「……っ、アデル様! お言葉が過ぎます!」
険しい顔で一歩前に出たウィリアムを、アデルは鼻で笑った。
「哀れだな、ウィリアム。仕える相手を間違えなけりゃ、お前も皇帝の側近になれたかもしれないのに」
そう言うと、背後に控えていた近衛騎士たちへ顎で合図する。
「さぁ、僕の末の弟が今すぐに出立できるように準備を手伝ってやれ」
「きゃぁっ!」
「アリス!」
「ちょっと、触らないでください!」
武装した男達に腕を掴まれ、追い立てられるようにアルテミスたちは広間の外へと連れ出された。
城の外では、青薔薇の旗を掲げた馬車の傍で、詰襟服を着せられたセルジュとカーディが退屈そうに待っていた。城内から半ば押し出されるように出てきた我々を見て、二人は不思議そうな顔で目を丸くした。
「おかえり~、アルテミスさま」
「カリストさまのお誕生日会どうだったぁ? うまいもん食べれた?」
呑気に笑っていたセルジュたちだったが、アリスの腕を掴む近衛の姿に気づくと、すっと目を細めた。
「あんたらなに? なんでアリスに手ぇ出してんの。さっさと離せよ」
「……っ、アルテミス皇子は北の辺境領へと流されることが決定した! 早急に出立するように、皇帝陛下からの勅命だ!」
「えぇ~? なんで?」
「意味わかんねーんだけど」
「どういうことだい、ユミル? なんだか話が見えないね」
首を傾げる双子のうしろで、本日限りの侍女長として、馬車の中で控えていたローゼマリーも身を乗り出した
「色々あったんですよ……」
げっそりとため息をつきながらユミルがことの顛末をかいつまんで説明すると、カーディはあっけらかんと肩をすくめた。
「ふーん。ま、どこに行くにせよ、俺たちも着いてくよ。それでいいよね、アルテミスさま?」
「う、うん……」
「もちろん私も着いて行くよ! 北の湖にはたっぷり脂のった魚や、雪猪もいるしね。新しい食材で料理するのも、きっと楽しいだろうさ!」
「と、とにかく、アルテミス皇子は今すぐに北の辺境へ出発しなくてはならない! これは皇室命令である!」
わいわいと盛り上がるローゼマリーたちに毒気を抜かれながらも、アデル付きの騎士たちは表情を引き締め直し、居丈高に宣言した。
「今すぐにですって? もう夜ですし、アルテミス様はお休みの時間です。離宮に戻り、荷造りもしなければなりません」
腰に手を当てて抗議するユミルに、近衛の隊長は意地悪そうに口の端を歪めた。
「アデル様のご命令だ。夜が明ける前に出立しろ。離宮の財物はすべて皇室の所有物である。持ち出しは許さない」
「つまりは、着の身着のままで出ていけと?」
「そうだ」
「待ちなさい」
鋭い声が響き、二人の娘を伴ったカミラが歩み寄ってきた。凛とした美貌をもつカミラが放つ気迫に、騎士たちが思わず道を開ける。
「即日に追い出すなど、あまりに非情だわ。歴代の皇子たちも、出立までに数日の準備期間は与えられていたはずよ」
「し、しかし……」
「黙りなさい。陛下に直接お尋ねしても構わないのよ。アデル王子は最上位とされたけれど、まだ正式に立太子が決まったわけではないわ」
牽制された近衛騎士たちは顔を見合わせ、しぶしぶ引き下がった。それを見届けたカミラは、目を伏せて小さくため息をついた。
「北への道中は盗賊や魔獣が出没する危険地帯よ、私たちの私兵を貸すわ」
「お心遣い、痛み入ります」
深く頭を下げるユミルに、カミラは小さく首を振った。
「私も母親よ。まだ幼いアルテミスを守れなかったことを、悔いているの。これくらいはさせてちょうだい」
悔しそうに目を閉じるカミラの背後から、口をへの字に結び、今にも泣き出しそうなエルデガルダが飛び出してきた。
「……っ、アルテミス!」
「エル姉さま……」
「北になんて行かなくていいわ! 私たちと一緒に熱砂の国へ行きましょう!?」
「エル、やめなさい。アルテミスを皇室反逆者にするつもり? 皇帝の命に背けば重罪よ。それに、北の辺境はアナスタシア様のご生家の領地の近くでしょう。きっと助けてくださるはずよ」
「シャーペイ様のおっしゃる通りです。我々はいったん離宮に戻り、準備が整い次第出立いたします」
「でも……っ!」
涙を滲ませるエルデガルダに、ユミルが柔らかく言う。エルデガルダは涙を拭うと、アルテミスの両手をぎゅっと握った。
「むこうに着いたら、絶対に手紙をちょうだい。毎日、あなたの無事を祈っているわ」
「ありがとう、エル姉さま……」
それから、カミラたちと別れ、我々は住み慣れた我が家――陰謀も嘲笑も届かぬ、最後の安全地帯であった離宮へと戻った。
馬車の中では、気丈に振る舞っていたアルテミスだったが、湯浴みを済ませ、着心地の良い寝衣に着替え清潔なシーツの上に横になった途端、張り詰めていた糸がぷつりと切れたかのように、あっというまに眠ってしまった。
その寝顔が穏やかであることを確かめ、アリスにも自室で休むよう言い含めると、静まり返った夜の離宮で、ユミルはすぐさま荷造りに取りかかった。




