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光と影

「奇跡」から数週間。レナを取り巻く世界は、完全に様変わりしていた。


彼女が街を歩けば、人々は足を止め、その姿に畏敬と希望の念を向ける。もはや彼女は、単なる交渉官ではない。連合共和国の、新しい「聖女」だった。


「いつもご苦労様」

清掃作業をしていた旧式の労働アンドロイドに、レナは穏やかに声をかけた。


アンドロイドはプログラムにない反応に戸惑い、光学センサーを瞬かせながら動きを止める。

周囲の人々は、その光景に息を呑んだ。アンドロイドを「モノ」として扱うのが当たり前のこの世界で、彼女の行動は小さな革命だった。


「あの……レナ様!」

一人の青年が、意を決したように、しかし感極まった様子で駆け寄ってくる。


「ありがとう。でも、私に様をつける必要はないわ」

レナは、青年の前に立ち止まり、穏やかに微笑んだ。


青年は、その微笑みに勇気づけられたように、堰を切ったように話し始めた。

「俺、家の工場で働いてるんです……そこには、俺が子供の頃からずっといる、古い作業用アンドロイドがいるんです。『テツ』っていうんですけど…」


彼は、周囲の視線を気にしてか、少しだけ声を潜めた。

「親父はただの機械だって言うし、周りの奴らもそう見てるから……俺、ずっと言えなかったんです。でも、俺にとって、テツは……友達、なんです。あいつは喋らないけど、俺が怪我した時はいつも一番に気づいてくれたし、落ち込んでる時は、ただ黙ってそばにいてくれた……」


青年の瞳に、涙が浮かぶ。

「あなたが、さっき清掃アンドロイドに声をかけているのを見て……俺、間違ってなかったんだって、初めて思えました……!ありがとうございます……!」


レナは、青年の言葉を、ただ静かに聞いていた。そして、彼の震える手を、両手で優しく包み込んだ。

「あなたの気持ちは、少しも間違っていないわ。心が通じるのに、身体が肉か鉄かなんて、関係ないもの」


そのやり取りを見ていた杖をついた老夫婦が、ゆっくりとレナに近づいてきた。老婦人は、皺の刻まれた手でレナの義手をそっと撫でた。


「……40年前を、思い出しますな」

老人が、懐かしむように言った。


「……あの事件が起こる前は、皆があなたのような心を持っていた。アンドロイドは我々の『パートナー』で、共に新しい未来を歩いていくのだと、誰もが信じていたのです」


「ええ、そうですね」

老婦人が頷く。


「あの事件が、全てを壊してしまいました。人間とアンドロイドの間に、決して越えられない壁を作ってしまった…もう、あの頃には戻れないのだと、ずっと思っておりました」


老夫婦の目には、失われた時代への悲しみが浮かんでいた。


「だが、あなた様のおげで、ワシらも、もう一度希望を持てそうです。ありがとうございます、レナ様」


レナは老夫婦の手と自分の手を重ね、ゆっくり、静かにと語りかける。


「……私は、あの事件で両親を失いました。一時はアンドロイドを憎んだ事もあります。でも、あの時私を助けてくれたアンドロイドがくれた希望が、今も私を生かしています。あなた達のような方が、少しでも希望を持ってくれれば、私が生かされた意味もあるのだと、そう思います」


老夫婦は目に涙を浮かべ、レナの手をきつく握り返し、深々と頭を下げながら去っていく。


その後ろから、幼い子供を抱いた母親が、恐る恐る、祈るように彼女の前に進み出る。


「この子にも、あなた様のような強い心を……」


レナは、その一人一人と、完璧な「聖女」として向き合った。


慈愛に満ちた微笑み、穏やかで、しかし芯の通った言葉、分け隔てのない優しさ。


反戦派のメンバーたちは、その一つ一つの瞬間を巧みに切り取り、独立系のニュースサイトや市民ネットワークを通じて拡散させていた。

「#聖女の言葉」「#今日のレナ様」といったハッシュタグと共に、彼女の行動は瞬く間に連合全土へと広がっていく。


センセーショナルな事件で生まれた熱狂は、彼女の日々の振る舞いによって、揺るぎない実態を伴った支持へと変わっていった。


人々は、彼女の言葉に感化され、少しずつ、凝り固まった憎しみを溶かし始めていた。



しかし、その光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるのだった。

旧工業地帯。錆びついた工場群が吐き出す煙で、空は常に灰色に淀んでいた。

ここの労働者たちにとって、レナ・デュランは「聖女」などではなかった。日々の糧を奪う、最大の敵だった。


「聖女様だと?俺たちの仕事を奪った鉄クズどもと仲良くしろってのか?」

「アンドロイドとの融和だぁ?そんな綺麗事で、腹は膨れねえんだよ!」

「全くだ、うちの娘だってまだ小さいのによ。ろくに新しいオモチャも買ってやれねえ」


場末の酒場では、男たちが安酒を煽りながら、日々の鬱憤を吐き出していた。

ストライキを起こしても、工場は作業用アンドロイドによって稼働を続ける。彼らの声は、誰にも届かない。

レナの「聖女」としての人気が高まるほど、彼らの怒りと疎外感もまた、比例して増大していった。


その日、労働者たちは平和的なデモ行進を行っていた。アンドロイド労働への規制と、人間の雇用確保を訴える、切実な叫び。


その群衆の中、一人の少女も父親の手に引かれデモに参加していた。


周りで大声をあげる大人達の姿に驚きながら、もう片方の手で古びた小型のトイ・アンドロイドを胸にしっかり抱きしめていた。

それは彼女が物心ついた時からそばにあった、彼女の唯一の「遊び相手」で「友達」だった。


その、ささいな出来事は、本当に偶然だった。


少女が人混みで足をもつれさせ、その手からトイ・アンドロイドが滑り落ち、道端に転がった。彼女は思わず、父親の手を振り払い、トイ・アンドロイドを追いかけて走り出してしまった。


「おい、ちょっと待て!」

父親の静止する声も彼女には届かない。


彼女が追いついた先で見たのは、無残に壊れた「友達」の残骸。少女は、その場に泣き崩れた。


その時、デモを監視していた最新鋭の治安維持アンドロイドが、少女の泣き声を「救難信号」と判断し、助けようと彼女に近づいた。その大きく、無機質な金属の手が、少女に向かって伸ばされる。


しかし、小さい彼女には、その手が自分をどこかに連れて行こうとしているように映った。


「たすけて!」

悲鳴に近い大きな声で少女が叫ぶ。


彼女を探していた父親が、その声の方に振り向くと、娘に手を伸ばすアンドロイドの姿が目に入る。

アンドロイドへの不信感で満ちていた父親の目には、アンドロイドが娘を襲おうとしているように見えたのだった。


「娘になにしやがる!鉄屑が!!」

父親の叫びに呼応するかのように、別の誰かが叫んだ。


「アンドロイドが子供を襲っているぞ!!」


その一言が、引き金となり、鬱積していた怒り、不満、そして恐怖が、爆発する。

パニックは瞬く間に連鎖し、平和的なデモは、制御不能な暴動へと姿を変えた。

労働者たちは、まず目の前の治安維持アンドロイドに襲いかかり、やがてその怒りの矛先は、街中の全てのアンドロイドへと向けられていった。


「人間を舐めるな!」

「鉄クズは出ていけ!」


彼らの叫びは、レナが生み出した美しい融和の物語の裏側で、無視できない不協和音となって、連合社会に深く響き渡っていた。

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