第2話 策略と交渉
翌朝、麗奈が出社すると、企画部の空気はどこかざわついていた。
コピー機の前で立ち話をしていた後輩たちが、麗奈と目が合うと慌てて散っていく。
(嫌な気配……)
デスクにバッグを置いた瞬間、部長の黒川が顔を出した。
「桜井、ちょっと来てもらえるかな。例のプロジェクトの件でね。」
部長室に入ると、そこには田島も座っていた。腕を組み、妙に自信に満ちた表情をしている。
「昨日のクライアントからだが……企画案の一部に修正要望が来てね。しかもかなり大きい。」
黒川が眉間に皺を寄せる。麗奈は落ち着いた声で尋ねた。
「どの部分でしょうか?」
田島が資料を指で軽く叩きながら言う。
「桜井さんが提案したメインビジュアルのコンセプトだよ。“洗練と情熱”という方向性が、クライアントのブランドイメージとズレているってさ。」
(……そんなはずはない)
前日の会議でクライアントは明確に好感触を示していた。
修正要望というより、「誰かの意図」が混じっているように思えた。
「もう一つ問題があってね」
黒川が深刻な声で続ける。
「社内の別チームが、クライアントに“別案”を直接提案したらしい。正式な手順を踏まずに、だ。」
麗奈は眉をひそめた。
「……まさか、田島さんのチームが?」
田島の口元がわずかに上がった。
「ビジネスはスピードが勝負だよ、桜井さん。クライアントだって、良い案があれば乗り換えたくなるだろう?」
麗奈は表情ひとつ変えなかったが、胸の奥が熱くなるのを感じた。
(つまり——私を押しのけて主導権を奪うつもりね)
黒川はため息をつき、二人の間に重い空気が落ちる。
「桜井、今日の午後、クライアントとの再調整ミーティングがある。君が出るんだ。何としてでも企画を立て直してくれ。」
「承知しました。」
麗奈が部屋を出ると、田島が後ろから声をかけてきた。
「綺麗で優秀だからって、ずっとトップでいられると思わないほうがいいよ。」
麗奈は振り返り、淡い微笑みを浮かべた。
「ご忠告ありがとう。でも、私がトップにこだわったことなんて一度もないわ。
ただ——仕事には、誠実でいたいの。」
その瞬間、田島は一瞬だけ表情を強張らせた。
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午後、クライアントオフィスの会議室。
担当者の表情はどこかよそよそしく、空気が固い。
麗奈は資料を広げ、静かに語り始めた。
「御社のブランドの“本当の価値”が、既存ユーザーだけでなく、新規層へどう響くか。
その“橋渡し”が、今回のコンセプトなのです。」
彼女は論理で攻めるのではなく、ブランドが持つ歴史、顧客が抱く感情、未来の市場を語った。
美しい言葉と明晰な構成が、会議室の空気を少しずつ変えていく。
担当者の一人——若手の広報責任者が口を開いた。
「……やはり、桜井さんの方向性で進めたほうが良い気がします。」
「私も賛成です。」
「別案よりも、こちらのほうがブランドらしさがある。」
少しずつ賛同が増え、田島の別案は自然と霞んでいった。
麗奈は拳を握る代わりに、ゆっくりと息を吐いた。
会議の帰り道、ネオンがまた街を彩り始める。
麗奈は胸に小さな疲労と、確かな手応えを感じながら歩いていた。
しかし、その夜メールを開いた彼女は目を見開く。
「追加予算の承認が降りません。上層部から“プロジェクトの優先度を再検討すべき”との指示が——」
それは、誰かが水面下で動いているという明確な証拠だった。
(やっぱり……これは単なる修正要望じゃない)
プロジェクトは、目に見えない“攻撃”を受け始めていた。
麗奈は静かにパソコンを閉じ、深く息を吸った。
次の一手を考えなければならない。
この戦いはまだ始まったばかり——。




