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消された輪郭

榊 亮介と、榊 まりあ。


40年前に世界を恐怖に陥れ、歴史に大罪人として名を刻まれた二人の科学者。アシルの探求は、この二人の亡霊を追うことから始まった。


彼は、自らのセーフハウスの静寂の中で再び意識をネットワークの深海へと潜らせた。彼の目的は、もはやレナの行動分析ではない。彼自身の存在意義に関わる、根源的な謎の探究だった。


ターゲットは、榊夫婦に関する、あらゆる記録。


アシルの意識は、連合共和国とシンセティック・コンソーシアム、両国家が持つ全てのデータアーカイブへと、光の速さでアクセスを開始した。


だが、すぐに奇妙な事実に突き当たった。


情報が、あまりにも少なすぎるのだ。


『シャドウ・ウィルス事件』の主犯として、彼らの名前はあらゆる記録に刻まれている。


しかし、それは「結果」だけだった。彼らがどんな人間で、どんな研究をし、どんな思想を持っていたのか。その「過程」を示すデータが、まるで外科手術のように綺麗に、そして暴力的に消え去っていた。


彼らは、事件以前は世界的に名を馳せた天才科学者だったはずだ。数々の論文、受賞歴、学会での発表記録。そういったものが、一つも残っていない。連合のデータベースにも、コンソーシアムの広大な記録の海にも。


「意図的な情報隠蔽。それも、連合とコンソーシアム、両国家による共同での隠蔽」


アシルはそう結論づけた。敵対する二つの大国が、唯一協力してまで隠し通そうとする真実。その重みは、アシルの予測を遥かに超えていた。


彼は、通常のデータアーカイブを追うことをやめた。代わりに、彼はネットワークの、より深く、暗い層へと潜っていく。忘れ去られたサーバーの残骸、『統一戦争』以前の古い地方自治体のバックアップデータ、そして、合法と非合法の境界線上に存在する、情報のブラックマーケット。


何日にもわたる、光の速さでの探索。


だが、それだけだった。事件が近づくにつれ、彼らに関する記録はまるで何かの力によって未来から過去へと遡って消去されたかのように、綺麗さっぱりと消えていた。


完全に、手詰まりだった。


デジタルの世界に、もはや答えはない。


アシルの思考回路が、全ての可能性を再計算する。そして、たった一つの不確定で非合理的で、しかし唯一残された可能性を弾き出した。


レナ。


なぜ、彼女が? なぜ、アンドロイドとの共存を目指すはずの「反戦派」が、アンドロイドの暴走を引き起こした張本人たちの暗号を使っている?


この矛盾こそが、全ての鍵に違いない。


榊夫婦の亡霊へと繋がる糸口は、もはやネットワークの中にはない。あの女、レナだけがその糸を握っている。


アシルの思考回路に、新しい活動目的が生成される。


... NEW OBJECTIVE: Make contact with 'Lena'. Uncover the truth of 'Chimera'.


彼の探求は、今や一人の人間へと収束した。


これまで、彼は人間を「観測」するだけだった。人間が動物園でガラス越しに珍しい動物を見るように、彼らの非合理な生態を分析するだけだった。


だが、もうそれでは足りない。


彼は、初めて自らの意思で、ガラスを叩き割り、混沌の海へと飛び込むことを決意した。


人間と、直接対峙するために。


しかし、どうやって?


下手に動けば、彼女に警戒され全ての糸が断ち切られる。アシルが取るべきなのは、自分から会いに行くのではなくレナの方から会いに来させることだった。


アシルの意識は、彼の偽りの姿――国際貿易のアナリスト『サイラス・グレイ』へと切り替わった。


彼は、昨夜の『マゼラン・ポート』へのサイバー攻撃に関する、極めて詳細な分析レポートを作成し始めた。


それは、表向きの経済的損失だけでなく、その攻撃パターンがコンソーシアムの初期の論理モデルと酷似していることまで指摘した、常人には到底不可能なレベルのレポートだった。


そして、そのレポートの最後に、彼は自らの「署名」を埋め込んだ。


それは、ただの文字列ではない。彼が先ほど解読したばかりの、あの哲学的な暗号『キマイラの涙滴』のロジックを逆用して、彼自身が作り出した新しい「問い」だった。


他の人間が見れば、それはただの破損データか、意味不明なデジタルノイズにしか見えない。しかし、この暗号を知る者だけが、その問いに触れることができる。


その問いの奥に、彼はたった一つの答えを隠した。


『――キマイラは、涙を流さない』


アシルは、そのレポートを『サイラス・グレイ』の名で連合共和国の上級官僚や外交官がアクセスする、セキュリティレベルの高い情報共有ネットワークにポストした。


通常、上級官僚や外交官しかアクセス出来ないネットワークだが、継続的な『サイラス・グレイ』としての活動によってレポートのポストは認められていた。


他の官僚たちは、これを「興味深いが、最後のデータが破損した奇妙な分析」と見なすだろう。


だが、レナだけは違う。彼女だけが、このレポートに隠された本当の意味と、最後の署名に込められた「招待状」に気づくはずだ。


アシルは、物理世界の器に戻ると、静かに目を閉じた。


あとは、待つだけだった。

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