誤解です!
水を打ったように静まり返った祝賀の場で、最初に声を上げたのはユミルだった。
「陛下、誠に申し訳ございません。ディアウッド伯爵はフェルミアでも変わり者として知られる学者ゆえ、どうか戯言としてお聞き流しください。不敬罪として牢にお繋ぎいただいても、異存はございません」
「おい、なぜだユミル」
納得のいかない私が肩を掴むと、ユミルは何かに耐えるように目を閉じ、すぐに表情をきりりと改め深く頭を垂れた。
「このたびは、カリスト様、お誕生日おめでとうございます。アルテミス様ならびに一同より、心よりお祝いを申し上げます。それでは、失礼いたします」
「あ、あぁ……大義であったな」
戸惑った様子のカリストが慌てて言葉を返すと、ユミルはアルテミスの背にそっと手を添え、そそくさと広間を後にした。
アルテミスを連れカミラ達と合流すると、ユミルは私の腕を掴み、そのままバルコニーへと連行された。ご丁寧に人の気配がないことを素早く確かめると、ユミルの怒りは怒髪天を衝いた。
「どうしてあんなことを言うんですか!!ご自分の威信ばかりを優先して、アルテミス様のお立場がどうなるか、ほんの少しでもお考えになりましたか!?」
「うるさい、大声を出すな。なにをそんなに必死になっているんだ」
「な、なななな……このっ!僕がどれだけ、アルテミス様が初めて皇帝陛下にお会いする大切な機会を心待ちにしていたか、わかりもしないくせに……!今日の席で、アルテミス様の存在に陛下がきちんと目を向けてくだされば、立場を持ち直すことだって夢じゃなかったのに……!!」
「あの男は、アルテミスの顔さえ見なかったではないか」
親切にも事実を指摘してやると、ユミルは凶暴な獣のような目で睨み返してきた。
「それをあの子の前でもう一度言ったら、絶対に許しませんからね……!?可哀想なアルテミス様、あの子の絶望を思うと、帝国ごと滅ぼしてやりたいくらいです!」
「生まれてこの方、会いにきたこともなかった男に、父親としての情を期待していたのか?予想できた結果だろう」
「あそこでバーティミアス様が、もう少し言葉を選んでくださっていれば、違う反応を引き出せたかもしれないじゃないですか!」
「私が人間のご機嫌取りにおもねる理由にはならんな」
「不敬罪で縛り首になってしまえ」
低い声で吐き捨てるように言うユミルに、私は思わず眉をつり上げた。
「まったく、そういうお前こそ不敬ではないか。お前の主人は誰だ?お前が千年を賭けた勝負に敗れ、忠誠を誓っているのは?」
「うるさい、この高慢で分からず屋の、古狸、石頭、時代遅れの独善者、空気も読めない神気取りの老害精霊王ッ!!」
「おやおや……口の悪いウサギだ」
無限に呪詛を吐き続ける呪具と化したユミルを眺めていると、きい、と控えめな音を立ててバルコニーの扉が開いた。
「……ユミル殿、声が中まで聞こえてきた。どうしたんだ?」
気まずそうなウィリアムを、ユミルはじとりと睨みつけた。
「いいえ、なんてことはございませんよ。先ほどのディアウッド伯爵の態度について、ご忠告を差し上げていたところです」
「陛下は公明正大な御心をお持ちの方だ。相手が誰であろうと、正しいことを述べたのであれば、咎め立てなさるようなことはあるまい。先ほどの件も、他国の貴族に意見を求めた以上、その返答によって処罰されることはないだろう」
ウィリアムの言葉に、ユミルは意外そうに目を瞬かせた。
「ウィリアム様も、ディアウッド伯爵の言うことが正しいとおっしゃるのですか?」
問い返され、ウィリアムは少し考えるように視線を落としてから、静かにうなずいた。
「そうだな……。少なくとも、アルテミス様へのご態度については、あまりにも冷淡であったと言わざるを得ない。陛下はもとより、理を重んじ冷静沈着なお方だが……他の皇子たちに、あのように接する姿は見たことがない」
「つまりは、アルテミス様に問題があったと?」
ユミルの両目に凶暴な光が宿るのを見て、ウィリアムは慌てて首を振った。
「そうではない!ただ、陛下にとってあの態度は常ではない、ということを言いたいだけだ」
ウィリアムは広間の中の様子をちらりとうかがい、切り替えるように言った。
「もうすぐ、カリスト様からの来賓へのお言葉があるようだ。中に戻った方がいいだろう。アルテミス様も、席につき待っておられる」
「わかりました」
私に続き広間へ戻ろうとするユミルの背に、ウィリアムはそっと手を伸ばし、呼び止めた。
「その、ユミル殿」
「……なんですか?」
深い紺色の瞳で静かに見返され、ウィリアムは言いにくそうに視線を泳がせた。
「……その、差し出がましいとは承知しているが……カリスト様と私的に親しい関係にあるように見えた。ユミル殿も、望んでその立場にあるということで間違いはないか?」
「……はい?」
唖然とあるユミルに気付かず、ウィリアムは真面目な口調で続けた。
「カリスト様は今は独身であるが、いずれはご結婚もなさるだろう。愛妾という立場になれば、日陰に置かれることもあると思う。それでも二人が互いに納得している関係ならば、俺は応援するつもりだ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
あまりにも真剣な面持ちで言い切るウィリアムに、ユミルは思わず額に手を当てた。
「僕がカリスト様の愛人……?一体全体、いつの間に、そんな話になったのですか?」
「ち、違うのか……!?」
驚愕するウィリアムに、ユミルはどう説明したものか目を閉じ思案し、ゆっくりと話し始めた。
「……ウィリアム様は、犬や猫はお好きですか?」
「あ、あぁ……そうだな」
「可愛いと思いますか?」
「まぁ……そうだな、仕草や見た目など、見ていて癒されるし、愛らしいと思う」
「では、彼らに恋人になって欲しいと思いますか?」
ウィリアムが不思議そうな顔で首を振るのを見て、ユミルは静かに言った。
「僕にとって、人間と恋仲になるというのは、そういうことです」
厳密に言えば、精霊と人間が恋に落ちた例がまったくないわけではない。だが、もとはウサギの姿で生きてきたユミルにとって、人間は種を異にする存在であり、恋の相手ではないのだろう。ユミルの言葉に、ウィリアムもはたと気づいたように目を見開いた。
「それは……ユミル殿が、人ならざる者である、ということか?」
「……えぇ、そうです。今さら隠し立てはしませんよ。セルジュとカーディから、もう聞いているものだと思っていました」
誤解が解け、ウィリアムは居心地が悪そうに視線を彷徨わせた。
「……先日の、カリスト様とユミル殿のやり取りを聞いて……その、そういう関係なのかと。それに、カリスト様は腰の細い、しなやかな女性が好みだと聞いていた。カリスト様がユミル殿に贈られた服も、妙に体の線が出ていて……てっきり……」
それを聞いたユミルは、今すぐにでも腰を締めつけるコルセットを脱ぎ捨てたい衝動に駆られたが、深く息をついて堪えた。代わりに、静かに言葉を選んで告げる。
「僕たちと人間では、過ごす時間の早さも、生の重みも、まったく違う。人生を共にしようとしても、不幸が積み重なるだけです。僕は、先のない約束はしない主義なんです」
ウィリアムは一瞬目を伏せ、やがて小さく頭を下げた。
「……すまなかった。俺の早合点だ」
ユミルは小さく肩をすくめただけで、責めることはなかった。
「中に戻りましょう。アルテミス様のもとへ、早く行かないと」
「あ、あぁ……そうだな」
広間へと戻るユミルの背中を追いながら、ウィリアムは胸の奥が、ずきりと痛む心地がして、思わず歩みを止めた。
「……?」
結局、2人の関係は誤解で、謝罪は受け入れられた。それなのに、胸の内に残る小さな違和感が消えない。ユミルの後ろ姿は、いつもと変わらず凛としている。その背を見失わぬよう再び歩き出しながら、ウィリアムは無意識に手を握りしめていた。
それは、まだ芽吹いたばかりの恋心が無自覚の嫉妬に胸を刺す痛みなのだが、その正体にウィリアム自身が気づくのは、まだずっと先の話だ。




