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ユリウスの旅立ち

 ユミルが離宮の庭へと帰り着いたのは、夜明けの星が薄紫の空に輝きだす頃であった。ユミルはいの一番にアルテミスの部屋へ行き、彼の安らかな寝顔を確認すると傷ついた体を引きずり私のもとへやってきた。

「バーティミアス様、夜分に失礼いたします」

「おお、ユミルよ。どうしたんだそんな姿で?」

「……不躾な輩に絡まれましてね」

 不機嫌そうに鼻を鳴らすユミルの柔らかな毛並みを味わうように背中を撫でると、ぴくりと身を強張らされた。

「可哀想に、前脚が取れかけているじゃないか。一体何をされたんだ?」

 ユミルの前脚は酷く焼かれ、皮膚が裂け、かろうじて筋で繋がっている有様であった。ここまで戻ってくるのも一苦労だったろうに。しかしユミルは苛立ちをあらわに後ろ脚で地面を叩いた。

「何だっていいでしょう、さっさと人間の姿に戻して下さい!」

「戻る?おかしなことを言うな。お前の本来の姿は、その愛らしいウサギのはずだ」

「みなまで説明しないとわかりませんか?この姿のままではアルテミス様のお世話が出来ませんよね?」

 目を三角にしたウサギが苛立たしげに荒く地面を叩く。おお怖い。あれほどの狼藉を働いたカリストにさえ従順を装っていたというのに、私へは容赦ない。

 しかし、みすぼらしい毛皮の塊をこれ以上虐めるのも面白みに欠ける。私はさっさとユミルを貴族令息の姿に戻すと、傷ついた腕の熱傷も治してやった。赤黒く爛れた箇所が淡く光り、みるみるうちに筋肉と皮膚が元の形を取り戻していくのを見て、ユミルは驚いたように目をぱちくりさせた。

「あの……ありがとう、ございます……?」

「礼はいらんが、ひとつ教えて欲しいことがある。お前のそのアルテミスへの献身は、どこから湧いてくるんだ?」

 ユミルに命じたことは『ニコラスの魂を受け継ぐ者をさがせ』のみだ。手厚く保護せよとも、慈しみ育てよとも強制していない。しかして今やこの月の精霊は、まるでアルテミスが世界の中心と言わんばかりに身を捧げている。

 しかし、ユミルは先ほどまでの殊勝な態度を消し去り、おどけた態度で肩をすくめた。

「おやおや、偉大なる精霊王様とあろうお方が、こんな取るに足らない小精霊のすることが、そんなに気になりますか?」

「いいや、お前の思惑がなんであれ、私のするべきことは変わらない」

「そうでしょうとも。バーティミアス様の目指すものは、永遠に変わらぬ誓いを、またひとつ果たすこと。大義を果たす道すがらに伸びた枝葉のひとつなど、いちいちお気になさる方ではないでしょう?」

「……ふむ」

 言い方は気に入らないが、確かに言われてみればその通りであった。人間たちのくだらない権力争いに関わる気はない。必要なのは魂の器となる者を選定し、導くことだけだ。黙ってしまった私にユミルは優雅に一礼すると、薄闇に溶けるように消えていった。

 次の日の朝、アルテミスはユミルの帰宅を喜んだ。この幼い子供がどこまで理解しているのか不明だが、刺客に襲われ、命の危機に瀕し、家族同然の離宮の使用人たちが人間ではないと明かされても、アルテミスのふるまいは変わらなかった。

 いつも通りに午前の語学の授業を終え、昼食を食べた頃、第二側妃ドロテアの三男、ユリウスが離宮を訪ねてきた。

「アルテミス様、ユリウス様がいらっしゃいましたよ」

「ユリウス兄さま!」

「カリスト兄様から、アルテミスが森で襲われたと聞いたんだ」

 狩猟大会の一件以来、アルテミスとユリウス、腹違いの兄弟の間には、不思議な絆が生まれていた。  以前の高慢なふるまいをやめ、アルテミスの兄然と振る舞うユリウスを、今ではユミルも丁重に迎え入れている。

「怪我はないのか?」

「うん!えっと、すぐに助けてもらったから」

 セルジュたちの正体が火を吹く巨大な灰竜で、襲ってきた敵を退治してくれたことは秘密にする約束だ。アルテミスは咄嗟に言葉を飲み込み、あいまいに微笑んでみせたが、ユリウスはほっとしたように息をついた。

 それにしても、見違えたものだ。ユリウスは始めの頃こそ、居丈高に振る舞うことがあったが、アルテミスは気にする様子もなく、ユリウスもまた、自身に刷り込まれた優生思想に考えるところがあったのか、不器用ながらにアルテミスに歩み寄ろうとし、ふたりは少しずつ本当の兄弟のように打ち解けるようになっていった。

 その様子を見て、もとより身分制度に頓着しない離宮の使用人たちも自然とユリウスに気安く接するようになっていった。そもそもが、長命なうえ子供好きな性格の面々だ。アルテミスとそう年も変わらないユリウスなど、ちょっと生意気な幼子にしか見ておらず、本当はかまいたくて仕方がなかったのだ。

 遠慮のないカーディに肩車をされ、セルジュと追いかけっこをし服を汚しても、アリスは朗らかに笑い「いっぱい遊びましたね!」と優しく頭を撫でてくれる。とにかく子供の腹を満たすことが大好きなローゼマリーは、ユリウスが好きだと言った魚のパイを、彼が来るたびに山ほど作り「たんとお食べ!」と豪快に背中をたたいた。そんな離宮の住人たちに囲まれているうち、ユリウスの他人を見下す悪癖は影を潜め、今ではアルテミスの頼れる兄としてあろうと、ウィリアムから剣の稽古を受けているほどだ。

「エル姉さまからの手紙をみた?夏になったら帰ってくるんだって!」

「あぁ、僕のところにもきた。そうだ、手紙で思い出した」

 ユリウスは懐の奥から小さな包みを取り出し、はにかんだ笑みを浮かべた。

「お守りだ。ドワーフの工房で作らせた」

「ありがとう!ユリウス兄さま!」

 金色に輝く小鳥のブローチを光にかざし、目を輝かせるアルテミスに、ユリウスはふと悲しげに視線を落とした。

「アルテミス、僕はエルには会えない」

「えっ、どうして?」

「ヴァルステイン公国の学院に行くんだ。母上が今朝そう決められた。明日の朝に出立する」

「どうして?だって、学院に行くのはもっともっと先の話だって言ってたよね、なんで……」

 アルテミスの目がみるみるうちに潤み、ユリウスは慌てて頭を撫でて宥めようとしたが、こらえきれなくなったアルテミスの瞳から、ついに大粒の涙がこぼれ落ちた。

「いやだよ、行かないで、さみしいよ……」

「手紙をいっぱい書く!それに、長期休暇には帰って来るから……」

 言いながら、ユリウスは罪悪感に胸の奥がずきりと傷んだ。おそらく母であるドロテアは、卒業までの帰国を許さないだろう。教師の目を盗み宮殿を抜け出し、末の弟のもとへ通っていることを、彼女がよく思っていないことは薄々感じていた。しかし、兄として慕ってくれる小さな手を、このあたたかな空間を失うことができなかった。

 結果として母親に失望され、半ば追い出されるように北方の遠い学院へ送られることになったのだが、ユリウスはこれを悪くない機会だと思っていた。皇族としての矜持に取り憑かれ、虚栄心ばかりを膨らませた母親と、彼女が望む理想の皇子に近づこうとして無理をしていた自分から、少し離れてみたかったのだ。

「ユリウスさま、ヴァルステインに行くの?」

「北の山に俺たちのいとこが住んでるよ」

 アルテミスの泣き声を聞いてやってきたセルジュとカーディの話を聞いて、アルテミスは顔をあげた。

「いとこ?」

「うん、すげー冷たい息を吐ける……イテッ!じゃなくて、寒いところが好きな変わったやつなんだ」

 セルジュに背中を小突かれ、カーディは慌てて言い直した。ユリウスが興味深そうに首を傾げる。

「山の中に住んでるのか?」

「うん、くそ真面目だけどいい奴だから。ユリウスさまと気が合いそー」

「俺たちもしばらく会ってないよな」

「近所だと、なかなか行かないよな〜……じゃなくて、えっとぉ」

 今度はユミルに白い目で見られ、ぎくりとしたセルジュは慌てて「お茶を淹れてくる!」と叫びながら厨房へと逃げていった。

 ヴァルステイン公国は大陸の最北端にある寒冷地だ。灰竜たちなら空を縦断して一日ほどで着くが、人の足で行けば険しい山脈を越え、湖を渡り、三週間ほどはかかる。幸い子供たちは、セルジュのいつもの冗談だと受け止め、穏やかに微笑みあった。

 涙が引っ込んだアルテミスは、少し考えるようにしてから心配そうに言った。

「ヴァルステイン公国はずっと冬がつづくんでしょ?」

「そうだ。よく勉強しているな」

「お風邪をひかないでね。たくさんお手紙もちょうだい。ぼく、まいばんユリウス兄さまに元気でいてねってお祈りするから……」

「わかったよ、アルテミス」

 一生懸命に言葉を紡ぐアルテミスに、ユリウスはまぶしいものでも見るように目を細めながらしっかりとうなずいた。しんみりとした空気をかき消すように、ローゼマリーが大皿に焼きたてのパイを抱えて現れ、いつもより騒がしい夕食の時間が始まった。

「ユリウス様の旅立ちのお祝いだよ!たんとお食べ!」

 野菜がたっぷり入ったシチューに香草をまぶしたローストチキン。デザートは焼きりんごとベリーのタルトだ。今宵は堅苦しい決まりはなしで、離宮の面々もユリウスと同じ卓につき、アルテミスは隣の席のユリウスと目を合わせておしゃべりしながら、あっという間に皿の上の料理を平らげてしまった。

 楽しい時間はあっという間に終わり、別れの時間となったが、ここで引っ込んでいたアルテミスの涙が堰を切ったように溢れ出した。なんとか別れの挨拶をしたが、ユリウスも名残惜しげに何度も立ち止まり、アルテミスに小さく手をふった。アルテミスもそのたびにちぎれんばかりに両手をふってこたえていたが、離宮から遠ざかるユリウスの背中が見えなくなっても、アルテミスは門の前から動こうとせず、ウィリアムに抱えられて部屋へと戻った。

 次の日の早朝、ユリウスはヴァルステイン公国へと旅立って行った。表立ってアルテミスは見送ることさえできず、窓の外を走り去る馬車を、金のブローチを握りしめながらいつまでも眺めていた。

 アルテミスはそれから毎月のようにユリウスに手紙を書き、ヴァルステイン公国に渡ったユリウスもまた、欠かさず返事を寄こした。しかしそれから六年、ユリウスが帰国することはかなわなかった。

 しかし、遠い母国で待つ末弟のため、剣と魔術の腕を磨き、ひょんなことからセルジュたちの従兄弟である氷竜と契約を交わし、『氷耀の剣士』と呼ばれる氷結魔法の使い手となるのは、まだ先の話である

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