離宮の秘め事
長く厳しい冬が終わり、冷たい土の下から若草が芽吹く春がやってきて、アルテミスは五歳になった。今年も離宮の面々は盛大に祝いたがり、ローゼマリーは天井まで届くほど巨大なケーキを作り、セルジュとカーディは生まれ育った山から大きな紫水晶の塊を採ってきた。アリスは青薔薇の紋章を刺繍したハンカチを、ユミルは七虹鳥の羽で装飾された立派な羽ペンを贈った。
「エルお姉さまからのプレゼントも開けていい?」
早朝に届けられた大きな包みを抱えながら、アルテミスが聞いた。
「いいですよ。あとで一緒にお礼の手紙を書きましょう」
「うん!うわぁ!渡り鳥のずかんだ!!」
冬の間、カミラたちは寒さを避け、熱砂の国サハールで過ごすのだという。エルデガルダとアルテミスはたえず手紙のやりとりをしていた。
『アルテミス、元気?こっちは砂漠に大槌亀がでて大騒ぎだったわ。シャーペイが絵を描いてくれたから一緒に見て!誕生日おめでとう。夏になったら会いましょう』
大槌亀とは硬い甲羅と尻尾の先に大きな瘤をもつ、土の中に棲む土竜で、動きは遅いが砂に紛れて獲物を待ち伏せし、砂漠を旅する人間を一飲みしてしまう危険な魔獣だ。エルデガルダからの贈り物の図鑑には、熱砂の国の戦士たちが大槌亀と戦う様子を描いた紙が挟まっていた。
「すごい……!こんなに大きな生き物がいるんだ……!」
目を輝かせるアルテミスに、庭で剪定した花束を持ってきたカーディが言った。
「大槌亀じゃん、俺見たことあるよ。ひっくり返して遊ぶと楽しいんだよな」
「こんなに大きいのに、どうやってひっくり返すの?」
「あっ、やべ、えっとぉ……」
庭師のカーディと使用人見習いのセルジュ。この二人の正体が活火山に棲む二頭の灰竜であることを、アルテミスは知らない。ユミルが呆れた顔で見守るなか、カーディは視線をうろうろとさまよわせ、誤魔化すように手を叩いた。
「そういえば、下にカリストさまの使いが来てたよ。公務がいつもより早く終わったから、もうすぐ来るってさ」
「本当に!?やったぁ!」
元気いっぱいの子犬のように勢いよく部屋を飛び出していくアルテミスを見送り、カーディはほっと安堵の息をついた。
##
公務で腹を空かせたカリスト皇子のために、いつもより少し早めに始まった夕食の時間。ローゼマリーが今日のために丹精込めて仕込んだ山鳥のローストは、最高の出来栄えであった。ぱりっとした皮目に、やわらかい肉は噛むたびに肉汁が溢れ出す。甘く香ばしい脂の匂いに、カリストの背後に静かに控える近衛兵が、ごくりと喉を鳴らした。アルテミスの好物ということもあって、春の木の実を食べて丸々と太った山鳥をセルジュたちが捕えて来たのだ。
「アルテミス、兄様からはお前に贈り物が二つあるぞ」
もも肉をナイフで切り分けながら、カリストが言う。合図を受け、侍従がアルテミスに小箱を恭しく差し出してみせる。箱の中に収められていたのは、銀色に輝く首飾りであった。
「これは魔除けの宝具だ。純銀でできている」
「じゅんぎん、ですか?」
「あぁ。純粋な銀製の品は、悪しき精霊を打ち払う力を持する。アルテミスも、これから外へ出歩くことが増えるだろう。ひとつくらい持っていて悪いことはない」
「ありがとうございます、カリストお兄さま」
精巧な銀細工の中心には、紫色のアメジストがはめ込まれている。アルテミスは首飾りを覗き込んだが、触れてよいものか分からず、少しだけためらった。カリストが促すように言った。
「まだ少し重いかもしれないが、つけてみたらどうだ?ユミル、手伝ってやってくれ」
「……はい、かしこまりました」
名指しされ、ユミルの口の端がぴくりと動く。それもそのはず、闇の精霊に限らず、純粋な銀製のものに精霊が触れることはできない。しかしユミルは内心の動揺を悟らせることなく、にこやかにうなずいた。
「アルテミス様、お首元を失礼いたしますね」
純銀に触れれば、皮膚は焼けるような痛みを訴える。箱の中の首飾りの鎖をそっと持ち上げた瞬間、ユミルの指先に焼けた鉄を押し当てられたかのような熱が走った。そこらの小精霊であれば悲鳴をあげて放り出すほどの痛みだが、ユミルは眉ひとつ動かさず、そのままアルテミスの首元へと滑らせるように回し、留め具を確かめて静かに手を離した。
「お似合いですよ。素晴らしい贈り物を頂きましたね」
「うん!ありがとう、カリストお兄さま!!」
「いいんだ。アルテミスが生まれてすぐの頃は、そばにいてやれなかったからな……」
にこにこと嬉しそうに頷き合うアルテミスとユミルの姿を、カリストは目を細めて見つめていた。それからカリストは、ぎっしりと貴族の名が書き込まれた巻紙を一枚取り出し、二人に見せた。
「もうひとつの贈り物はこれだ」
「えっと、この方々は、どなたでしょうか?」
「アルテミスの教師候補だ」
困惑するユミルに、カリストはさらりと言った。
「ぼくの、せんせいですか?」
首をかしげるアルテミスに、カリストは優しくうなずく。
「帝国の歴史に周辺諸国の地理、語学に経済学、ダンスにマナー、教養……それらを教える実績と家柄のある貴族たちだ。明日の朝から、すぐに離宮に来るよう手配してある」
アルテミスは、私――偉大なる精霊王バーティミアスの仮の姿、バーティミアス・ディアウッド侯爵より直々に魔法の手ほどきを受けている。しかしそれ以外の時間は、子供らしくカーディたちと遊んだり、読書をしたり、ウィリアムと剣の稽古をしたりと、比較的のびのびと過ごしてきた。
「明日からですか……?経済学など、アルテミス様にはまだ早いのでは……」
案の定、眉をひそめるユミルに、カリストはなぜか自信満々で言い切った。
「俺が専属の教師をつけられたのも五歳のときだった。アルテミスも、十分に理解できるだろう」
「そうでしょうか……」
結局、断ることはできず、明日からアルテミスは起きている時間のほとんどを授業にあてられることになった。カリストが帰城し、離宮が静まり返った頃、ユミルは厨房で苦々しい顔をしてローゼマリーに愚痴をこぼしていた。
「まったく、カリスト様には困ったものです。なんの相談もなく、教師をつけるなんて……」
「そうさねぇ……アルテミス様もまだまだ小さい子供だってのに、皇族は大変なんだね」
ユミルの焼け爛れた指先に薬草の脂を塗ってやりながら、ローゼマリーも深いため息をついた。
「それにあの純銀の宝具も困ったもんだよ。離宮の中にあるだけで、空気がぴりぴりする感じがするね」
「俺たちが山の中に捨てに行こうか?」
セルジュが言うと、ユミルは小さく首を振った。
「捨てられません。あれは地方の小領地なら一年間遊んで暮らせるほど高価なものなんです。捨てた後に、やはり返せなどと言われたら大変なことになりますよ。それに……アルテミス様にとって、将来的に不要とも限りませんし」
「なぁ、俺考えたんだけど。アリスには俺たちの正体を話したらいいんじゃね?あの宝具もアリスに保管してもらえばいいじゃん」
侍女のアリスは心優しく、アルテミスを第一に考えている人物だ。付き合いも長く、裏切ることもないだろう。理屈だけで言えば、最も安全な選択肢のひとつだった。しかし、ユミルの表情は浮かなかった。
「難しいですね……。アリスを疑うわけではありませんが、秘密を告げるということは、秘密を守る責任をも相手に負わせることになります」
ユミルから見れば、アリスもまだ幼い少女のようなものだ。人というのは、隠された秘密を暴くためなら、酷く残酷な手段を用いることさえ厭わない。その矛先が向けられる可能性を、アリスに背負わせたくなかった。
「……考えても仕方ありませんね。明日の朝から貴族たちが離宮にやってきます。セルジュとカーディは、くれぐれも失礼のないように」
「はぁい」
「わかったぁ」
夜の見回りに行く双子を見送り、ユミルも私室に戻ろうと立ち上がる。廊下の窓から夜空を見上げると、銀色の満月が優しく輝いていた。幼いアルテミスと出会った日も、まさにこのような夜であった。
「……アナスタシア。約束通り、あなたの大事な皇子は健やかに育っています。これでいいんですよね?」
問いかけても、月からの返事はない。ユミルは小さく息を吐いて肩をすくめると、そのまま踵を返して歩き出した。
厨房の扉の影に、そのすべてを聞いていたウィリアムがいたことを、知らずに。




