カリストの狂気
時は戻り、アルテミスたちが森で襲撃に遭っていた頃、ユミルは憲兵たちによる終わりの見えない尋問に静かに苛立っていた。
「宮廷魔法士に鑑定させた結果、ローデリク男爵は高度な幻惑魔法にかけられた可能性がある」
「お話は分かりましたが、僕がやった証拠はないんですよね?アルテミス様の夕食の支度がありますので、帰らせていただきたいんですが」
「……とあるお方から、貴殿が幻惑魔法の使い手だと情報提供があった」
「えぇ、まぁ素養があることは認めますが、ほんの少し眠気がくるような初歩的なものだけですよ。僕のような男爵家次男に、高度な精霊召喚なんか出来るはずないでしょう。もうよろしいですか?さっきから同じ質問の繰り返しで頭痛がしてきました」
「だめだ、これは中央憲兵隊による正式な取り調べである」
「はぁ……なんだか終わりのない茶番劇を見せられている気分です」
わざとらしく肩を落とすユミルに、尋問官の男は顔を歪めたが、ユミルは気にしなかった。時計がなく正確な時刻はわからないが、窓から差し込む光は傾き始めている。なんだか胸の奥がざわつく予感がして、ユミルは今すぐにでもアルテミスのもとに戻りたくてたまらなくなった。しかし、心ここにあらずのユミルの焦りを見抜いたのか、尋問官は薄い笑みを浮かべて言った。
「もういい、本日は帰れると思うな。地下牢で荒くれの囚人たちに一晩たっぷり可愛がって貰えば、その生意気な態度も改まるだろう」
「はい?」
男が顎で合図すると、背後から金属の鎖のついた手錠を持った憲兵がやってきた。その禍々しい輝きに、さすがのユミルもぎくりと身を強張らせた。
「な、なんですか、それ」
「純銀製の精霊封じの手錠だ。貴族の中には精霊を召喚し抵抗するやつがいるからな」
「しません、そんなこと」
「おとなしくするんだ」
純銀は精霊の身体を酷く痛めつける。あんなものを手首に嵌められたら、熱したナイフで皮膚を削がれるようなものだ。席についてから初めて顔色を変えたユミルに、尋問官の男の顔に嗜虐的な笑みが浮かぶ。手枷を嵌められたとたん襲ってきた灼熱の痛みに、ユミルは奥歯を噛み締め、なんとか悲鳴を押し殺した。
「どうした、顔色が悪いな」
「……いえ、そんなこと」
背中に冷たい汗を流しながら、ユミルの内心は怒りに燃えた。おおよそアルテミスには聞かせられない呪詛を心中に唱えながら、なんとか意識を保っていると、扉の向こうから思わぬ救世主が現れた。廊下の向こうから足音とどよめきが聞こえ、やがて扉が開き、涼やかな声が響いた。
「すまないが、彼の身元は俺が保証する。調査もこちらで引き継ごう」
「か、カリスト様!?」
突如として現れた第一皇子に、尋問官も憲兵も息を呑んだ。
「困りますよ!この件はマーゼル妃殿下より中央憲兵隊に委任がありました」
「それを承知で引き取るんだ。皇帝陛下の許可は得ている。いくぞ、ユミル」
「は、はい」
痛みに揺らぐ意識の中、カリストに肩を押され部屋を出る。廊下を進む間、ユミルは前を歩くカリストにどうにか手錠を外して貰えないか思案にくれたものの、カリストは無言で歩くばかりで、こちらを見ようともしなかった。長い廊下を黙々と進む間、揺れる手枷が皮膚を焼く痛みに耐えていると、重厚な扉の前で、ようやくカリストはこちらを振り向いた。
「どうしたユミル、汗をかいているな」
「こんなこと、初めてでしたので緊張してしまって……」
言い繕うユミルに、カリストはおかしそうに鼻で笑った。
「アルテミスの教育のことで俺に真っ向から異を唱えてくるお前が、憲兵隊の尋問ごときで動揺するなんて、可愛らしいところもあるんだな」
「そ、それは、滅相もないことでございます」
気を抜くと「さっさとこれを外せ愚図男!」と罵ってしまいそうなのを堪えながら、ユミルは無理矢理口角を持ち上げ引きつった笑みを浮かべた。
「その、手枷が重くて腕が攣りそうです。外していただけますか?」
「そうだな、まずは部屋に入って、それからゆっくりと確認しよう」
「いえ、そんな、もう日も暮れる頃ですし、出来れば本日は失礼させていただきたいです」
「そうか、残念だな」
そう言うと、カリストは手枷に触れた。しかし、ようやく苦痛から解放されるとユミルが安堵した瞬間、カリストはユミルの細い手首を枷ごと強く握り締めた。純銀の冷えた金属板を皮膚に押し当てられ、喉奥で悲鳴をあげ悶絶するユミルに、カリストは冷たい声で言った。
「ユミル、教えてくれ。どのような心地がする?」
「……ッ、ぐ、なに、を」
「お前の正体はわかっている」
感情のない低い声で言うと、カリストはユミルを部屋の中へ有無を言わさず引きずり込み、床に叩きつけた。冷たい大理石の上に横たわるユミルを、カリストが氷のような視線で見下ろす。
「うまく擬態したものだな。精霊が人型をとり、人間として振る舞うなど。帝国の古い書物で、大賢者が契約した精霊にメイドの真似事をさせたと眉唾物の記録があるくらいで、本当かどうか今日まで信じられなかったくらいだ」
「……なぜ」
「ただの男爵令息が高度な幻惑魔術を使うなど聞いたこともない。記録上はうまく誤魔化したようだが、ブランドナー家は代々魔法では大成していない家系だ」
「僕が例外なんです」
淡々と言い返すユミルに、カリストは手鏡を取り出して静かに突きつけた。
「これが動かぬ証拠というものだな」
ユミルが鏡に映っていないのを確認し、薄く微笑みながらカリストは言い切った。
「……カリスト様がそこまで精霊の造詣に深いとは存じませんでした」
精霊が鏡に映らないのは精霊界の機密事項である。忘却の呪文をかけるべき状況だが、カリストは強力な魔術避けの宝具を持っている。ユミルの感心した物言いに、カリストは自嘲するような笑みを浮かべた。
「現皇帝がなぜ見境もなく強い魔法の素養をもつ女を集めて、家畜のように子供を産ませているのか、考えたことはあるか?俺が成人の儀を終えてもいつまでも立太子しないのはどうしてか。それは、全ては伝説の精霊王の加護を受ける皇子を得るためだ」
沈黙するユミルに、カリストは続けた。
「精霊王は幾百もの精霊を使役したという」
「……僕がその眷属だとでも?」
カリストの推測は大正解だったが、ユミルは顔色を変えず一蹴してみせた。しかし、カリストは酷く楽しそうに声を上げて笑った。
「はは!お前は本当にアナスタシアに似ているよ。あの女も、自分の体調すら思い通りにならないくせに、何もかも知ったような顔をしていた」
アルテミスの実母、アナスタシアの話をするカリストの目には、憎しみと愛おしさが入り混じった奇妙な色が宿っていた。
「なぁ、ユミル。考えてみてくれ。俺を含めて十二人の皇子たちの誰も、精霊王に選ばれなかったというのに、突如として頭角をあらわした十三番目の皇子の隣には、まるで過保護な母親のようにふるまう強力な精霊がそばにいるじゃないか。この事実を見て、アルテミスが特別じゃないと誰が思うんだ?あぁ、勘違いしないでくれ。俺はアルテミスを妬んでいるわけじゃない」
顔色をなくしたユミルに、カリストは優しく言い、指先でユミルの顎を掴んだ。
「俺は知りたいんだ。なぜお前はアルテミスのそばにいる?精霊王の命令か?それとも……」
「……僕が誰の命を受けてアルテミスをお護りしているのか、あなたに話すことはありません」
きっぱりと言い切ったユミルに、カリストは薄く笑った。
「これ以上の責め苦を受けてもか?」
ユミルは自身の手首が煙を上げ始めているのをちらりと見て言った。
「えぇ、人間同士の下品な拷問ごっこがしたいのであればご自由に。しかし、なにをされても僕はなにもはなしませんよ」
小さく首をふってカリストの指を振り払い、ユミルはいたずらっぽく微笑んだ。
「カリスト様は精霊について熱心に学ばれているようなので、僕からもひとつ教えましょう。秘密を楽しめない無粋な男は、女性と月の精霊に嫌われます」
次の瞬間、ユミルの姿は淡い光に溶け、空になった手枷が甲高い音を立てて床に落ちた。カリストの足元にはいつの間にかウサギが一匹、ひくひくと小さな鼻を動かし彼を見上げている。咄嗟に捕まえようと伸ばされたカリストの手をひらりとかわし、ウサギは廊下の奥へと跳ねるように逃げ、影に溶けるように消えてしまった。




