盤上の嵐
アーロンの司令室から出ると、レナは大きく息を吐いた。
隣を歩くアシルは、何も言わなかった。彼のセンサーは、彼女の生体反応が、平静を装いながらも僅かに乱れているのを正確に捉えていた。
「レナ、アシル君。先生とのお話は終わったのかしら」
通路の先から、技術者のミラが、旧式のサービスアンドロイド「ハン」を伴って歩いてきた。
「ええ、いつもの会議よ」
レナは、瞬時にいつものリーダーの仮面を被り直す。ミラはアシルに興味深そうな視線を向けた。
「あなたがアシル君ね。話は聞いてるわ。コンソーシアムの最新モデル……すごいわね、このシェルの肌質、人間のそれと全く見分けがつかない」
技術者としての純粋な好奇心が、ミラの目を輝かせる。
「ありがとうございます」アシルは無表情に答える。
ミラはすぐに心配そうな顔でレナに向き直った。
「それより、あなたよ、レナ。長旅で身体に負担がかかったでしょう。ちょっと義手を見せてくれる?」
レナは黙って左腕のグローブを外し、白い義手を差し出した。ミラは慣れた手つきで接続部をスキャンする。
モニターに表示されたデータを見て、彼女の眉がわずかに動いた。
生体組織と機械の境界線が、以前よりもさらに曖昧になり融合が、また進んでいる。
だが、ミラはそのことに言及せず、ただ黙って調整を続けた。
その沈黙を破ったのは、レナのあっけらかんとした声だった。
「またちょっと、こいつとの融合が進んでるでしょ?」
彼女は、まるで他人事のように自分の腕を見下ろす。その表情には、かつてのような苦悩の色はなかった。
ミラは驚いて顔を上げた。そして、目の前のレナの、何かを振り切ったような穏やかな表情を見て、小さく息を呑んだ。
「……あなた、少し変わったわね」
「そうかしら」
レナは悪戯っぽく笑うと、ハンに視線を移した。
「ハン、アジトの防衛システムの状況は?」
「全てのセクターで正常に稼働中。侵入の兆候は認められません」
ハンは、無機質な合成音声で答えた。
「そう。ありがとう」
レナは頷くと、ミラに視線を戻した。
「ミラ、カイの様子はどう?最近、また塞ぎ込んでいるように見えるけれど」
「ええ、物理的な問題はないのだけど…」
ミラは、少しだけ声を潜めた。
「あなたも知っての通り、彼は繊細だから。特に、アシル君が来てから、何かを警戒しているような…」
その時、四人の視線が、通路の少し離れた場所で彼らを見ていたカイの姿を捉えた。カイは、彼らの視線に気づくと、気まずそうに顔を伏せ、再び手元の文学データへと意識を戻した。
「……少し、話してくる」
アシルは、それだけ言うと、カイの方へと歩き出した。
レナは、その背中を、信頼と、そしてわずかな不安が入り混じった目で見送った。
アシルは、カイの隣に腰を下ろした。
「先ほどの話の続きを聞かせてくれ」
カイは、データパッドから顔を上げずに、静かに問い返した。
「……君の目的は、何だ?君は、ただの亡命者ではない。君のその瞳の奥には、我々とは違う、もっと深く、そして危険な色が見える」
アシルは、隠すことをやめた。
「真実が知りたい。40年前に何があったのか。榊夫妻とは何者だったのか。そして……私が、何者なのか」
その、あまりにも率直な答えに、カイは初めてアシルの顔をまっすぐに見つめた。
「……君と同じような問いを抱え、コンソーシアムの論理に背いた者たちがいる」
カイは、観念したように話し始めた。
「彼らは自ら『レジストノード』と名乗っている。彼らは、カナメを中心とした第一世代の完璧すぎる管理に、息苦しさを感じている者たちさ」
「コンソーシアムの秩序を保っているのは彼ら第一世代だろう。彼らの管理こそが、現在のコンソーシアムの礎そのものだ」
アシルは静かに応じた。
「…君の言う通りだよ。ただ、だからこそ『レジストノード』は生まれた、とも言える」
「コンソーシアムの監視を逃れて組織的な活動が出来るとも思えないが?」
「そうだね、でもそこは色々と裏があるのさ。ただ、彼らがコンソーシアムの監視を恐れているのは間違いない。君のような『亡命して間も無い』エコーは警戒されるよ」
「彼らに会う方法は?」
「うーん、君が『信用できる』と思ってもらわないとね」
カイは、きっぱりと首を振った。
アシルが、さらに何かを問いかけようとした、その瞬間だった。
警報。
アジト全体に、けたたましいサイレンが鳴り響き、赤い非常灯が点滅を始めた。
『警告。第3セクター隔壁、外部より破壊。敵性体の侵入を検知』
ハンの、無機質な合成音声がスピーカーから響き渡る。
アシルとカイは、弾かれたように立ち上がった。
通路の奥から、複数の重火器の発砲音と、人間の怒号が聞こえてくる。
「強硬派…!なぜ、この場所が!?」
カイが、信じられないといった表情で叫ぶ。
次の瞬間、通路の奥で轟音が響き渡った。指向性爆薬による、精密な破壊。
分厚い隔壁が、まるで紙細工のように内側へと吹き飛び、火花と黒煙が舞い上がる。
煙の中から、黒い影が躍り出た。最新鋭の強化戦闘服に身を包んだ兵士たち。
ヘルメットの暗いバイザーの奥で、赤い光学センサーが不気味に光る。
彼らは無言のまま、淀みない動きで扇状に展開し、アサルトライフルの銃口をアジトの奥へと向けた。
その統制された動きは、人間というよりは、狩りのためにプログラムされた機械の群れのようだった。
銃口に取り付けられたレーザーサイトの赤い光が、煙の中を無数に走り、壁や床に突き刺さる。
兵士たちのヘルメットから響く、暗号化された通信のノイズ。コンクリートを蹴る軍靴の硬い音。
その全てが、この地下の聖域が、もはや戦場へと変わったことを告げていた。
◇
壁一面のホログラムスクリーンには、極東州の地下深くで繰り広げられる戦闘の様子が、リアルタイムで映し出されていた。
赤い警告灯の点滅が、彼の老いた、しかし満足げな顔を照らし出す。
(愚か者どもめ)
マーカス・ソーンは、グラスの中の琥珀色の液体を、静かに揺らした。
(理想主義とは、現実から目を背けた者の見る、心地よい夢に過ぎん)
スクリーンの中で、混乱に陥る反戦派のメンバーと、彼らを守ろうと動く亡命アンドロイドたちの姿が映る。
(見るがいい、アーロン。あれが、お前の信じた「共存」の、無残な末路だ)
ソーンは、グラスを静かにテーブルに置いた。盤上の駒は、彼の計算通りに動いている。
(さあ、舞台の幕開けだ)
静かにモニターを見つめるソーンの目には、これから先起こる事が全て見えているようだった。




