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竜とねずみ

 今日は朝から黒い雲が空をおおい、重苦しい雨が地面を濡らし、濁った水溜まりをあちこちに作り出していた。アルテミスは離宮の図書室で、モルティアの語る帝国史の授業に聞き入っていた。

「かつて大陸では、疫病王ヴォラクによる大厄災で、人間も精霊も長きにわたり苦しめられていました。そこで立ち上がったのが、辺境の村に暮らす青年ニコラス。彼は幾多の試練の末、生きた人間は立ち入ることができない精霊の森へとたどり着いたのです。そこで出会ったのは、荘厳な姿をした偉大なる大地の精霊王。彼もまた世界の荒廃を憂慮しており、ニコラスの信念に心打たれ、協力を申し出ました。精霊王は大地の眷属を召喚し、襲いくる闇の軍勢を迎え撃ち、見事疫病王を討ち果たしました。そして、救済の象徴となったその地に建国されたのが、アストラニア帝国なのです」

 熱っぽく語るモルティアに、アルテミスは目を輝かせて手を上げた。

「モルティア、大地の精霊王はどんな姿なの?」

「それはそれはご立派な牡鹿の姿をしていらっしゃいます」

「おじか?」

「はい。天までそびえる荘厳な角をもち、歩けば大地が震え、数多の眷属を従える大変お美しいお方です」

「そうなんだ、すごいね」

 熱弁するモルティアに、アルテミスは熱心にうなずいた。ふむ、私が美麗で威厳に満ちているのは事実とは言え、悪い気はしない。しかし続く質問に、モルティアはぎくりと凍りついた。

「モルティア、精霊王さまのお名前はなんていうの?」

「お名前はバーティ……い、いえ!わたくしのような者がその名を口にしてよいのかどうか……恐れ多いです。ユミル様にお聞きしないと……!」

「ユミル?どうしてユミルに聞くの?」

「えっと……」

 モルティアは大きな瞳を揺らし懸命に思案し、なんとか答えを絞り出した。

「精霊王様の御名は、皇室の記録には残されておりません。偉大なる精霊王様は、名を軽んじられることを好まれないのです」

「ふぅん、そうなんだ」

 納得した様子のアルテミスに安堵しながら、モルティアは話題を変えようとした。

「名前といえば、アルテミス様。アストラニアには、歴代皇帝の名を皇子に世襲させる慣習がございますが、初代ニコラス帝のお名前だけは継承されておりません。どうしてかわかりますか?」

「うーん、わかんないな。どうしてなの?」

「偉大なる精霊王様は、ニコラス様の魂を受け継ぐ皇族を守護するとお約束なさいました。異なる器に同名を与え、精霊王様の混乱を招くことを恐れているのです」

「たましいを受け継ぐ?」

「はい。ニコラス様は輪廻の理に乗らず、終わりなき復活を選ばれました。そして、精霊王様に守護される御代は、繁栄と安寧を得ることができるのです」

「そうなんだ……!モルティアはなんでも知ってるね」

 深くうなずく生徒の純真な眼差しに気をよくしたモルティアは、声を落として続けた。

「わたくしの記録によれば、ニコラス様の魂を受け継ぐ皇帝が生まれる周期は、だんだんと長くなっております。十四代目皇帝エルデガルダ様を最後に、二百年、未だにそのようなお方は現れておりません」

 それから二代目皇帝アウレリウスの逸話と税制改革の話をして、昼食の時間となった。階下からローゼマリーのシチューと焼きたてのパンの香りがして、アリスの呼ぶ声が聞こえた。アルテミスは軽い足取りで食堂へと向かったが、離宮の門前には冷たい雨に濡れる招かれざる客が来ていた。

「中央憲兵隊である。扉を開けよ!!」

 いささか乱暴に門扉を叩く音が響き、ユミルが玄関に出ると武装した男達が立っていた。

「貴様がユミル・ブランドナーか?」

「はい、そうです」

 ユミルが返すと、書状を持った先頭の男が一歩踏み出した。

「貴殿宛に憲兵隊からの召喚状が出ている。ローデリク・フォン=グレインに錯乱魔法をかけた容疑だ」

「そうですか」

 ユミルはわずかに眉を動かしただけで、動揺らしいものを見せることはなかった。痕跡など残っているはずもないからだ。

「なにか申し開きはないのか?」

 憲兵達もユミルの平然とした様子に虚をつかれているようだった。

「申し開きもなにも、身に覚えがないものですから。それとも、なにか容疑を裏付ける証拠などあるのですか?」

 ユミルの冷静な問いに男達は言葉を詰まらせた。年若い貴族令息など、強面の男達で囲めば怖気づいて勝手に白状するだろうと考えていたのだ。しかし残念なことに、ユミルの正体は千年以上を生き、数多の戦場を渡り歩いてきた古精霊で、大人しそうな青年の姿など面の皮一枚でしかなかった。

「と、とにかく、一緒に来てもらう」

「いいでしょう。少々お待ちいただけますか」

 様子を見に来たウィリアムを呼び寄せ事情を告げると、ウィリアムは心配そうに眉をひそめた。

「俺も一緒に行こう」

「いいえ、僕は大丈夫ですから」

「しかし……」

 食い下がろうとするウィリアムに、ユミルは穏やかに微笑した。

「心配に及びませんよ。ただの事情聴取です。アルテミス様の夕食前には戻ります。それよりも、なんだか嫌な予感がします。ウィリアム様はアルテミス様のそばを離れないで」

 そうして、ユミルは憲兵隊の馬車に乗せられ、連行されて行った。その馬車が見えなくなるのと同時に、まるで示し合わせたかのように今度は皇室の御旗を掲げた馬車が離宮の前に到着した。門前に降り立った使者は皇室直轄の遣いを名乗り、アルテミスより男爵の一件の詳細を聞くため至急、謁見の間へと来るように要請した。

「皇帝陛下にお会いするのですか?わ、私が行ってもいいのでしょうか?」

「いや、アリスはここにいてくれ。俺が共に行くつもりだ」

「ユミルさんがいないこのタイミングで、せめて明日ではいけないのでしょうか?」

 おろおろとエプロンをたぐる不安げなアリスに、ウィリアムは難しい顔で首をふった。

「皇室からの呼び出しだ。お待たせすることはできない」

「騎士殿だけで不安ならば、私がついていこう」

「ディアウッド伯爵!」

 放っておいたら後でユミルにチクチクと嫌味を言われるだろうし、たまには人間たちの揉め事に首を突っ込むのも面白そうだ。それに、数多の妃に子を産ませた挙げ句、末の息子を離宮に軟禁する現皇帝がどんな顔をしているのかぜひ見ておきたい。モルティアも同じことを考えたのか好奇心を隠しもせず目を輝かせて、「わたくしも一緒に行きます!」とウキウキとした様子で宣言した。

 かくして、いそいで身支度を整えたアルテミスと護衛騎士ウィリアム、私とモルティアを乗せた馬車は走り出したが、端的にいえばこれは罠であった。馬車は人通りのない森道を進み、いち早く異変に気がついたウィリアムが制止の声を上げると、道の両脇から隠れていた刺客たちが一斉に躍り出てきた。ウィリアムはすぐさま剣を抜き応戦したが、怯えた馬が暴走し、馬車は大きく揺れて横転した。私はすぐさま柔らかな空気の膜でアルテミスを包み、衝撃を和らげた。

「ウィリアム!」

「アルテミス様!!」

 馬車に閉じ込められたアルテミスを助けようとウィリアムは駆け寄ろうとしたが、背後から切り掛かる刺客に阻まれた。刃と呪文が飛び交う混沌とした戦場と化した森のなか、窓から転がり落ちた小さな山ねずみが必死に逃げて行く。まったく、薄情なやつだ。

 私は飛んでくる攻撃魔法を無力化させながら、木陰に隠れた魔法士を次々と昏倒させていった。ウィリアムは鮮やかな剣閃で敵を始末しているが、今度は樹上から毒矢が飛んで来たので、空中でくるりと軌道を反転させ、射者に戻るようにしてやった。短い悲鳴が木の上から聞こえてくる。

 しかし、どこから湧いて出てくるのか刺客の数が多い。絶え間なく押し寄せる敵を斬り伏せるウィリアムにも、次第に疲れの色が滲み始めた頃、突如として空が暗くなり、大きな翼で空を舞う二頭の黒竜が現れた。大地を揺るがす咆哮とともに、一頭が敵に向けて灼熱の火炎を吐き、逃げ惑う刺客をもう一頭が鉤爪で攫い空高く放り投げる。

「ひいいっ!!??」

「ぎゃああああっ!!助けてくれ!!!」

 圧倒的な力の差になすすべなく逃げ惑う敵の姿にウィリアムは呆然とし、馬車に閉じ込められたアルテミスは外で聞こえる凄惨な阿鼻叫喚に青ざめ、身を小さくして震えていた。

 しばらくして、あたりが静まり返ると、黒竜は何かを探すように地面を嗅ぎ回り、ゆっくりと首を巡らせ、アルテミスが閉じ込められた馬車に大きな鉤爪を引っ掛けた。

「やめろ!!」

 剣を構えるウィリアムに、黒竜は首を傾げて不思議そうな顔をした。もう一頭が「気にするな」と言わんばかりに鼻から黒煙を吐き、横になった馬車を慎重に押し起こして立て直す。

「うぃ、ウィリアムっ!!」

「アルテミス様!!早くこちらへ!!」

 アルテミスを背中に庇うウィリアムに、二頭の黒竜は顔を見合わせた後、ゆっくりと身を低くした。大きな頭を傾ける黒竜とアルテミスの視線が真っ直ぐに合う。ウィリアムが固唾を飲んで剣を構えるなか、黒竜はその恐ろしい見た目とは裏腹に人懐こい赤銅色の瞳でアルテミスを見つめ返した。

「……もしかして、カーディなの?」

「ぐるうう〜」

 アルテミスに名を呼ばれた途端に嬉しそうに喉を鳴らす竜に、ウィリアムは目を見開いた。するとその足元に、小さな山ねずみが駆け寄ってきた。

「お怪我はありませんか!?アルテミス様っ!」

「えっ、モルティア!?」

 モルティアは小さな後あしでぴょこぴょこと跳ねながら、胸を張って言った。

「そうです、モルティアでございます!この竜たちはセルジュとカーディです!わたくしがいそぎ離宮に戻り呼んで参りました!」

 名前を呼ばれたセルジュとカーディが返事をするように、尻尾で地面をたたいた。

「そうだったんだ……!びっくりしたけど、助けてくれてありがとう!」

 首元に抱きつくアルテミスに、黒竜たちが嬉しそうに黒煙を吐き出す。双子の正体をすんなり受け入れたアルテミスとは反対に、ウィリアムは混乱をきわめていた。

「ど、どういうことだ!?モルティアがネズミで、セルジュたちが竜……!?俺は一体何を見ているんだ……!?」

「まさしく百聞は一見に如かずというやつだな」

 私は杖を取り出し竜たちを庭師と使用人見習いに戻すと、今度は足元でちょろちょろするモルティアを華奢な青年の姿に戻した。

「こういうわけだ、騎士殿」

 実のところ、こんな場合に備えてユミルはていのよい言い訳を考えていた。アルテミスを守るため、素性の知れない人間ではなく、契約した精霊たちを使用人としたのだというものだ。この理屈に、ウィリアムは混乱しながらもひとまず納得はしたようだ。

「ということは……アリスも本当は竜なの!?」

 アルテミスはショックと期待がないまぜになった表情を浮かべたが、私は首をふった。

「アリスは人間だ」

「そっか…」

 それから、壊れた馬車を修理し我々は離宮へと帰還した。落ち着かない様子で門前で待っていたアリスは、遠目に我々の姿を見つけたとたん駆け寄ってきた。

「お帰りなさいませ!アルテミス様!何事もありませんでしたか!?」

「うん!」

 言いつけ通り元気よく返事するアルテミスの背後で、硬い表情のウィリアムは押し黙ったままだった。なにか言いたげなウィリアムに、私は「詳しいことはユミルと話せ」と放り投げた。

 しかし、日が暮れてもユミルは帰って来なかった。アルテミスは夕食をとり寝台に横になったがうまく眠れず、様子を見に来たモルティアに寝物語をするように頼んだ。モルティアが伝説の騎士の英雄譚を語るのを、アルテミスはじっと聞いていたが、やがてぽつりと問いかけた。

「ねぇ、モルティア。ユミルも人間じゃないの?ユミルも精霊なの?」

 モルティアは困ったように目を伏せた。

「あぁ、アルテミス様。わたくしは真実を糧とするねずみでございます。虚構はわたしどもの敵です。どうかわたくしに嘘をつかせないで」

「……わかった」

「気忙しい一日でございました。アルテミス様もゆっくりとお休みなさいませ。今宵は満月にございます、月の精霊がアルテミス様の眠りをお守りくださるでしょう」

「ぼく……小さい頃、月の精霊に会ったことがある気がするんだ。うさぎの姿をしていて、ぼくにもう大丈夫だよって、こわいことから全部守ってあげるって約束してくれたんだ……」

 アルテミスの声は次第に小さくなり、やがて規則正しい寝息へと変わった。モルティアはそっと毛布を掛け直し、灯りを落とした。


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