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灰の祭壇と灯火の夜

アシルとレナを乗せた輸送機は、連合共和国の境界を越えかつての中華人民共和国の内陸部――現『龍の断片』へと向かっていた。


機内は振動とエンジンの低いうなり声に満たされている。窓の外には、酸性雨に濡れた雲が灰色に広がり、遠くに不気味な光を放つ工場群のシルエットが見える。


彼女の左手の義手は膝の上で静かに光沢を放ち、右脚の義足はブーツに隠されているが、微かな機械音が時折響く。


レナは沈黙を守り、ただ遠くを見つめていた。彼女の心は、20年前の記憶へと遡っていた。


ーー2061年、ネオ・キョウト


霧が、ネオ・キョウトの廃墟を重く覆っていた。旧セクター3は、20年前のシャドウ・ウィルス事件で壊滅し、今は灰色の瓦礫と錆びたアンドロイドの残骸が点在する静寂の墓場だった。


レナは事件以来、反戦派の象徴とされ、また強硬派の標的として常に命を狙われる二重生活を送っていた。


この日、彼女は毎年恒例の慰霊祭に個人として訪れていた。慰霊碑には、事件で亡魂となった人間とアンドロイドの名前が無数に刻まれている。レナの手には白い花束があった。


慰霊碑の前で、レナは花束を置く。彼女の両親の名はない。事件の混乱で、身元不明の遺体として処理されたからだ。彼女の視線は、碑の隅に記された「知られざる守護者」という一文に留まる。彼女を救ったあの旧式アンドロイドを指すのかもしれないが、その機体の名は誰も知らない。


「また、来たわ」と、彼女は独り言のように呟く。

「毎年、こうやって来るけど…何も変わらない。あなたたちが守った世界は、こんなものよ」


背後で足音がした。振り返ると、20代半ばの男が立っていた。強硬派の活動家らしい鋭い目つき。手に持った小型デバイスが赤い光を点滅させている。レナの義手のセンサーが、それをEMP装置だと即座に識別した。


()()()()()()()()()()()め!」男の声は憎悪に満ちている。


レナはゆっくりと向き直る。表情は穏やかだが、義手の指先はスタンガンの電極を展開する準備を始める。


男がEMP装置を起動しようとした瞬間、レナが動いた。義足が地面を蹴り、驚異的な速度で男の懐に滑り込む。義手から放たれた青白い電撃が男の胸に直撃。彼は一声も上げられず、地面に崩れ落ちる。


レナは慰霊碑に戻り、膝をつく。霧が髪を濡らし、義手の表面を水滴が滑り落ちる。


「私は…何者なの?」声はほとんど聞こえないほど小さい。

「人間の心と、機械の身体。どちらも私なのに、どちらも私じゃない。あなたたちは、こんな私を…守る価値があるって、思ったの?」


記憶がフラッシュバックする。11歳の少女だったあの夜。血の海に沈む自分の腕と脚。彼女を守り、動かなくなるまで戦ったアンドロイド。目覚めたときの鏡の中の「新しい」自分。


義手が碑を握る力で軋む。頬を涙か霧の水滴か判別できないものが伝う。

「もし、あの時、死んでいたら。こんな、半端な存在にならなかったのに」


だが、次の瞬間、彼女は立ち上がる。瞳に冷徹な意志の光が宿る。

「でも、生きてしまった。だから、やる事はやらないとね」


その夜、レナはネオ・キョウトの地下深く、融和派の隠れ家に足を踏み入れた。廃棄された地下鉄のトンネルを改装したこの場所は、彼女にとって数少ない安息の場だった。


部屋の奥から、一人の老人が姿を現した。雪のように真っ白になった髪、穏やかだが、その奥に深い苦悩を隠した瞳。反戦派の指導者であり、事件で両親を失ったレナを父親のように見守ってきた男アーロン・ケインだった。


「…戻ったか。慰霊碑での一件、報告は受けた。…無茶をするなと、いつも言っているだろう」

アーロンの声には、叱責よりも深い心配の色が滲んでいた。


「大丈夫です、アーロン先生。いつものことですから」

レナは、彼にだけ見せる、少しだけ子供のような笑みを浮かべた。


「君はいつもそう言う」

アーロンは、深いため息をついた。

「君は我々の希望の象徴だ。だが、その前に、君は…」

彼は、何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。


「分かっています。…ミラがメンテナンスを待っていますので。」

レナは、そう言って軽く頭を下げると部屋の奥へと進んだ。


部屋には、10人ほどの反戦派のメンバーが集まっていた。人間と、少数の亡命アンドロイド。中心に立つのは、ミラという40代の女性。元連合の技術者で、アンドロイドの修理を専門とする融和派の古株だ。隣には、旧式のサービスアンドロイド「ハン」が控えている。


「レナ、よく来てくれた」と、ミラが穏やかに言う。

「慰霊碑での一件、聞いたよ。無事でよかった」


レナは軽く頷く。「…いつものことよ」


ミラは微笑むが、瞳には心配の色が滲む。

「いつものこと、か。少しは頼ってくれてもいいのに」


レナは答えず、義手を差し出す。ミラは慣れた手つきで調整を始めるが、動きが一瞬止まる。義手の内部は通常の機械と異なり、金属とポリマーの中に有機物のような繊維が絡みついている。ミラの指先がその繊維に触れると、微かに脈動するような反応を示す。


「あなたの腕、相変わらず普通じゃないね」と、ミラが呟く。

「この構造…まるであなたの身体に合わせて、一緒に成長してるみたい」


レナの瞳が一瞬揺らぐ。「…そうね。私も時々、まるで私の血が流れているみたいに感じるわ」


義足の調整でも、同様の繊維が現れる。スキャナーは通常の機械ではありえない、微細な自己修復パターンを検出する。


「こんなものは見たことないよ」と、ミラが言う。

「設計者がどんな天才だったのか」


レナは一瞬、榊夫妻の名前を思い浮かべるが、すぐに表情を整える。

「おかげで助かってるわ」


ハンが近づき、機械的な声で言う。

「危険度分析:今後、単独行動のリスクを低減するため、護衛を同行させる」


レナは苦笑する。「あなたまで心配するの? 私は大丈夫よ」


「物理的損傷の修復は可能。だが、心理的負荷の蓄積は修復不能だ。レナの存続は、融和派にとって不可欠だ」


その言葉に、レナの表情が一瞬揺らぐ。

「…ありがとう、ハン。まだ壊れるわけにはいかないわね」


作業が一段落し、ミラが手作りのクッキーを取り出す。

「こんな時でも、甘いものは必要よ」


レナも一つ受け取り、口に運ぶ。甘さは、20年間感じたことのない懐かしい温かさを呼び起こす。


「これ…あなたが焼いたの?」


「昔、母がよく作ってくれたレシピなんだ。戦争で家族を失ったけど、こういう小さなことは忘れたくないからね」


部屋の空気が、ほんの一瞬温かくなる。融和派のメンバーが互いの小さな話を始める。レナは、その光景を静かに見つめる。


ミラが、レナの肩に手を置く。

「あなたも仲間だ。…忘れないで」


レナは、ミラの手を軽く握り返す。

「…ありがとう、ミラ。でも、私にはまだ、答えが見つからないの」


「答えは、急いで見つけるものじゃないよ。生きて、戦って、その先にきっとある。私たちは、君がその答えを見つけるまで、ずっとそばにいるから」


ーー2081年 「龍の断片」上空


輸送機の振動が、レナを現実に引き戻した。窓の外では、酸性雨の雲が切れ、鈍い光を放つ満月が姿を現していた。


アシルが静かに言う。

「到着まであと10分だ、準備はできているか?」


レナは義手を膝の上で握り締める。セラミックの表面が、微かに温かい。それは機械の冷たさではなく、彼女の身体と共鳴するような奇妙な脈動だった。


「準備? そんなもの、40年前からできてるわ」と、彼女は軽く笑うが、声には僅かな疲れが滲む。


「アシル」と、彼女は静かに言う。

「この先、何があっても、私たちは答えを見つける。榊夫妻の真実も、私が何者なのかも。…この身体が、どんな秘密を隠していても」


アシルは、彼女の瞳を見つめる。

「…目的は一致している。答えは、『龍の断片』の中にあるのだろう?」


輸送機が着陸態勢に入り、機体が大きく揺れる。レナは義手を握り、義足を軽く踏みしめる。脈動するような感覚が、彼女の決意を後押しする。


輸送機のハッチが開き、酸性雨の匂いと鉄錆の風が吹き込む。レナとアシルは、混沌の地『龍の断片』へと足を踏み入れた。


彼女の義足が地面を踏む音が、静かに、しかし力強く響いた。

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