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贖罪の鎖

意識が、また、音もなく繋がった。 アジト襲撃の喧騒が嘘のような、三つの魂だけが存在する静寂の仮想空間。


『――今の所、計画通りだね』

ユウトの思考が、いつもと変わらない、無邪気な光を放つ。


『計画通りですって?予定より大分早いわよ』

レナの思考が、苛立ちを隠せずに返す。アジト襲撃の傷跡は、まだ生々しい。


『予測の範囲内ではあるな。最速値ではあるが』

アシルの冷静な分析が、二人の間に割り込む。


『ギリギリ予測の範囲内だからセーフでしょ!』

ユウトは悪びれない。


『全く、頼むわよ、司令塔』

レナは思考の中でため息をついた。


『まあ、でもこれでシナリオAで確定だよ』


『……残念ながらそうみたいね。それで、次の手は?』


『それよりレナ』

ユウトの思考が、初めて真剣な色を帯びた。


『ここから先は、もう本当に引き返せないよ?』


『覚悟の上よ』 レナの返答に、迷いはなかった。


『……オッケー。じゃ、計画第二段階だね』



古い地下鉄網の、さらに深層。予備の拠点として用意されていたその場所は、消毒液の匂いと、負傷した仲間たちのうめき声に満ちていた。

前の拠点と比べ、設備は明らかに劣悪だった。むき出しの配管からは絶えず水が滴り落ち、電力も不安定で、照明が時折、心もとなく瞬く。


シェルの半壊した亡命アンドロイドが、ぎこちない動きで負傷者の手当てを手伝っている。

その関節は軋み、時折火花を散らしていた。


部屋の一角で、アシルが上半身の装甲を外したまま、静かに座っていた。

グレネードの爆風で抉られた彼の胴体と脚部では、銀色のユーティリティ・スウォームが、まるで生き物のように蠢き、損傷した内部構造をナノレベルで再構築している。

その姿を、カイが心配そうに見守っていた。


「……時間はかかるが、自己修復するので問題ない」

アシルは、カイの視線に気づき、事実だけを告げた。


その時、部屋の入り口にレナが姿を現した。

彼女の顔には疲労の色が濃く浮かんでいたが、その瞳は、燃えるような決意の光を宿していた。


「被害は?」

彼女の静かな問いに、近くにいた反戦派のメンバーが、重い口を開いた。


「死者8名、重軽傷者15名。亡命アンドロイドは……3体が完全にロストしました」


レナは、その報告を黙って聞いた。そして、絞り出すように尋ねた。

「……ハンは?」


メンバーは、静かに首を振った。

「残念ながら。EMPで機能停止した後、集中砲火を……」


「そう……」

レナは、それだけ言うと、唇を固く結んだ。40年間、反戦派の活動を黙々と支え続けてきた、旧式のサービスアンドロイド。

その無機質な顔が、彼女の脳裏に浮かぶ。悲しみを押し殺すように、彼女はゆっくりとアーロンの私室が割り当てられた区画へと歩を進めた。


アジトの最奥にある、アーロンの私室。襲撃の混乱が嘘のように、そこだけは静寂が保たれていた。だが、その空気は、鉛のように重い。


「……先生。お話があります」


レナの声は、凪いだ海のように穏やかだった。だが、アーロンは、その穏やかさの奥にある、嵐のような気配を感じ取っていた。


「どうした、レナ。襲撃の件なら、私が責任を取る。君たちを危険に晒してしまった……」


「いいえ」

レナは、彼の言葉を静かに遮った。


「もっと、個人的な話です。……40年前の」


アーロンの顔から、血の気が引いた。


「私は、『龍の断片』の奥深くで、榊夫妻が遺した最後のデータアーカイブを発見しました」

レナは、淡々と、しかし一言一句、刃のように鋭い言葉を紡いでいく。

「そこに、全てが記録されていました。私のこの身体の秘密。そして……私の脳に隠されていた、あなたの『告白』も」


アーロンは、崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。

彼の顔は、長年の心労で刻まれた皺が、さらに深く見える。


「ついに……この日が来たか……」

アーロンは弱々しくそう呟いた。


「なぜです」

レナの問いは、静かだった。

「なぜ、私をあなたの罪を隠すための道具にしたのですか」


「……恐ろしかったのだ」

アーロンは、絞り出すように言った。

その声は、もはや反戦派の指導者のものではなく、ただの、罪に怯える老人の声だった。


「榊君たちの天才性が、彼らが見ていた未来が、私には恐ろしかった…!彼らの『キマイラ』は、我々人間の手に負えるものではなかった。私は、友を、世界を救いたかった。ただ、それだけだったのだ…!」


「恐ろしいから、あの男に頼ったのですか」

レナの冷たい声が、アーロンの懺悔を切り裂いた。アーロンは、まるで殴られたかのように顔を上げる。

「あなたの『善意』の密告は、マーカス・ソーンに向けられたものだった」


その名が、静かな部屋に重く響いた。


「連合で最も冷徹で、アンドロイドを道具としか見ない男なら、榊夫妻を止めてくれると。そう考えたのですね?」

レナは、一歩、また一歩と、震えるアーロンに近づいていく。


「奴が……奴が、ここまでの惨事を引き起こすとは……思わなかったのだ……!」


「ええ、そうでしょう」

レナの声には、もはや何の感情もなかった。


「それだけではありませんね?今回のアジト襲撃……あまりにも手際が良すぎた。私たちの場所をソーンに漏らしたのも、あなたですね?」


「違う……!」

アーロンは激しく首を振るが、その瞳は罪悪感に揺れていた。


「このままでは、我々全員がソーンに潰される!反戦派という組織を守るために、ほんの少しだけ情報を渡すしかなかったのだ……!」


「ほんの少しだけ?」レナの声が、氷のように鋭くなる。


「ハンが死に、多くの仲間が傷つきました。あなたの『善意』が、またしても私たちを地獄に突き落としたのですよ」


嗚咽が、アーロンの言葉を途切れさせる。

「すまない、レナ……君の人生を、私の罪悪感で縛り付けてしまった……本当に、すまない……」


レナは、涙を流すことも、彼を罵ることもなかった。ただ、その崩れ落ちた姿を、冷たい目で見下ろしていた。そして、静かに、しかし決定的な言葉を告げた。


「謝罪は、聞き飽きました」


彼女は、アーロンの前に歩み寄ると、その震える肩に、かつて彼が自分にしたように、そっと手を置いた。

だが、その義手から伝わるのは、温もりではなく、絶対零度の冷たさだった。


「あなたの贖罪は、まだ終わっていません。……いいえ、ここからが本番です」


アーロンが、怯えたように顔を上げる。


「私は、この連合共和国を、いえ、世界をこの手で変えます。そのためには、あなたの『反戦派の指導者』という立場と、その影響力が必要です」


レナの瞳には、もはや師を敬う娘の面影はなかった。


「あなたは、これからも『聖人』を演じ続けてください。そして、私の計画のために、あなたの全てを差し出すのです」

レナが淡々と続ける。


「……それが、あなたに残された、唯一の償いの道です」

最後通告のようにレナが言い放った。


「……レナ」


「返事は?」

その声は、有無を言わさぬ響きを持っていた。


「…分かった」

アーロンは、力なく頷いた。


「私も40年付き合ったのです。あなたには、最後まで付き合っていただきますわ、先生」

レナはそう言うと、彼の肩から手を離し、音もなく部屋を去っていった。


残された部屋で、アーロン・ケインは、ただ一人、静かに涙を流し続けた。

40年前に始まった彼の贖罪は、今、最も残酷な形で、その最終章を迎えようとしていた。

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