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最後の質問


「お前さんからは、精霊王の祝福のほかに、月の精霊の強い祈りを感じるよ。この子を守ってくれ、傷つけないでくれと……ユミルの声が聞こえてくるようじゃ」

「……?」

 目を瞬かせるアルテミスに、セリオスは穏やかに続けた。

「ユミルは賢いが、怒りっぽくて気が短くての。昔はずいぶん危なっかしいところがあった。いつか自らの激情に呑まれて身を滅ぼすのではないかと、わしも案じておったが……自分の身よりも大切にしたいものと出会えたのなら、あの子ももう大丈夫じゃろう」

「ユミルが、怒りっぽいですか?」

 アルテミスの知るユミルは、いつだって穏やかで落ち着いていて、声を荒げる姿などほとんど見たことがない。首をかしげるアルテミスに、セリオスは悪戯っぽく片目をとじくすくすと笑った。

「語れば長い武勇伝がいくつもあるがの。わしには、あまり時間がない」

 そう言って、セリオスはどこか遠くを見るように森の外へ視線を向けた。

「建国の英霊だなんだと持ち上げられ、世相が動くたびに精霊の庭から呼び出されておるが……わしは長く生きたぶん、力も衰えた。もう、長く地上に留まることはできん」

「わかりました」

 本当はもっとユミルの昔話を聞きたかったが、セリオスのかすかな疲労を滲ませた溜息に、アルテミスは素直にうなずいた。

 セリオスは温かな手で、そっとアルテミスの頭を撫でながら目を細めた。

「優しい子じゃ。帝国の未来を背負うには、まだ若すぎるが――」

 羊の角をわずかに傾け、静かに居住まいを正すと、古びた木の杖の先が淡く光りはじめた。小屋の中の空気が澄みわたり、森のざわめきさえ遠のいていく。

「――賢王ラインハルトの守り手、セリオスが汝に問う」

 その金色の瞳が、まっすぐアルテミスを射抜いた。

「『皇帝たる者にもっとも必要な資質は何か?』」

 これはかなり難しい問いであった。

 歴代皇帝の隣にいた私でさえ、明確な答えなど持ってはいない。

 君臨する皇帝に求められるものは、時勢によって大きく変わる。

 ニコラスが治めていた頃は、長きにわたるヴォラクの支配から解放され、荒廃した世を立て直す強い意志と統率力が求められた。

 次いで即位したアウレリウスに必要だったのは、国の基盤を固める金融政策と、他国の侵攻から民を守るための国防体制の確立であった。

 ジークハルトの時代には内政改革が進み、エルデガルダの治世では周辺諸国との緊張が絶えず、軍略と外交の才に長けた為政者が望まれた。

 もしユミルがここにいれば、「セリオス、それはまだ難しすぎますよ。アルテミス様は読み書きや魔法理論のほうがお得意です」などと、余計な横槍を入れたに違いない。

 だがアルテミスは、少し考えるそぶりを見せると、まっすぐにセリオスの顔を見て言った。

「……ぼくは、知るのをやめないことだと思う」

「ほう……面白い答えじゃな。理由を聞いてもよいかの」

「はい。ぼくは、生まれてからずっと離宮ですごしてきました。ずっとアリスやユミル、ディアウッド先生に守られて生きてきた。だから、この国の人たちがどんな暮らしをしているのかも、まだよくわかってない。正直に言うと、皇帝になることの意味も、ちゃんとはわかりません」

 アルテミスのあけすけな物言いにも、セリオスは驚かなかった。

「そうじゃろうな。お前さんの境遇は知っておるよ」

「でも、モルティア……えっと、ぼくの歴史の先生も言ってました。知識は金よりも重く、灯火よりも明るく道を照らし、恐怖を打ち払う剣となるって。

 ぼくもそう思う。皇帝になるなら、きっとたくさんの人と会って、だれかの一生を変えるような決断をすることになるんだ。すごくこわいけど……だからこそ、どんなときでも知るのをやめちゃいけないんだ」

 古びた小屋の中にしばし沈黙が落ち、セリオスはどこか思案するような表情で窓の外へ視線を向け、低く呟いた。

「……はるか昔、お前さんと同じことを言った男がおったよ。あれが成し遂げたことは偉業であったが、同時に重い代償も払うことになった」

「ぼくの答え、だめですか? おかしいですか?」

 不安げに見上げるアルテミスに、セリオスは静かに首を振った。

 そのとき、窓から一羽の小鳥が舞い込み、そっとセリオスの肩に止まった。小鳥が小さく囀りセリオスがうなずくと、小屋の外の景色がゆらりと歪みはじめた。

「時間じゃ。わしは次の皇帝候補に会いに行かねばならん。楽しかったよ、アルテミス。月の光に愛され、大地の王に祝福されし皇子よ」

 森の光が淡くほどけ、小屋の輪郭がゆっくりと溶けていった。


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